剣をこの手に ④

文字数 2,504文字

 過去と決別出来る筈が無い。幾ら逃げようと、目を逸らそうとも黒々とした絶望は少女の過去から現在を蝕み、未来への歩みを阻む。

 傷が、痛みが、苦しみが……。己の恥ずべき記憶を語ろうとも、ミーシャは苦難に満ちた過去を他者に理解されたくはなかった。薄っぺらい同情心は無価値であり、傷の舐め合いは痛みを伴い罅割れた心に染みる故に、少女は己の絶望を自分だけの物とした。

 共感は無意味だ。誰かを認識し、その辛さを知ってしまえば傷と痛みを理解してしまうから。

 理解されたくない。羞恥と嫉妬に狂った心を曝け出し、同情されようとも他人は誰も助けてくれないから。
 
 誰もが輝いて見えていた。不幸な生い立ちを卑下し、醜く穢れた己は恥辱に塗れ、恥ずべき過去を持っていない他人が輝いて見えた。

 光を分けて貰いたかったから、この身に抱える絶望を振り払いたかったから、ミーシャは誰かの足を引っ張り続け、その場に縛り付けようとする意思を抱いた。己と同じ場所で足掻いて欲しい。藻掻きながらも進む姿を見せて欲しい。それを知れば、強くなれるような気がしたから。

 「……」

 下唇を噛み締め、熱い血が垂れる。

 苛立たしい。彼の姿が癇に障る。何度叩き伏せようとも立ち上がり、真紅の瞳を輝かせながら歩んでくるアインが鬱陶しい。どうしてと問いを投げ掛け、彼の言葉を聞く度にミーシャの心は大きく波立ち、どうしようもなく揺らいでしまう。

 秘儀を発動する魔力は無い。アインに呪いを植え込み、呪縛する力はもうミーシャには残されていなかった。此処からは単なる根競べであり、何方が先に折れるかの勝負になるだろう。メイスを握り締め、再び剣と激しく打ち合い始めた少女の頬に雫が伝う。

 「ッ!!」

 冷たい雫……それが涙であるのにミーシャは気付かなかった。何故涙が流れているのか、こんなにも冷たいのか理解出来ぬままメイスを振るった少女は初めて泣き叫ぶ自分が居る事に気付く。

 他人が羨ましかった。

 他人が邪魔だった。

 他人を僻み、妬むしか生きる方法を知らなかった。

 街で見かける同い年の少女が身に付ける可愛らしい装飾品も、腕に抱かれた人形も、優し気な視線を向ける両親の愛も、傷一つ無い美しい肌も……。己には何一つない存在に憧れ、渇望しようとも手に入らない情景に焦がれたのだ。焦がれた故にミーシャは抗った。来るはずの無い希望を求めて。

 甲高い金属音が鳴り響き、メイスの先端が粉砕される。腰に吊っていた短剣を抜き放った瞬間、刃が少年の手に握られる。

 「ミーシャ」

 「……」

 「泣くなとは言わないし、戦うなとも言わない。だが、お前と戦って少しだけ理解した」

 「……簡単に、理解しただなんて言わないで」

 「……お前はずっと追い続けていたんだ。己の手に存在しないモノを追って、理解しようとしていた。方法は違えどお前は他者を知ろうとしていたんだ」

 「私が他人を知ろうとしていた? 馬鹿を言わないで下さいよぅ……私の何処にそんな意思が見えたんですかぁ? 私はただ嫉妬していただけ。羨んで、僻んで、他人の足を引っ張ろうとしていたんですからぁ」

 そうだ。馬鹿なことをいう餓鬼だ。己が人を知ろうとしていた? 追い続けようとしていた? 愚かしい……馬鹿馬鹿しい!!

 「他人は決して誰かを助けようとしない!! 他人の絶望には無関心で、自分のことだけを考えているでしょう!? どうしてそんな連中を私が知ろうと? アインさんも馬鹿な男ですねぇ」

 「……よく見てるじゃないか」

 「はぁ?」

 「本当に他人に興味が無い奴ってのは其処まで人に執着しないんだよ。ミーシャ、お前は気付いていないかもしれんが、人の優れた部分……自分より優っている部分に嫉妬を向けるのは一種の理解なんだ。他人が自分に無関心? 自分のことだけを考えている? 当たり前なことを言うなよ阿呆が」

 短剣の刃が砕かれ、血と共に地面に落ち。

 「やっとお前の絶望が見えてきた。ミーシャ、お前は他人に追いつきたかったんだ。追って、追って、追い続けて……。他人の歩く速度に、その場所に焦がれたから執着と嫉妬を覚えた。間違いではなかったが、正解でも無かったんだ」

 少女は地面にへたり込む。

 「……ハ、ハハ」

 壊れた繰り人形のように笑い、焦点の合っていない目で空を見上げたミーシャは血塗れの刃を摘まみ上げ、己の喉を斬り裂こうとしたが、その行動はアインの剣によって止められる。

 「……どうして、私を止めるんですか」

 「また質問か? 生かす為に決まっている」

 「生かす為? 道を見失った、誤った私を生かして何になるんです? このまま生きていても、否定してきた自分を取り戻せる筈が無い……。終わりじゃないですか。私は……この生は、間違っていたんだから。結局、私は無価値で無意味な」

 「ならもう一度探せばいい」

 「……」

 「間違えたなら、見失ったなら、もう一度歩み出せばいい。お前ならそれが出来る筈だ。這い上がり、再び追い続けることが出来る気概を見せてくれ。ミーシャ……お前は強いよ。また立ち止まって、迷ったなら俺が剣を貸してやる。他者の評価じゃない自分自身の価値を見出せると信じている。だからミーシャ、一つだけ頼みがある」

 「……何です?」

 「俺が迷って、立ち止まって、剣を手放しそうになったらその意思で俺に追いついて欲しい。尻を叩いて、馬鹿だと罵ってくれても構わない。お前なら……いや、お前にしか出来ないんだ。お前が俺を追い続け、未来と希望を手に取ろうとするなら俺もまたお前を追い続けよう。ミーシャ……頼めるか?」

 嘘偽りの無い言葉と真っ直ぐな期待の瞳。仮面で素顔を覆い隠したアインの手はミーシャに差し出され、少女の答えを待つ。

 「……私、アインさんの期待に応えられないかもしれませんよぉ?」

 「それでもお前なら大丈夫だ」

 「間違ってアインさんにメイスを向けちゃうかも」

 「それならまた剣を握って問答を繰り返そう」

 「……本当に」

 分からない方ですねぇ。晴れ晴れとした顔で笑顔を浮かべた少女は少年の手を取ると、己の過去と絶望を振り切るように立ち上がるのだった。

 

 

 
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