第56話 洋一は茉莉先生の導きで大人への扉を開かれた

文字数 889文字

 茉莉先生の導きで大人への扉を開かれた洋一は急速に大人になって行った。新聞記者になりたいとの思いを初め、次から次へと新しい考えが頭に浮かんで来て、自分がちょっと成長したような感覚を抱いた。これまでの思い出が心の中に呼び覚まされ、成熟したという新しい感覚によって心に映る自分の姿が変わった。周囲の者たちの中で独り際立ち、独特の存在となったとの思いである。洋一は自分に執り憑いたその感覚を解ってくれる人が欲しかった。
 人が大人へと成長して行く過程で、人生を初めて後ろ向きに見る瞬間がある。それが大人への境界線を越える瞬間である。洋一は未来を想い、自分が世界に於いてどのような存在になるのかを考えた。野心が自分の中で目覚め、過去の物事の幻影が意識に入り込んで来る。と突然、自身の外から囁き声が聞こえて来て、人生には限界が有るのだと告げる。自分自身とその未来に大きな自信があったのに、洋一は全く自信を無くす。彼は、自分より以前に生存した人々を、無の中からこの世に誕生し、それぞれの人生を生き、無の中へ消えて行った無数の人々を、思った。見識を備えてしまった悲しみを、洋一は初めて味わった。自分自身が街の通りに落ちた一枚の葉、風によって簡単に吹き飛ばされる葉に過ぎないことに、ハッと小さく息を呑んで気付いた。自分は風に吹き飛ばされ陽に当たって萎びて行く存在として、確信を持てぬままに生き、そして、死ななければならないのかと思った。彼は身震いし、これまで生きて来た十九年間が将に一瞬のように感じられ、人類の長い歴史におけるほんの一呼吸の間に過ぎないと覚った。
洋一は他の誰かと親密になりたいと心の底から願った。誰かに手で触れ、誰かの手で触れられたい・・・そうして、彼の心は茉莉先生に向かった。
 自分が大人の男に成長して行く過程で、茉莉先生もまたより大人の女へと成長して行くだろうことを彼は意識していた。彼は茉莉先生に逢いたいと切望した。自分の心に生まれた衝動について語りたい、大人の男として話したい・・・洋一は自分の中に何らかの変化が生じたと確信し、その変化を茉莉先生に感じて貰いたいと欲した。
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