冥府魔道 ③

文字数 3,013文字

 半透明の戦奴達は何も語らない。あれほど囁き、囀り、アインを群体の中へ取り込もうとしていたのに、今は穏やかな表情を浮かべたまま彼を優し気な瞳で見つめるだけ。その瞳には生前宿していた憎悪、憤怒、殺意の一片も存在していなかった。

 「アイン殿、貴公には何が見えている?」

 カラロンドゥの言葉は剣士に届かない。彼女の目には戦奴の亡霊など見えておらず、その視線の先に存在するのは砂漠と砂塵。そして、攻略対象である魔導の塔と呼ばれる巨大な魔導要塞。そればかり。

 「……過去の俺は貴様等の顔を覚えようとしなかった。殺意に塗れた瞳が映す世界は血と肉だけが存在していた。俺は既に死した貴様等戦奴の顔が分からない。分からないが、記憶の片隅では覚えていたのだろう」

 戦奴の亡霊を一人ずつ見据えたアインは剣を背負い直し、背を向ける。

 「死した者に生ある者を害する権利は無し。死んだ時点で貴様等の生は終わったのだ、未練が在ろうと無かろうと貴様等は死した者故に現世に干渉する術は無し。俺は英雄でも無ければ王でも無い。ただ、生前貴様等が英雄や王と呼んでいただけに過ぎん」

 「アイン殿、貴公は何を言っている?」

 「カラロンドゥ、貴様には亡霊は見えていないのだ。見えていないし、声を聞いていない。……俺は、無数の犠牲と屍の上を歩かねばならんのだろう。俺が殺した者は
恐れと嫌悪を抱いて俺の前に現れない。だが、俺を英雄と呼び、王として見ていた者は死した後でも現れる。狂ったと思うだろうが、これは事実だ」
 
 アインの足が地面を踏み締め、歩みを進める。自身に背を向け、次の戦場へ向かう剣士の黒甲冑へ吸い込まれるようにして取り込まれた戦奴の亡霊は、生前のように彼へ従属と屈服の意を示す。

 「この黒甲冑には貴様の魔法術式と魔導機構が備わっていると言っていたな? 話せ」

 「……奴隷部隊は皆貴公の意思に触れ、歪なる希望を宿している。歪……何が歪んでいるか。それは、光ある希望では無く、闇の欠片を宿した希望を持っている。未来ある意思は正に光と云えよう。だが、黒々とした刹那の生を求め、殺意と憤怒によって生きている。これを歪なる希望と言わず、何と言おう」

 黒甲冑の装甲を軽く叩いたカラロンドゥは言葉を紡ぐ。

 「その黒甲冑は貴公に忠誠を誓った戦奴の意思と魂が宿っている。大剣の紋章を刻んだ戦奴の甲冑は私が特別に術式を組み込んだ装備。死した者は紋章の効果により魂と意思を黒甲冑に取り込まれ、貴公の命が続く限りその身に燃え盛る激情を糧として死して尚戦い続けるのだ。人は死ねば無に帰る。無に帰るが、その者が宿した意思と誓いはアイン殿の力に加わり、戦場を駆ける」

 「……」

 「黒甲冑の名はそうだな……甲冑に取り込まれた者は不死の存在と成り、忠誠を誓った者へ協力無比な力を与えるノスフェラトゥと変貌する。となれば、黒甲冑の名はノスラトゥ。不死なる死者と共に戦場を駆け、敵を殲滅する人外染みた力は貴公と共に在る」

 戦闘甲冑ノスラトゥ。黒い装甲に包まれた甲冑の内部には死した戦奴が無数に取り込まれているも、その全員がアインに対して絶対的な忠誠を誓っている為、彼が激情を絶やさずに燃やし続ける限り黒々とした希望の意思を力へと変換し、共に在り続ける。戦い続ける限り死した者は生き続け、奴隷部隊の英雄或いは王の道を切り拓く。

 「……俺は、奴等の顔が分からなかったというのに、何故力を貸そうとする」

 「それはアイン殿が戦奴達の命を知らず知らずに生き永らえさせ、歪ながらも生きる希望と意思を炊き付けた為だよ」

 「勝手に生きているだけだ。俺は何もしていない」

 「何もしていないと言うが、アイン殿が率いる奴隷部隊の全員が貴公の為ならば命さえ惜しく無いと言うだろう。英雄とは、自分自身で成ろうとは思わずとも、誰かに求められたその時に誕生する。アイン殿、貴公は既に英雄にも王にも成れる素質を携えている。狂気、殺意、憤怒、憎悪、悪しき激情でも其処に確固たる意思さえ在れば、意味は成立する」

 「……誰がどう思おうと、縋ろうと、俺は俺の為に戦うだけだ。其処に他者は存在しない」

 「アイン殿」

 カラロンドゥの緋色の瞳がアインの瞳を見つめる。

 「運命から逸脱し、剣を向けるのは人が歩むには困難極まりない道。もし貴公が剣を運命へ突き付け、全てを殺すと言うならば己の力を理解し、反逆の牙を研がねばなるまい。それが、人の形をした何か……世界を殺し破壊する儀なる力を持つ者の定めでしょう」

 そう、破界儀を持つ者ならば。






 ……
 ………
 …………
 ……………
 ……………
 …………
 ………
 ……





 奴隷部隊キャンプ地へ戻ったアインとカラロンドゥを視界に映したラグリゥスは、作戦地域を詳細に記した地図をそのままに二人へ歩み寄る。

 「アイン殿、カラロンドゥ、何処へ行っていたのですか? それに、その甲冑は遂に完成したようですね」

 「ああ、ラグリゥス殿。我々の切り札は揃ったようだ。アイン殿に作戦の説明を」

 「分かりました。アイン殿とカラロンドゥは此方へ」

 作戦区域の地図に自軍の駒を並べ、攻略対象の魔導要塞を模した駒を地図の中心に添えたラグリゥスは木の棒を図面に滑らせる。

 「攻略対象の魔導の塔は周囲の生命体と、空気中に含まれる魔力を吸収する完結した巨大魔導機構です。装甲は全面魔導鋼に覆われ、魔力を用いた術や兵器は通用しません。帝国の殲滅兵器である大型破壊砲塔の一撃もいとも容易く打ち消し、砲撃の際に生じた魔力をも吸収し、魔導の塔は完全に近い独立形態を獲得しました」

 「……」

 「魔力による攻撃は通用しない。ならば物理的な兵器や多数の人員を配備した場合はどうなるのかね?」

 「物理的な攻撃……剣や弓矢、大砲などの攻撃は対象に近づく前に撃ち落とされるか、殺されるだけです。過去に帝国は二度魔導の塔へ人海戦術を用いた戦闘を行いましたが、結果は惨敗。ただ兵を失っただけであり、作戦を強行した将校は処刑されました」

 「まぁそうだろうね。私が見た限り、魔導の塔には飛行型対人兵装が備わっている。それも一つじゃない、塔の装甲全てが対人兵器として運用されるようになっている。
 魔導機構という技術の発端は、人の失われた部位を魔力を用いた機械で補う為に開発された技術であるが、皮肉にも戦争となれば人殺しの技術として転用される。あの魔導要塞を建造し、運用する者は深い憎悪と憤怒、狂気に支配されていると見える」

 正に難攻不落の巨大要塞、殺しの為に建造された魔導機構の完成系、人を殺戮するという意思に憑りつかれた技術者の成れの果て。絶海の砂漠に一つだけ存在する魔導の塔、周囲の砂漠の砂は死した兵が魔力を奪われ干からびた為に出来たもの。

 圧倒的な屍の中で静かに佇む塔の技術者は何を思うのか。答えはその者にしか分からず、第三者が推測する事など不可能である。だが、確かに分かる事は一つ。魔導の塔は生命を殺す為だけに存在している事実だけ。

 「ラグリゥス殿、貴公はあの塔をどうやって攻略するおつもりか」

 「……奴隷部隊はアイン殿に命と意思を捧げた部隊。大剣の刻印が刻まれた者が死ねば、甲冑へ力が集まりアイン殿は無限に強くなれる。故に」

 「自分達が死して俺に力を託す。そう言いたいのか? ラグリゥス」

 そう言ったアインの瞳に憎悪が宿り、言葉には憤怒と殺意が込められていた。

 
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