第93話 老婦人が急死した

文字数 1,095文字

 季節の移ろいは早かった、既に晩秋になっていた。
老婦人は今日も来ていなかった。既にもう一月以上も顔を見かけていない。
具合でも悪いんじゃないか、ひょっとしてリハビリの時間帯を変えたのかも知れない、だから逢わなくなったんじゃないか、遼司は色々と考えを巡らせて桐島美禰のことを思った。
確か、自宅は病院から少し北へ上がった大通りに面した美容室だと言っていたな、遼司はリハビリを終えた晴れた日に、見舞いがてら、老婦人を尋ねることにした。
 漸く医師から乗ることを許された車をゆっくり走らせて、左右を覗き込みながら見当をつけた辺りを周ると、捜す家は直ぐに見つかった。閑静な住宅街の広い通りの四つ角に、瀟洒な白い三階建てのビルが在った。一階が美容室で二階と三階が居宅のようである。広い入口のガラス扉の横に、「桐島美容室」という草書体の黒文字のネームプレートが掲っていた。それは白い壁と好対照であった。扉の向こうには、四、五人の女性が客を相手に忙しく立ち働いているのが見えた。
 遼司は車を近くの一時預けの駐車場に入れて、そこから歩いて美容室を訪ねた。
訪いを乞うた遼司に若い女性スタッフが応対した。
「病院のリハビリでお世話になっている沖田と言う者ですが、桐島美禰さんは居らっしゃいますか?」
「少々お待ち下さいませ、今、先生をお呼びしますから」
直ぐに先生と呼ばれた女性が現れて遼司を見遣った。
遼司は老婦人との関りとその経緯を簡略に説明した。頷きながら聞いていた女性が丁寧に礼を言った。
「母から聞いていました。いつも明るく励まして下さる若い方が居らして、とても元気を頂くんだって、そう言っていました。真実に有難うございました」
それから、彼女は、ぽつんと一言続けた。
「母は先日亡くなりましたの」
「えっ!」
思いもせぬ話に遼司は次の言葉が継げなかった。
「二ヶ月ほど前に風邪を引いて暫く寝たんですが、或る朝、大層寝汗をかいて、ベッドのシーツにまで染み通るほどの大汗をかいて、それから風邪を拗らせてどんどん悪くなって・・・」
女性は不意に声を詰まらせて、慌ててハンカチで眼を拭った。
「急性肺炎で、先日、呆気無く亡くなりました」
遼司は、わたしにも未だ未だやりたい事も行きたい所も見たい物も沢山ありますからね、と微笑った老婦人の言葉を思い出して胸が痛んだ。
 美容室を後にした遼司は駐車場に向かってゆっくりと歩いた。
あの人はこの道を歩いて病院へ通うのが当面の夢だったんじゃなかろうか、とふと思った。
顔を紅潮させ懸命に頑張りながらも屈託無く笑った霧島美禰の姿が眼に浮かんだ。
遼司の心は沈んだ。遼司の目が潤んで足元の道がぼやけて見えた。
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