第8話 喫茶店の窓際の席で、聡と由美は重い表情で向き合っていた 

文字数 1,800文字

 大阪淀屋橋畔にある喫茶店の窓際の席で、聡と由美は重い表情で向き合っていた。
「おかしいよ、君は。俺の両親に逢わせようとすると、もう居少し待って、と言うし、それじゃ君のお母さんに逢いに行く、と言えば、未だ早い、と言う。俺との結婚に二の足を踏んでいるとしか思えないよ」
「・・・兎に角、もう少し待って欲しいの。今は、それしか言えないわ」
「何か思い悩むことが在るんならちゃんと話せよ、なぁ由美!」
由美は、暫く、黄昏行く川面に眼を落していたが、やがて心を決めたかのように、ポツンと言った。
「私の母には旦那さんが居るの。つまり、お金で囲われているのよ、私の母は・・・ううん、私もそう・・・」
「・・・・・」
「私は小さい頃に父に死に別れた。で、母は私の手を引いて彼方此方と仕事を捜して歩いたの。結局、ミナミの藤川と言う小料理屋に住み込んだわ、そう、水商売よね。良いことも悪いことも私には耐えられなかった」
胸に溜め込まれていた感情が迸り出たように、由美は一気に話した。
「その頃にあの人が店に来るようになったの。私にも来る度に何か買って来てくれて、何だか、お父さんみたいな温かいものを感じていた。ワールド観光(株)って知っているでしょう?」
「ああ、観光バスとタクシーの・・・」
頷きながら由美が話を続けた。
「その頃は未だ小さなタクシー会社の社長さんだったんだけど、それから観光バスの事業にも乗り出して、それが上手く行って、数年後には大阪市内だけでなく神戸や京都にも進出していたの。私たちは一軒家の借家を借りて・・・結局、お妾さんになったのね、母は」
「どうして今まで言わなかったんだ?言ったら愛想を尽かされる、とでも思ったのか?そうだとしたら、感覚的には一昔ずれているぞ」
「でも、結局は私も短大まで出して貰ったんだし・・・」
「ナンセンスだよ、君は」
由美が聡をじっと見つめた。
「そんなことは俺たち二人と直接的には何の関わりも無いじゃないか、そうだろう?俺の顔をちゃんと見ろよ。いつも二人でこうやってしっかり向き合って行けば、それで良いんだ、解かるな」」
由美は熱い眼で聡をじっと見つめて、頷いた。 

 土曜日の夕方、聡は眦を上げてワールド観光(株)の本社ビルへ入って行き、竜崎社長と面談した。
「あなたは仲田由美君の?・・・」
「はい、何れ近い内に結婚する心算です」
「私のことは由美君から?」
「先日初めて聞きました、僕が強引に言わせたのです。彼女はあなたに大変感謝しています。だが、別の意味であなたを軽蔑してもいます」
社長の眉がピクッと動いた。
「私は真面目な気持で光江さん、いえ、由美君のお母さんを愛して来ましたし、今も真剣に彼女を愛しています」
「然し、あなたには奥さんも子供さんも居らっしゃる。不徳ですよ、それは」
「そうです、或は、間違っているのかも知れません。だが、私はやっぱり心から光江さんを愛している」
「彼女は苦しんでいます。あなたを決して嫌っている訳ではないのです。それだけに彼女は苦しみ悩んでいるのだと僕は思います」
「・・・・・」
「兎に角、彼女はあなたに感謝の気持を持ちながらも、あなたに綺麗な形で、と望んでいます。ですから、あなたにも考えて頂きたいと思うんです」

 仕事から帰った由美は食卓に着くなり母親に告げた。
「お母さん、わたし、近々、結婚するわ」
由美の唐突な話に母親は戸惑い、どぎまぎして返答に窮した。
「それはまあ、あなたさえ良ければ私は何も言いませんが・・・然し・・・」
「だから、お母さんもあの人とのこと、はっきりさせて欲しいの。今の侭じゃ、やっぱり私、嫌なの」
「・・・・・」
「お母さん、私はお母さんを責めて居るんじゃないのよ」
暫くして、やがて、吹っ切るように母親が言った。
「私もね、世間から責められることくらい十分に承知していますよ。でもねぇ、あの人は優しい真実に良い人なのよ」
「・・・・・」
「私はあの人から与えられるばかりで、私が与えたものは何一つ無いの。あの人は求めたりもしなかったし・・・それはもう真実に、綺麗なお付き合いをして来たの、今日まで」
由美は意外な面持ちで話の続きを待った。
「あなたから見れば、却って不自然かもしれないけれど、あの人はそういう人なのよ。此処へ来ることも私は随分お断りをしたの。でも、結局、私は甘えてしまったの、私のことよりあなたのことを考えてね」
由美が唇を噛み締めて肩を震わせた。
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