第68話 級友金村の起こした強姦殺人事件

文字数 2,122文字

 達哉は頭だけが回転していた。
彼は旧友金村が起こした強姦殺人事件のことを思い起こした。あれは高校三年の夏休みも終わる頃の事だった。八月下旬の体温を越える猛暑の朝に金村が逮捕された。警察へ連行される時も事件の取り調べに臨んでも、金村は悪びれることも臆することも無く、胸を張って一種堂々としていた。
 一件目の強姦の相手は二十歳の女子大生だった。
深夜に自転車を漕いで帰宅する途中の彼女を自転車ごと蹴倒して、閑静な住宅街の舗装道路の真中で、ミニスカートを捲り上げて、犯した。
「騒ぐと殺すぞ!」
手で彼女の口を押さえて一言言ったきり金村は黙々と行為に及んだ。
彼女もまた、一言も発しなかった。それは金村独りが興奮に沸き立つだけの、どこか白々しい行為であった。終わった後もパンティストッキングを引上げ、身繕いを調えて、何事も無かったかのように自転車に跨って帰って行った。金村の心に何も満たされない空虚感だけが残った。
 二件目の事件の時は、女性専住のマンションに忍び込んで若いOLを強姦した。
瞳孔も飛び出さんかと思われるほど眼を大きく見開いて恐怖の形相を顕にした娘も、結局は何の抵抗もせず、金村のあくせく営む行為を為すが儘に許した。此処でも金村は何の満足感も獲ち得ず、ただ徒労感だけを募らせた。
二つの強姦事件は告発もされず、彼女達の日常生活に埋没して、現実世界には何の反応も変化も示さずに終わってしまった。金村はこの現実世界における自己の不在感を虚しい気持で噛み締めた。
若い娘を強姦するという凶悪な行為を行ってさえも、何一つこの現実世界に結果が現れないとすれば、俺は現実世界に存在していないことになる。俺はこの現実世界の住民を庇護する神のような何か巨大なものの存在によって俺の存在を拒まれている。俺が自分の存在を主張するには、強姦などという不確かなものでなく、もっと確実な方法で神の目を掠めてこの現実世界に凄い結果を引き起こさなければならない。その時初めて、俺は俺独自の真正性をしっかり持ってその存在を証明出来るのだ!・・・
金村は苛ついた。
 三件目も若い一人暮らしの女性のマンションで強行した。
が、女は敏感に反応した。行為の最初こそ恐怖で心身を強張らせていたが、金村が激するに連れて女の身体が次第に反応し始めた。そして、やがて喜悦に悶え、自ら迎え入れ、のたうち、快楽の山川を上下し陶酔の境に浸って、止むことが無くなった。二人は最早、犯し、犯される者ではなく、一体化した対等の男と女であった。金村の胸には連帯の思いさえ芽生えていた。倦怠感も空虚感も苛々感も孤独感も無く、赤裸々に純粋であった。
この女は拒絶ではなく、自分の意思でこの行為を受容している、これで俺はこの現実世界での自己存在感を獲得することが出来る。その自己存在感を此処で俺自身の中に定着させ、確定させなければならない、金村はそう確信した。
行為が頂点に達し、二人が同時に果てた時、金村は女の首を、両手に有らん限りの目一杯の力を込めて、絞めた。慈愛と感謝の心を込めて・・・
 金村は犯行当時未成年であったが、責任能力は十分有り、と判断され、強姦殺人という凶悪犯だったこともあって、一般成人同様に刑事裁判が執行された。判決で無期懲役が確定したが、彼は独房の格子窓にシャツを括りつけて首を吊り、二十歳前の人生を自ら閉じたのだった。
嘗て金村と交わした会話が達哉の胸に甦って来た。
「この現実世界では、自分の意思で、自分の手で、自分のプランに従って、何かをやって何かが終わるようにしなければ、本当の始まりも無ければ、本当の終りも来やしないんだ」
だが、達哉は自分と金村が追い求めたものは少し違ったのではないかと思っている。何かが違う。やり方も違えば、持っていた価値観も違ったのではなかろうか?
達哉は胸の中で金村の言葉に答えてみる。
俺は他者との相対的な関係の中に自己存在感や自己充実感を求めては来なかった。自分自身の内部に感じる燃焼感や没頭感や充実感を拠り所にして、この現実世界での絶対的な自己存在感を追い求めて来たのだ。それがお前と俺との根本的な違いなのじゃないか?
然し、と達哉は思う。
あいつは日本人じゃなかった。在日韓国人三世、本名を「キム・ヨンジュ」と言った。「金村貴憲」は日本での仮の名前、生きて生存して行く為に不可欠の仮面だったのだ。
「そうだよ。生れ落ちた瞬間からこの国に根を生やしているお前達とは違うんだよ!」
金村の声が叫んでいた。
「根無し草、余所者の感覚が俺にこびり付いて離れないんだよ。自己不在感の根源は此処から来ているんだ。出だしから違うんだよ、な」
金村が達哉に語った言葉が有る。
「小さい頃、俺は寄って多かって虐められた。朝鮮人、朝鮮の子って、な」
金村の言葉は続く。
「お前達も、そして、時として俺たちも忘れてしまっていることがある。自己の存在はその出生の時点からして与えられたものであるということを、な。しかも俺たち朝鮮人は名前も、この本名で無い金村貴憲という名前も他者によって与えられたものだし、存在の看板である顔もまた、民族という俺以外のものから与えられた。俺の表情は他者によって分節されているんだ」
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