無垢なる無辜 ①

文字数 2,898文字

 人が集まり生の営みを紡ぎ出す様子を集落というのなら、兵や戦士が武器の手入れや訓練をする場を駐屯地という。

 帝都から馬を走らせ、己の部隊が居を構える駐屯地へ辿り着いたアインとラグリゥスは目を丸くすると同時に、唖然とする様子を見せた。

 帝都へ赴く前の駐屯地の様相は草木の中に複数のテントを建て、藁で作った訓練用の案山子が並び立つ殺風景なものだったのに、いざ帰還してみると小規模な村を展開してのだ。煉瓦造りの家々が立ち並び、職人と術師の工房から槌が鋼を打ち据える軽快な音が木霊し、挙句の果てには酒場や飲食店も立ち並んでいた。

 夢を見ているのだろうか? アインは頭を振るい、目を三秒ほど瞑る。此処に村があった筈が無い。この地は帝国が部隊に与えた木っ端な土地で、こんなにも活気溢れる場所では無かった筈だ。彼の副官であるラグリゥスも目を瞑り、深呼吸を繰り返し夢だと思い込もうとしているようだった。

 「お二方、目を開けて下さいませ。部隊の戦士達がお待ちです」

 感情の無い女の声。アインはサレンを腕に抱えたまま本能的に剣を抜くと声がした方へ視線を向け、刃を向ける。

 「……貴様、何者だ」

 「私はカラロンドゥ様とカラレゥス様が作り出した魔導人形で御座います。個体名称はメイ一号。姉妹の中でも私が先に目を覚ました為、一号という名を受け賜わりました。どうぞお見知りおきを」

 メイド服の裾を摘まみ上げ、頭を垂れたメイは光の無い瞳でアインとラグリゥスを見据えた。

 「カラロンドゥ殿とカラレゥスが? いや、先ずはこの駐屯地の変貌を説明できる者は居るか?」

 「それならば私が説明しよう」

 聞き知った声と共に、カラロンドゥが地面に展開された魔法陣から現れる。彼女は厭らしい笑みを浮かべたまま、金糸の髪をかき上げ大杖に身を寄せた。

 「戻ってきたかいアイン殿とラグリゥス殿。お二人が居ない間、カラレゥスが腕を振るって駐屯地を村に作り変えたのさ。いやはや、彼は一流の技術者であると同時に、魔法への知見もずば抜けて高い。流石は魔導の塔を作り上げた者達の統合人格なだけはある」

 うんうんと一人納得したように頷き、メイへ「君は作業中のカラレゥスを手伝ってあげるといい。彼等への説明と案内は私がしよう」と話し、馬から降りたアインの腕の中で眠るサレンの顔を覗き込む。

 「この御方が白の君、アイン殿が欲した姫君か。うむ、実に可愛らしいな、まるで星屑から産まれ落ちた天女のようだ」

 「……カラロンドゥ、カラレゥスがこの村を作ったとはどういうことだ」

 「言葉通りの意味さ。彼は魔導人形の肉体に様々な術式を組み込んでいてね、その術式から自身が開発した魔導具や労働力を呼び出し、戦士達と私が作り出した魔導人形の手を借りて村を作った。魔法と魔導技術の心得を持つ者ならば話を簡単に理解できると思うが、貴公は戦士である故に実際見て貰った方が早い。付いてき給え」

 カラロンドゥを追うようにアインとラグリゥスが後に続く。

 「周りを見てごらん、皆良い顔をするようになった。元々は故郷を帝国に焼かれ、奴隷や戦奴に成り果てた者達の集まりだ、皆新たな故郷と呼べる場所が出来た事を嬉しがっているのだろう。戦いと生死の狭間を彷徨うのは、アイン殿やラグリゥス殿のような根っからの戦士であれば耐えられるが、常人であれば耐えられん」

 酒場で酒のような水を呷る戦士と食事を摂る戦士。男女一組で設計図を眺めては討論する戦士。新たな家に入るか入らざるか、みすぼらしい服を着た幼子の手を引く若い戦士は意を決して新たな人生を築こうと決意する。

 部隊に長く所属し、最古参の戦士達は村の外れに在る訓練場で剣を振るい、鎧を着た魔導人形と一進一退の攻防を繰り広げ己の殺意を磨き上げる。それは己が部隊の剣であると自覚している為か、それとも盾に成ろうとしている為か、それは本人にしか知り得ぬこと。

 「安寧を求めることは悪ではない。変化を受け入れられず、戦い続ける選択を取った者も悪ではない。悪とは、誰かの幸福を踏み躙り、粉砕し、希望も絶望も求めぬ者を言う。
 不変であることに固執し、変化を求めず、常に定まった位置に座す者は歩む事も、立ち止まる事も知らぬ。故に、己が悪だと自覚できずに善を踏み潰す。この部隊の者達は変わり始めている。必死に足掻き、抗った者達は黒い希望に一滴の光を得たのだ」

 アインを見かけた戦士は背を伸ばし敬礼すると、腕に抱えられていたサレンを視界に映す。戦士の瞳に強い殺意の色が浮かび上がり、怨敵の娘である少女に敵意を向けるが彼女がアインの求めていた娘であることを思い出すと小さく舌打ちするだけに終わる。

 「戦奴や奴隷であった戦士達からしたらサレンという少女は憎悪と憤怒、殺意を向けるのに十分な理由を持っている。故郷を滅ぼし、焼き払い、自分達を奴隷にした帝国王の娘であるからな。だが、戦士達は絶対に少女を殺さない。それは何故か分かるかね?」

 「……俺の女だからか」

 「如何にも。敬愛し、畏怖し、己の英雄と信奉するアイン殿の想い人であるが故に戦士達は自分たちの胸に渦巻く敵意と悪意を無理矢理にでも鎮めるだろう。アイン殿という希望に触れ、英雄が存在したから今の自分達が在る。その思いだけで自らの狂気を抑え込んでいるのだ。そして、己の狂気を抑え込んでいるのは戦士達だけではなく、貴公の副官であるラグリゥス殿も同じなのだよ」

 アインの真紅の瞳がラグリゥスを射抜き、黒騎士の身体が僅かに強張った。

 「白の君、白銀の姫君、白痴なる者……。貴公が部隊の者にサレン嬢への愛を示すべきか、彼女が部隊の者に寄り添うか。又は違う選択肢を探すべきか。それを決めるのは貴公とサレン嬢だ。どうするかね、アイン殿」

 一陣の風が吹き、バイザーの隙間から入った風に目を細めたアインはサレンの頬を優しく撫で、変わらぬ激情を燃やす。

 「行動で示すべきだろう。俺も、サレンも、皆に行動を以て示すべきだ。ただ動かず、語らず、立ち止まっているだけでは前に進めない。サレンに生と剣を捧げた選択が憎悪と憤怒を招こうと、俺はこの娘を絶対に手放さない。俺の意思と誓いで守り続ける。彼女の歩みを支え、剣を振るうだけだろう」

 この選択が間違いだとしても、正しかったとしても、アインの考えは既に決まっている。サレンという少女を守り、共に生きたいという意思は確固たる意思によって決定づけられている。

 「……案外と、貴公は一途でロマンチストらしい。ならば頑張り給え、私は貴公とサレン嬢の味方だ。そう、永遠にな」

 「どういう意味だ?」

 「言葉通りの意味さ。ラグリゥス殿、アイン殿はこう言ったが貴公はどうする?」

 複雑な表情をしていたラグリゥスは、大きな溜息を吐くと疲労を浮かべながら「私はアイン殿が選択したものに口を出しませんし、我等の英雄を支えるだけです。稀有な心配ですよ、カラロンドゥ殿」と、真面目な顔で話した。

 「なら安心だ。さ、ついておいで。アイン殿とサレナ嬢の新居に案内しよう」

 そう言ったカラロンドゥは再び村の中を二人を連れて歩き出した。
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