吹雪 ②

文字数 2,283文字

 「これはこれはエルストレス、盛大な歓迎ね。どういった心境の変化で?」

 「い、いやぁ、そろそろ君が来る頃だと思ってね! 上級魔族を迎える為の」

 「御託は結構。エルストレス、工房への標を渡しなさい」

 頭を下げたまま言を話すエルストレスを馬上から見下ろし、壊れた機械のように「イエレザ様! 上級魔族万歳! 魔軍に栄光あれ!」と叫ぶ民衆を一瞥する。

 「長旅だっただろう? 先ずは宿に」

 「いいえ? 三日程度の旅が長旅ならば、数か月に渡る行軍は死への出で立ちでしょう。ハッキリと言えばいいかしら? ……貴男の言葉とこの馬鹿げた歓迎ムードなど無駄でしかないの。時間稼ぎをしたいのならもっと有効的な手段を考慮するべきね」

 民を見渡し、彼等の衣服と顔色からイエレザは町を覆う欺瞞を見抜き、エルストレスが用意した嘘を見破る。

 仕立て卸したばかりの衣服には生活感がまるで無く、民の目元に見える隈は疲労を訴え青黒い色を沈着させていた。エルストレスが偽装工作の為に用いた衣服はイエレザの観察眼を欺くことは叶わず、長時間労働を課せられる民の疲れを隠すことは出来なかったのだ。

 「そう先を急がずに休んで行ってくれよ! 僕は」

 「……一つ、貴男は勘違いしているわ」

 「な、何が」

 「私は貴男の工房を

する為に此処に来て、飲み食いする為に足を運んだワケではないの。愚心は新たな失態を呼び込むと云うけれど、私を騙したいのならもう少し手の込んだ芝居を打つべきね。さぁ、早く標を出しなさい」

 目の前に居る存在は小娘の皮を被った化け物だ。上級魔族の二つ名を持つイエレザをこれ以上欺く事は不可能。抗おうとも圧倒的な力でねじ伏せられ、工作を用いようとも彼女の瞳からは逃れられない。これ以上足を止めることが無理だと断じたエルストレスは懐から鈍色の札を取り出し、イエレザに献上した瞬間一人の剣士が前に出る。

 「貴様」

 「な、何だ!? た、たかが剣士の、小僧風情が僕の前に」

 「貴様じゃない。俺が呼んだのは其処らに立つ子供達だ」

 重い鋼の音を響かせ、大人たちの足元で声高々に叫ぶ子供達へ歩み寄ったアインはその瞳を覗き込み、小さく舌打ちをする。
 
 「イエレザ」
 
 「何でしょう? アイン様」

 「一つ聞きたい事がある」

 「ええ、どうぞ」

 「魔族にも催眠効果がある薬物は利くのか?」

 「そうですね……効果が無いと一概には言えませんが、耐性が無い種族は何の抵抗も出来ないでしょう」

 「そうか」

 ゆっくりと立ち上がり、剣の柄を握ったアインは神速の剣技を以てエルストレスの眼前へ刃を走らせ。

 「下種が……吐き気がする」

 と、小さく呟いた。

 「げ、下種だと!? こ、こ、この僕のことを、下種と呼んだのか!?」

 「屑を下種と呼んで何が悪い。あぁ……塵屑と呼んだ方が良かったか? 悪いな、塵滓」

 剣士の真紅の瞳が眩いばかりの輝きを発し、剣の刃に空間を捻じ曲げる程の殺意を纏わせエルストレスの頬を薄く斬る。

 「い、いいのか!? い、イエレザはともかく、貴様風情がこんな真似を」

 「困るのは何方だろうな……俺か? イエレザか? それとも貴様か? 先に言っておこう屑……俺は彼女ほど甘くは無いぞ」

 一閃。灰の剣閃がエルストレスの衣服を薄皮一枚斬り裂くと頭に被る羽根帽子を宙に飛ばす。

 「は……あ? えぁ?」

 「どうした? 剣を抜けよエルストレス。貴様は己より弱い者にしか力を示せない塵か? 次はそうだな……その首を撥ねてやろう」

 「ひ―――!!」

 後ろに下がり、恐怖の色に染まったエルストレスは民の中に紛れ込み、町の中へ逃げ込む。その後ろ姿を見送ったアインは一つ息を吐き、剣を背負い直すとイエレザへ視線を向ける。

 「イエレザ、これでいいか?」

 「ええ、見事な芝居でしたわアイン様。本当に彼を殺して仕舞うのではないかとこっちが肝を冷やしました」

 「情報を集めきっていないのに殺す馬鹿は居ない。そうだな……先ずは催眠状態を解除する方法を考えるべきか。ミーシャ、荷物の中に精神安定剤があった筈だ。少し探してみてくれないか?」

 「えぇ? あれは私達の物ですよねぇ? 何で見ず知らずの人に与えるんですかぁ? それに、私は馬から降りたくないんですよぉ。アインさんが探して下さい」

 「……ミーシャ、お前」

 「それにアインさんがずっと荷物を管理していたじゃないですかぁ。もし私が手を出して、中身が滅茶苦茶になったらどうしますぅ? ほらぁ、さっさと手を動かして下さいぃ」

 「……」

 何を言ってものらりくらりと躱され、ミーシャへの指示を諦めたアインは荷を解き紫色の粉末が詰まった麻袋を取り出す。

 「確かこれが精神安定剤だったな。使い方を教えてくれ」

 「ただ地面に叩き付けるだけですよぉ。まぁ、戦場での混乱状況を解消する為の薬なので効果は直ぐかとぉ」

 「分かった」

 何の迷いも無しに麻袋を地面に叩き付け、粉を風に乗せると民衆の歓声が止み、皆疲労した様子で地面にへたり込む。

 「た、助かりました、上級魔族イエレザ様と御付きの戦士……。申し訳ありませんが、少しばかり息を整える時間を下さい」

 逞しい顎髭を蓄えた老人が咳き込み、彼の妻と思わしき老婆がその瘦せこけた背を撫でる。

 「貴男がこの町の最高責任者ですか?」

 「はい……私の名はダノフ……。イエレザ様……お願いが御座います」

 「聞くだけ聞きましょう」

 「この町を……雪原に生きる彼の精霊種を……お救い下さい」

 老人……ダノフの白く濁った瞳が黒い少女と黒鉄の剣士を見据え、深々と頭を垂れると白い息を吐き出した。
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