第3話 小泉遼子は五歳の時に児童養護施設に預けられた  

文字数 1,921文字

 小泉遼子は四歳で父親と死に別れ、五歳の時に母親も亡くなって児童養護施設に預けられた。高校を卒業するまで彼女は其処で暮らした。遼子は中学生になって思春期を迎えた頃、孤独感に苛まれて自閉した。遼子は、預けられた時には既に五歳になっていたので、親という存在も解かっていたし、父親のことはあまり記憶に無かったが、母親と過ごした生活も母親の面影も憶えていた。中学校に上った時に施設長の先生から親のことを聞かされたが、やはり親が居ると違う生活が有ったんだ、とショックは隠せなかった。
 遼子の母親はこの都市一番の大きな花街で、一、二を競う美貌の芸妓だった。源氏名を菊千代、本名を小泉千代と言った。遼子は母親の姓を名乗ったことになる。
父親は九州若松の、海運業の元締め「関本組」の二代目で、名を関本吾郎と言った。
二人は初めてのお座敷で一目惚れし合ったらしい。座敷に呼んで呼ばれているうちに互いに忘れられない人となり、母親は半年後には引かされて唐津へ移った。だが、二代目には既に正妻が居た。母親は所詮日陰の身だったので、世間からは随分冷たい眼で見られたり蔑まれたりしたようだった。だが、遼子が四歳になった時、父親が突然の事故で呆気無く他界した。母親は遼子を伴って故郷のこの街へ戻り、花街の端の髪結処で働いた。が、その母親も一年後に悪性の膵臓癌で亡くなった。身寄りの無い孤児となった遼子は施設に預けられることになった。
 遼子は施設長の話を詳しく聞き進むにつれて、次第に暗い思いを胸に沈ませて行った。自分はやくざ紛いの父親と芸者の母親との間に生まれた子供だったのだ、然も、妾の子だったのだ。生まれながらにして、普通の子では無かったのだ・・・
 それから遼子は荒れた。心が落ち着かず精神の安定を欠いた。遼子は、洋服や本や雑貨等を床が見えない程に凄まじく散乱させて暮らした。散らかして置かないと心が落ち着かず、物に取り囲まれていることで安心感を得ていたのだった。部屋は遼子の心を表していた。散乱している物で鎧のように自分を包み、守って居たのだった。
 施設の丸山と言う女先生がCDを聞かせDVDを視せたりして、音楽を拠所にして根気よく遼子の心を解いて行ってくれた。或る日、遼子はCDで聴いたジャズの音に全身を揺さ振られたような気がした。遼子の身体を鮮烈なジャズのリズムが直撃して電撃が走った。遼子は痺れた。遼子はジャズの虜になった。遼子は次第に心の鎧を脱ぎ始め、二年ほど後には部屋を片付けられるようになって、漸く普通の女の子に戻っていた。
 中学卒業時に進学か就職かの選択を迫られた遼子は丸山先生に相談した。
「十五歳で就職して自活するのは非常に厳しい状況だからね。出来れば、高校か専門学校か職業訓練校へ進学した方が良いわね」
遼子は金の掛からない市立の普通高校へ進学することを決めた。施設の子の一割余りが就職して社会へ出て行ったが、直ぐに辞めてしまったり、その後行方知れずになったりして、将来的に生活を安定させて自立出来た子は非常に少なかった。
 高校へ進学した遼子はアルバイトを始めた。喫茶店のウエイトレスになってお運びをし、スーパーやコンビニ等のレジに立って金を稼いだ。施設から貰う小遣いは微々たるものだったので、本を買ったり服を買ったり、或いは、夏休みに施設が催してくれる海水浴やキャンプに参加する小遣いも入用であった。特に夏休みには、親の有る子は多くが親元へ帰って行ったが、両親ともに居なかった遼子には帰る所は無く、もっぱらアルバイトに精を出した。何よりも、十八歳で施設を出て行く時の資金を確保することが必要だった。アパートを借りるだけでも相応の資金が要る筈だと遼子は考えていた。 
 高校三年生の夏休み前に、卒業後の進路を決める個別相談会が催された。親の有る子は本人と親と先生の三者懇談だったが、両親の居ない遼子は先生と二人で話し合った。
「特にやりたい仕事や成りたいものは何か有るのか?」
「具体的には未だ何も・・・」
 私はやくざ紛いの父親と花街芸者との間に生まれた妾の子だ、他人が蔑み憐れむのは仕方無い。それは事実なのだから構わない。然し、自分で自分を卑下し憐れんで、引け目を負って生きて行くのは堪らない。自分の背骨をしっかり持ち矜持を確かに保って、この先の人生を生きて行きたい。その為には、自分の原点である出自をこの眼でしっかり確かめ、心できっちり見極めなければ、そうでなければ、この先、前を向いて踏み出すことは出来ない・・・。
 遼子は施設長の先生に十数年前のことをもう一度聞かせて貰い、母親が亡くなる前の一年間を過ごした花街の端の、髪結処の住所と場所を教えて貰った。
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