第67話 達哉の首がぐらりと揺れてのけぞった

文字数 2,153文字

 それは全国大学ラグビー大会トーナメント戦のハーフタイム五分後のことだった。
味方のスクラムが完全に潰されて、ボールは敵のバックローセンターから左のロックに移った。達哉は味方のチームメイトが走った方向へ自分もボールを追って走ろうとしたが、全く身体が動かなかった。立ち上がるどころか手足の感覚が全く無く、首から下がピクリとも動かない。やがて彼はゆっくりと低く崩れて転がった。数人が抱えて起こしかけた時、達哉の首がぐらりと揺れてのけぞった。
 救急車が呼ばれ担架に乗せられて達哉は救急病院へ搬送された。
救急治療室に運び込まれて、強心剤が注射され、酸素吸入器での吸入が始まった。時折、達哉の胸の中を憤りのような感情が通り過ぎた。
 目を瞑ったまま達哉はこれまでの自分について、急いで、出来る限りの総てを思い出してみようと考えた。急がなくてはならない、彼は何かに急き立てられるようにそう思った。人間は、いつかはこれをしなければならない、そして、その機会が今なのだ、達哉はそう強いられているように思えた。
 先ず達哉が思い出したのは、彼が今日までの二十二年間を生きてきた原点ででもあるかのように、これまで何かの折に触れて思い出されてきた事柄である。

 達哉が未だ中学二年生の頃であった。
三学期の期末試験の前日に、部活の無かった達哉は級友たちと一緒に下校した。途中、小高い山頂の公園広場へ連れ立って登った達哉の眼下に、早春の暮れ行く夕焼け空の下に人家が密集しているのが見えた。
仲間達は誰からとも無く、小石を拾って人家に向かって投げ始めた。皆、出来るだけ遠くへ放うれるように力を込めて投げた。
 一投目、二投目、だが、幾ら力をこめて投げても、石は夕暮れの街の喧騒に吸い込まれて、ガラスの砕ける音も、屋根に弾む音も、壁に当る音も、樹枝にかすれる音も、何一つ聞こえて来なかった。石は無限の空間へ吸収されて、達哉たちの何の悪意も無い投石を巨大な何者かの掌が受取ってしまうかのようであった。「この野郎!」「今畜生!」と繰り返して何回も何回も石を投げてみたが、結果は同じだった。何の物音も返って来ない。
この現実の世で安穏に日常生活を送っている大人や年寄りや子供たちを、俺たち少年の小さな石から守る何か巨大なものが存在するのではないか、と達哉は思った。
その時、級友の金村が言った。金村は在日韓国人三世で、身体の大きいガキ大将であった。 
「なあ石黒。お前が何百回と石を投げても、何一つこの現実世界に結果が現れないとすれば、お前が自分の存在感を確認する為には、小石などという不確かな小さなものではなく、もっと確実な方法で、この現実世界に凄い結果を引き起こさなければならないのではないか?」
そうだ、その通りだ。もっと燃焼的で内実的なもので、自分の実在感を獲得しなければならない、そうして初めて自分独自の真正性をしっかり持って、自分の存在を証明出来るのだ!・・・その時、初めて、達哉は自己存在感というものを認識したのであった。
 大体、このラグビーにしてからがそうだったろうと達哉は思う。
俺は今日まで、唯々、自己の燃焼感と充実感、それを基にした自己存在感や実在感を追い求めてやって来た。それが全てだ。
タックルでの体当たりの瞬間、顔を緊張させ刺し違えるほどにきつい眼差しを交錯させて激突する時、達哉はその一つの行為の中でカッと燃焼することが出来た。
やったという満足、或いは、出来なかったという焦燥や悔恨、そうした感慨以外に何に自己充実感を期待出来るのか?一つの行為の後の率直な感慨の内でこそ、初めて自分ひとりの自己存在感を獲得することが出来るのではないか?・・・
 今自分がやっていることの意味が解らないままそれをするというのは、苦痛なことである。そんなことが積もり積もって、自分が何故この場所に居るのか、納得が行かないまま生き続けるというのは、やり切れないものである。思った通りに青春を生きていると考えることの出来る若者など滅多に居ない。居心地の悪さ、収まりの悪さがいつも青春には付き纏っている。それほど青春は思いと違うことの連続である。達哉もまた、思い通りにならないもの、思い通りにならない理由が解らないものに取り囲まれて、苛立ち焦り、不満や違和感の息苦しさを胸一杯に溜め込んで、その鬱ぎを突破する為に、自分が置かれている状況を解り易い論理に包んで、その論理に立て篭もろうとしたのだった。
 ラグビーには今一瞬を捉えることが出来る満足感と、危ういギリギリの生命感が在る、身体中で抱く陶酔感がある。それは他の誰もが奪うことの出来ない達哉一人きりのものである。ラグビーにおける行為の一瞬一瞬或いはその総ての堆積の果てに彼が向き合い乗り越え獲ち得るもの、それがこの現実世界での自己存在感なのであった。
達哉にとって真実に必要だったのは、自分が皮膚で感じている「この身体は俺のものだ。だから、この身体が感得する感覚を最も大事にして俺は生きて行く」ということを、きちんとした論理に仕上げてそのロジックに立て篭もることであった。抵抗というものはそうして初めて確かな形を採り得る。達哉には、「事柄には真理は一つしか無く、その真理は明らかに俺の側に在る」という確信が有った。
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