第122話 土門英がイヌになった 

文字数 1,278文字

 一年後のある晩、土門英が数人の地回りと一緒に「祇園」に入って来た。彼等は揃ってジンジェレラ・ハットを被っていた。土門英は誰彼と無く声をかけて、奥へ進んで行った。が、その晩、「祇園」にはあまり良い女が居なかった。で、地回り達も引き上げることにしたが、連中はその前に、勘定の支払いのことでいちゃもんをつけた。
「俺達は四人で一杯ずつしか飲んで無ぇのに、何故、十杯もの酒代が付いているんだ?あん?」
「いえ、確かにお客様はお一人二杯ずつお飲みになりましたし、ホステスにも二杯お奢りになりましたが・・・」
「そうかえ。それじゃ、摘みのピーナツとチョコがこんなに高いのも俺たちが袋ごと喰っちまったと言うことか?あん?」
「それは、当店の格別に安い料金でご提供致して居ります、はい」
地回りの一人がカウンター越しにスツールを放り投げた。次いで、別のならず者がバーテンに灰皿を投げつけた。更に別の一人がビールの看板を壊した。その間、土門英は両手をポケットに突っ込んで、涼しい貌で壁に凭れかかっていた。
 数日後、厳つい大男が、レストランの前で二重駐車していた赤い大きなオールズモビルに車をぶつけた。オールズモビルから小男が独り、カンカンに怒って飛び出して来た。
「手前ぇ、何てことをしやがるんだ!一体俺を誰だと思っていやがるんだ?」
「さあぁ、誰だい、あんた?」
「俺は土門英だぞ!」
「ほう、そうかい。それじゃ、俺はスーパー・マンだ」
大男は右の一発で土門英をのしてしまい、自分の車を駆って走り去った。車は覆面パトカーだった。
 
 その後、土門英が組んでいた地回り達の何人かが姿を消した。彼等は京都やその近辺都市の刑務所に収監され始めたのである。
 土門英が警察の犬になった、あいつが地回り達を売ったんだ、という噂がその筋を駆け巡った。彼は麻薬の密売人たちと一緒に捕まったのだが、ジンジェレラ・ハットを被った男たちが刑務所にぶち込まれても、土門英だけはそうならずに済んだ。
 
 間も無く、土門英は近所から姿を消した。彼は逃亡生活を始めたのだった。
京都夕日ケ浦温泉のガソリンスタンドで働いた。滋賀県雄琴温泉のスタンドにも暫く居た。兵庫県の有馬温泉にも居たが神戸市内は避けた。そうかと思うと南部を渡り歩いて、勝浦や白浜と言った温泉街にも居た。土門英は地回りたちの眼の届く大都市を避け、温泉街の小さな木賃アパートで目立たぬようにひっそりと息を殺して暮らした。
そのうち、例のならず者たちが出所して来た。彼等は歳を取ったものの、特別改心した風も無く、また麻薬や人身を売買する稼業に戻った。
土門英は哀れな流浪の旅を続けた。異郷の街を渡り歩きながら彼がどんな思いで居たか、誰も知らない。彼は日記をつけなかったし、手紙も書かなかった。彼は、自分の裏切り行為によって、京都とその灯りや女たちから、東山や嵐山の賑わう公園から、鴨川や桂川沿いの静かな歩道から、そして「祇園」のような幾多の酒場からも隔てられて、あれやこれやの半端仕事を続け乍ら流離い続けた。その生活は十五年にも及び、それは殆ど、終身刑にも等しかった。
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