第105話 「来月から、星野英恵のスタッフに加えられたの」

文字数 1,813文字

 六本木のマンションの一室に、旅行鞄を持った高之と優香が入って来た。
高之が部屋の中央に立って辺りを眺めながら言った。
「うむ、良い家具を入れたね」
「はい。あっ、それから、朝方、京都の秋田専務からお電話がありました」
「秋田?急用だったのか?」
「奥様が東京へ出て来て居られるそうです・・・」
「綾乃が?」
「ええ・・・」
「気にすることは無いよ。青山の叔母の家へでも来たんやろう」
「時々不安になるんです。いつまでこういうことが続くのだろうかって・・・あなたが奥様に不満があって、こうなったのではないことは私も解かっています。私はあなたの家庭を壊すことなど考えても居ません。今の状態がずうっと続けば良いと思っているだけです」
 
 翌朝、朝食とも昼食ともつかぬ遅い食事を摂りながら、優香が高之に報告するように言った。
「来月から、星野英恵のスタッフに加えられたの」
「星野英恵って?ファッション・デザイナーの?」
「ええ。何枚かのデザイン画を書いて事務所へ持って行ったの。面談で私の考えている希望の思いを忌憚無く話したら、採用されちゃった」
「へえ~、そりゃ凄いね」
「デザイン学校を卒業していることや”たつむら”での実務経験が効いたみたいだったわ」
「うん、なるほど」
「私、元々、着物デザイナー志望で“たつむら”へ入ったんだけど、あなたの眼に留まってこういうことになった。東京へ来てから色々先のことを考えている内に、本来のデザイナーへの夢がまた膨らんで来たのね。で、同じやるなら着物だけでなく洋装も含めたファッション全体を考える”美しい装い“を創るデザイナーになりたいと、星野英恵のファッション・デザイン事務所に応募したの」
「元々、君がデザイナーを志す契機は何だったの?」
「私の両親は、私が幼い頃から、私や妹の着る服を大阪や東京の百貨店からメールオーダーで取り寄せてくれたの。それが自然に、私も綺麗なものを創りたい、と言う気持ちに繫がったのだと思うわ」
「へえ~、裕福に育ったんだ」
「ええ、まあ、そう言えばそうね。で、或る時、古くなった二枚のセーターを解いて、二色の糸を絡めて一枚に編み直したのね。そうしたら凄く深い彩のセーターが新しく出来上がったの。それを友達に見せたらとても喜んでくれて、欲しい、欲しい、ってせがまれて、結局あげちゃったんだけど、私も一緒に嬉しくなっちゃって、それでデザイナーを目指すようになったの」
「うん、その思い、よく解かる気がするよ」
「専門学校で知識やスキルは学んだから、後は実務経験をもっと積まないとね。ファッション・デザイナーは服造りの全ての工程を一人で行うのではなく、素材の選定や色・形・模様などの指示をするディレクター的な役割を担うでしょう。だから、将来独立してオートクチュール・デザイナーになるにしても実務経験が豊富でないと難しいからね」
「求められるスキルも結構大変だしな」
「そうね、ファッション・デザイナーは流行を作る仕事と言っても過言ではないので、常に新しい時代の流れや最新情報をキャッチする情報収集力が先ず不可欠ね」
「それを実現するスキルが求められる」
「そう。服を作るには企画が無いと始まらないから、どんなテーマで、どんなターゲットに、どのように売り出すか、確立した企画を設定しなければ前へ進まない。その仕事を担うのがファッション・デザイナーだし、企画が明確でないとスタッフはモノづくりが出来ない。企画力はとても大事だと思うわ」
「デザインの指示をするには、デザイン画を描く絵のスキルも必要だ」
「デザイン力は欠かせない能力だわね。人を惹きつけるデザイン・センスが服の評価に直接繋がるから、デザインに関する新しい情報を常にキャッチしながら、日々勉強し習熟することが大切だと思う」
「先ほどの話じゃないけど、ファッション・デザイナーはチームの司令塔になる役割だから、作業工程の中での細かい調整やどういう服にしたいのかというイメージなどもしっかり伝えなければならない」
「そうね、コミュニケーション能力もとても必要だわね」
「華やかな世界だけど、その裏で市場調査をしたり、企画を細かく立ててチームと共有したり、センスを磨く為に勉強したり、色々と大変だぞ、これから」
「その分、誰かが服を好んで着てくれる喜びを味わえたり、流行を自らの手で生み出せたり出来れば、他では体験できない充実感の有る仕事だと私は思うわ」
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