第28話 俺は待っているからな、必ず帰って来いよ!」

文字数 1,452文字

 半月後の夕暮れ・・・。
酒井印刷所の電話のベルが機械の止まった工場にけたたましく鳴り響いた。
「はい、酒井印刷所でございます・・・よおっ、中西か、どうしたんだよ、また飲みに行こうって話か?えっ、何だって?原田美代が故郷へ帰る?どうしてだよ?」
話を聞いていた毅の顔が引き攣り、受話器を持つ手も次第に下がって行った。彼はガチャンと電話を切ってギュッと唇を噛み締めた。
 突然、脱兎のごとく街路へ飛び出した毅は通り掛かったタクシーに飛び乗って、一路、京都事業所の駐車場を目指した。
 事業所の裏門前に到着した彼は開いたタクシーのドアから飛び降りると、駐車場の門を走り抜けて中へ突入した。
丁度、外車のマイカーに乗ろうとしてドアに手を架けた恒夫の前に毅が突っ立った。
「責任を取れよ、横田!自分のやったことに責任を取れよ!」
毅が鋭く言った。
恒夫が一瞬怯みながらも嘯いた。
「何のことだか、さっぱり解らないね」
「何を言って居やがる。好きで抱いたんだろう、原田美代を。責任取って彼女と結婚しろよ!それが男ってもんだろう!」
「寝惚けたことを言うな。愛し合っても居ない二人が結婚なんか出来るかよ!」
「馬鹿野郎!」
 毅が爆発した。
恒夫を車に押し付け、倒れないように左手で押さえておいて、顔から腹から、顎から脇腹から、処構わずに、ボコボコに殴りつけた。毅はもう我を忘れてひたすらに殴り続けた。堪らず崩れ落ちそうになる相手の顎を、最後に右のアッパーで突き上げた。恒夫はずるずると外車の車体伝いに崩れ落ち、その場に座り込んで前に倒れ伏した。顔は既に血みどろだった。
毅の眼には涙が一杯だった。
 それから再びタクシーに乗り込んで毅が向かったのは美代のマンションだった。
ドアを開けた美代を前に、毅が強い眼差しで問いかけた。
「どうしたんだよ?何で逃げるんだよ!」
キッチンの椅子に腰かけた美代の胸にどっと悲しみが湧き起こり、彼女は顔を抑えて泣き出した。
「何で泣くんだよ、どうして泣くんだ?泣きたいのは俺の方だよ。俺は君を忘れる為に一晩、泣いたんだ、真実に泣いたんだよ!」
「ご免なさい、真実にごめんなさい。私ってどうしようもない馬鹿なのよね。こんな私はもう駄目だから、私のことなんか忘れちゃって頂戴。もう放っといて・・・」
美代がワ~ッと泣き出した。
毅は次の言葉が継げず、唯じっと、美代を見つめるばかりだった。
「いつ発つんだよ?」
「明日の午後一時過ぎ、ひかり号で・・・」
 
 翌日の午後・・・
階段を二段跳びに駆け上がった新幹線のホームで、息を弾ませながら毅は美代の姿を捜し求めた。列車は既にホームに入っている。乗降客でごった返すホームを、人を縫うようにして小走りに必死に捜す毅の眼に、自由席の車窓で沈んだように蹲る美代の姿が飛び込んで来た。
何かを察してか、ふと視線を上げた美代が眼にしたのは、凝っと此方を見つめる毅の姿だった。熱い思いが美代の胸に湧き上がって来た。彼女は窓ガラスに縋りつくようにして毅を見詰めた。
発車のベルが鳴り止んで、車掌の笛の音がホームに響いた。
 走り寄って、窓ガラスを叩くようにして毅は美代に呼びかけた。
「待っているぜ、俺は待っているからな。帰って来いよ、必ず帰って来いよ!」
美代が眼に涙を一杯溜めて、頷いた。
ひかり号がゆっくりと動き出し、毅も一緒に歩き出した。
美代が小さく手を振り、毅も追いながら手を振った。
「きっと、きっと、戻って来いよ、な!」
ひかり号のスピードがどんどん上がって次第に遠ざかり、小さくなってやがて見えなくなった。
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