部外者 ①

文字数 2,472文字

 蒼い結晶が手の平から零れ落ち、ガラス瓶にまた一つ滑り落ちる。

 ぬいぐるみを見ては涙を流し、窓の外に広がる雪原から過去を思い出し涙を零す。温かな家族との記憶を、奪われ失った瞬間がイーストリアの涙腺を緩ませ、嗚咽と共に清らかな一滴を瞳から溢れさせた。

 このまま生きていても仕方が無い。孤独に喘ぎ、悲しみに沈む心を救う術を持たぬ己は自死すら選び取れぬ臆病者。甘美なる安らぎを受け賜わる資格など在る筈が無く、この命が尽きる瞬間まで利用され続けるのならば弱き己は苦痛と苦悶に染まる生を歩まねばならぬのだろう。

 何時までこんな穢れた生を過ごさねばならぬ。この身は既に穢され、凌辱された呪われし代物。心に宿る意思は往く道を見失い、誓約を持たぬ力は形だけの抜け殻なのだ。荒れ狂う吹雪の中で白き宝玉を見つけることが至難の業であるように、少女が己の手で未来を掴み取ることは無理難題に近い。

 「……誰か」

 私を助けて……。そう呟いた少女は膝を抱え、涙を流し咽び泣く。何時の日か母より聞いた英雄の到来を夢見ては現実を突き付けられ、果てぬ絶望の牢獄……蒼白の塔に幽閉されるイーストリアは蒼の部屋で一人泣く。

 雪原を……標を持たずして凍土を越えて現れる者は真なる英雄だけであり、標を携え決められた道筋を歩む者は旅人也。イーストリアの一族、既に彼女一人だけとなってしまった精霊種の逸話に残されている一文は廃れ消える定めにある伝説に等しい。だが、疲れ果てた心が縋る英雄の到来は折れかけている少女を支えるには十分で、どんな者であろうと彼女は歓喜に打ち震えるだろう。そう……例えその者がどんな姿であったとしても。

 突然扉が蹴破られ、尋常ならざる殺意がイーストリアの部屋に流れ込む。濃い血の臭いが少女の鼻孔を刺激し、常人であれば身を強張らせてしまう程の激情が絶望の淵に立つ彼女の心に漆黒の牙を剥く。

 人ならざる血の剣士。全身隙間無く黒鉄の鎧で覆い尽くした凶戦士。口元以外を漆黒の仮面で隠す剣士は身体中から血を垂れ流し、灰の剣で串刺しにしていた魔導人形を振り払うと息を荒げながら少女の部屋に歩み入る。

 「何だ? 生きている者が居たのか」

 仮面の奥に見える真紅の瞳がイーストリアを射抜き、剣士の底冷えするような声が少女の鼓膜に響き渡る。

 「安心しろ、別に貴様を害そうとする気は微塵も無い。だが、そうだな……事が終わる迄ジッとしていてくれた方が助かる。なんせ今は」

 目にも止まらぬ速さで投げ放たれたハルバードが剣士の腕を吹き飛ばし、弧線状に広がった鮮血が辺り一面に飛び散った。

 「もう一度お聞きします。貴男は何方様でしょうか?」

 「名乗った筈だがもう一度言えばいいのか? アインだ。それ以上でもそれ以下でもない」

 「可笑しいですね……私が記憶している御方は貴男のような餓鬼では無かった筈ですが……。しかし」

 灰の剣とハルバードが激突し、壁に叩きつけられた剣士……アインは容赦なく振り下ろされる凶刃を転がりながら躱し、剣の刃をメイド服を着る女に叩き付ける。

 「余りにも弱い。あの御方ならば私と戦う事無く敵を圧殺し、殲滅し尽くしていたでしょう。アイン様の名を語る不届き者よ……死を以て償いなさい」

 「死ねないし、敗けられない。誰かの為に」

 「そうですか、では死んでください」

 滅茶苦茶に振るわれた凶刃がアインの肉体を斬り刻み、血肉を飛び散らせ襤褸雑巾に変える。だが、幾ら斬り刻まれようと突き刺されようとも鎧から這い出す影が剣士の傷を塞ぎ、癒着させ彼の闘志を倒れさせまいと力を放出し続ける。

 「あ、あの」

 「やたら頑丈ですね……あの方が創りだした戦闘甲冑よりも脆いようですが、中々骨が折れる」

 「……そうかよ」

 戦っていて分かる。この女は人類でもなければ魔族でも無い。意思を持つ無機生命体……魔導人形だ。

 「あの御方だか、あの方だか誰かは知らんが……少し黙れよ」

 甲高い金属音が鳴り響き、ハルバードの刃を砕いたアインは虎狼のような身の熟しで立ち上がり、瞳に獰猛な殺意を滾らせ剣を振るう。

 魔導人形ならば心臓部か頭部の動力核を破壊すれば動作を止めることが出来る。四肢を斬り飛ばし、達磨にしてから潰してもいい。奥歯を噛み締め、止めどなく溢れる血を宙に飛ばした剣士はメイドの武器を完全に破壊し、その白く細い首へ灰の刃を振り翳す。

 「アイン殿、少々熱くなり過ぎかと。此処には貴男とメイ一号だけが居るわけではありませんので」

 「―――ッ!!」

 銀の短剣が剣の一撃を防ぎ、メイ一号と呼ばれたメイドの前に一人の執事服を着た男が現れる。

 「メイ一号、私共の主を見誤ってはなりません。武器と戦意を抑えましょう」

 「退けバトラー、その餓鬼がアイン様である筈がなかろうに」

 「あぁ、貴女の情報更新プログラムは認知更新型でしたっけ? すみませんね、私と違って貴女は旧型でしたか」

 「……殺すぞ? 若輩者が」

 「我等が主の前で従者が殺し合うなど、カラレゥス様とカラロンドゥ様も納得はしませんよ? 申し訳ありません我が主……私の名はバトラー。その名の通り貴男様の忠実なる執事で御座います。なんなりと御命令を」

 「……貴様等、何者だ? いや、メイ一号という名前には覚えがある。確か……そうだ、カラレゥスが作りだした魔導人形の一体だったな? だがバトラー、貴様のことは覚えていない」

 「餓鬼、貴様が何故カラレゥス様の名を……創造主の名を知っている。今の世界には誰一人としてあの御方の名を知る者は居ない筈。人類であろうと魔族……変異種であろうとだ」

 「メイ一号が無礼を働いて申し訳ありませんアイン殿。しかし……貴男様の状況を鑑みるに記憶の一部を失っていると見る。私は彼の御方より随時情報を更新して貰っている故に貴男様がアイン殿であると理解出来ますが、彼女は己が認知しなければ情報を更新できない身。お許しを」

 ニッコリと笑う男と殺意を垂れ流す女を一瞥したアインは剣を背負い、イーストリアを視界に映すと深い溜息を吐くのだった。

 

 
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