否定 ①
文字数 2,478文字
柔らかい微睡みから意識を引き上げ、瞼を擦りながら目を覚ましたイーストリアは大きく伸びをする。
今日は良く眠れたような気がした。悪夢を見ることもなく、何処か懐かしい夢……母と父が頭を撫でてくれた夢を見た少女は、目尻から零れ落ちた涙を指で拭う。
「目が覚めたかイーストリア。寝起き早々で言うのも何だが、外に出る準備をした方がいい」
「……アイン、さん? あの、どうしたんですか?」
「時が来た。それだけだ」
「時が、来た? えっと、あの、私は」
「バトラー、準備は出来ているな?」
「はい。何時でも此処を発つことが出来ますよアイン殿」
分かった。黒鉄の鎧に身を包み、灰の剣を背負ったアインはバトラーへ視線を向け、椅子から立ち上がる。
「あ、アインさん、その、準備って、私はどうすれば」
「お前の荷物はバトラーが既に準備を済ませている。後は防寒具を着て、塔を出るだけだ。バトラー、イーストリアを頼む」
「貴男様の御意向のままに……。魔族、呆けている暇は無い。服を着替え、必要な物を再確認しろ。時間はあまり無いと思え」
「は、はい……」
言われるがままに荷物を漁り、雪原を越える為の道具を確認する少女を眺めたアインは剣の柄を握り、部屋の扉を開く。
「アイン殿」
「何だ」
「塔の観測室に自動崩壊術式を起動させる制御装置が御座います。鍵は貴男自身と心得て下さいませ」
「あぁ」
「それと……メイ一号と敵対した際は」
「何とかする」
「……」
「今の俺は、この時代を生きる一つの命だ。奴が千年前のアインだけを信じ、俺と剣を交えようとするのならば戦うしかないだろう。だが、もしメイ一号が今を生きる選択肢を選んだなら、俺が全ての責を負う。信じて待っていろ」
「……分かりました。では、行ってらっしゃいませ、アイン殿」
「あ、アインさん! ま、待って、下さい!」
イーストリアが剣士に駆け寄り、結晶が詰まった小瓶を渡す。
「あの、その、ど、何処に、行くんですか?」
「この塔を破壊する。此処はこの時代には無用の長物だ。こんな場所は存在しない方がいい。しかしイーストリア……何だこれは」
「えっと……もし、怪我をしたら、砕いて下さい。致命傷じゃなければ、大抵の傷を癒すことが出来ますから……。あの、お願いがあるんですけど、いいですか?」
「聞こう」
「め、メイさんを、助けて、殺さないで欲しいんです……。あの人には、何時も、お世話されていたので……。だから、お願いしますアインさん! 彼女を」
「……どうなるかは分からん」
「……」
「俺がこの塔を破壊しようとしている事を奴が知れば、殺し合いになるだろう。メイ一号が過去を追い続け、残影だけを求めるのなら衝突は免れない」
千年前の主から命令を遵守し、王と英雄の帰還を待ち続けるメイ一号は何としても塔を守り切ろうとするだろう。故に、塔の破壊を目的とするアインとは相容れない。
「だが、出来るだけお前の願いを叶えられるように、努めてみよう」
「じゃ、じゃあ!!」
「どうなるかは分からんと言っただろう? 努力はする、安心しろ」
小瓶を襟に仕舞い込み、真紅の瞳に殺意と激情を宿らせた剣士は少女の頭を撫で、歩き出す。
「バトラー」
「はい」
「後は頼んだ」
「ご命令、受け賜わりました。この魔族の命は私が責任を持って守りましょう。故に、貴男様は御自身の意思を成して下さい。ご武運を、アイン殿」
「……あぁ」
短い返事を返したアインは猛烈な勢いで階段を下り、半ば転がり落ちるようにして駆け出した。
…
……
………
…………
……………
……………
…………
………
……
…
「……」
何時もと変わらない業務を続けるメイ一号の首筋が……頭蓋に似せて作られた頭部が軋む。
「……」
荒れ狂う殺意の暴風と超圧的に煮え滾る激情の渦。上階から迫り来る存在が、地下を目指して突き進んでいるようだった。
箒を放り捨て、姉妹を呼び出そうと指を鳴らすが、その音に反応する魔導人形は誰一人として存在しない。
おかしい……。何故どの魔導人形も己の呼び声に反応しない。姉妹達とはどれだけ距離が離れていようとも、魔導回路の繋がりが在る限り互いの存在を感じ取れる筈。この呼び声を無視できる筈が無い。
「バトラー……其処まであの餓鬼の肩を持つのか? アレは……あの小僧はアイン様でない。彼の王で在る筈が無い」
塔に存在する全魔導人形の指揮制御権を書き換え、上書き出来る魔導人形は一体だけ……。バトラーの裏切りに感づいたメイは箒を投げ捨て、黒鉄のハルバードを空間から引き抜き脅威に対して身構える。
一秒、二秒、三秒……黒い閃光がハルバードの刃とかち合い、地面に罅が入る程の衝撃を受け流したメイは華麗な足捌きで剣を振り上げるアインを蹴り飛ばし、ぐるりと己の得物を回す。
「貴様……命知らずの大馬鹿者か? それとも、本気で私を殺そうとしていたのか? 答えろ、餓鬼」
砕けた瓦礫の中から這い出し、真紅の煌めきを放つ瞳をメイに向けた剣士は口に溜まった血を吐き捨て「剣を退け、メイ一号。貴様に用があるわけではない」再び灰の剣を握り締める。
「私に用が無いだと? あれだけの殺意を纏い、激情を宿していてその言葉は無いだろうに……。貴様、バトラーはどうした?」
「奴なら既にイーストリアを連れて雪原に向かっているだろうな。俺は己が成すべきことをする為に、観測室へ行く必要がある。貴様と殺し合う気は毛頭無い」
「……小僧、あの娘には帰る場所が無いんだぞ? 家族も、友人も、一族が死に絶えた故に身を寄せる場所が無い。それを知っていて、雪原へ逃がしたのか?」
「ああ」
刹那、アインの鎧が砕け、斬り裂かれる。メイが振るったハルバードは剣士の動体視力を易々と凌駕し、黒鉄を若草を断ち斬るが如く切断した。
「貴様の選択に同意する必要も無ければ、認める必要も無い。餓鬼、まさか貴様はこの塔を破壊するつもりじゃなかろうな?」
その言葉を聞いたアインは口角を吊り上げ、不敵な笑みを浮かべた。
今日は良く眠れたような気がした。悪夢を見ることもなく、何処か懐かしい夢……母と父が頭を撫でてくれた夢を見た少女は、目尻から零れ落ちた涙を指で拭う。
「目が覚めたかイーストリア。寝起き早々で言うのも何だが、外に出る準備をした方がいい」
「……アイン、さん? あの、どうしたんですか?」
「時が来た。それだけだ」
「時が、来た? えっと、あの、私は」
「バトラー、準備は出来ているな?」
「はい。何時でも此処を発つことが出来ますよアイン殿」
分かった。黒鉄の鎧に身を包み、灰の剣を背負ったアインはバトラーへ視線を向け、椅子から立ち上がる。
「あ、アインさん、その、準備って、私はどうすれば」
「お前の荷物はバトラーが既に準備を済ませている。後は防寒具を着て、塔を出るだけだ。バトラー、イーストリアを頼む」
「貴男様の御意向のままに……。魔族、呆けている暇は無い。服を着替え、必要な物を再確認しろ。時間はあまり無いと思え」
「は、はい……」
言われるがままに荷物を漁り、雪原を越える為の道具を確認する少女を眺めたアインは剣の柄を握り、部屋の扉を開く。
「アイン殿」
「何だ」
「塔の観測室に自動崩壊術式を起動させる制御装置が御座います。鍵は貴男自身と心得て下さいませ」
「あぁ」
「それと……メイ一号と敵対した際は」
「何とかする」
「……」
「今の俺は、この時代を生きる一つの命だ。奴が千年前のアインだけを信じ、俺と剣を交えようとするのならば戦うしかないだろう。だが、もしメイ一号が今を生きる選択肢を選んだなら、俺が全ての責を負う。信じて待っていろ」
「……分かりました。では、行ってらっしゃいませ、アイン殿」
「あ、アインさん! ま、待って、下さい!」
イーストリアが剣士に駆け寄り、結晶が詰まった小瓶を渡す。
「あの、その、ど、何処に、行くんですか?」
「この塔を破壊する。此処はこの時代には無用の長物だ。こんな場所は存在しない方がいい。しかしイーストリア……何だこれは」
「えっと……もし、怪我をしたら、砕いて下さい。致命傷じゃなければ、大抵の傷を癒すことが出来ますから……。あの、お願いがあるんですけど、いいですか?」
「聞こう」
「め、メイさんを、助けて、殺さないで欲しいんです……。あの人には、何時も、お世話されていたので……。だから、お願いしますアインさん! 彼女を」
「……どうなるかは分からん」
「……」
「俺がこの塔を破壊しようとしている事を奴が知れば、殺し合いになるだろう。メイ一号が過去を追い続け、残影だけを求めるのなら衝突は免れない」
千年前の主から命令を遵守し、王と英雄の帰還を待ち続けるメイ一号は何としても塔を守り切ろうとするだろう。故に、塔の破壊を目的とするアインとは相容れない。
「だが、出来るだけお前の願いを叶えられるように、努めてみよう」
「じゃ、じゃあ!!」
「どうなるかは分からんと言っただろう? 努力はする、安心しろ」
小瓶を襟に仕舞い込み、真紅の瞳に殺意と激情を宿らせた剣士は少女の頭を撫で、歩き出す。
「バトラー」
「はい」
「後は頼んだ」
「ご命令、受け賜わりました。この魔族の命は私が責任を持って守りましょう。故に、貴男様は御自身の意思を成して下さい。ご武運を、アイン殿」
「……あぁ」
短い返事を返したアインは猛烈な勢いで階段を下り、半ば転がり落ちるようにして駆け出した。
…
……
………
…………
……………
……………
…………
………
……
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「……」
何時もと変わらない業務を続けるメイ一号の首筋が……頭蓋に似せて作られた頭部が軋む。
「……」
荒れ狂う殺意の暴風と超圧的に煮え滾る激情の渦。上階から迫り来る存在が、地下を目指して突き進んでいるようだった。
箒を放り捨て、姉妹を呼び出そうと指を鳴らすが、その音に反応する魔導人形は誰一人として存在しない。
おかしい……。何故どの魔導人形も己の呼び声に反応しない。姉妹達とはどれだけ距離が離れていようとも、魔導回路の繋がりが在る限り互いの存在を感じ取れる筈。この呼び声を無視できる筈が無い。
「バトラー……其処まであの餓鬼の肩を持つのか? アレは……あの小僧はアイン様でない。彼の王で在る筈が無い」
塔に存在する全魔導人形の指揮制御権を書き換え、上書き出来る魔導人形は一体だけ……。バトラーの裏切りに感づいたメイは箒を投げ捨て、黒鉄のハルバードを空間から引き抜き脅威に対して身構える。
一秒、二秒、三秒……黒い閃光がハルバードの刃とかち合い、地面に罅が入る程の衝撃を受け流したメイは華麗な足捌きで剣を振り上げるアインを蹴り飛ばし、ぐるりと己の得物を回す。
「貴様……命知らずの大馬鹿者か? それとも、本気で私を殺そうとしていたのか? 答えろ、餓鬼」
砕けた瓦礫の中から這い出し、真紅の煌めきを放つ瞳をメイに向けた剣士は口に溜まった血を吐き捨て「剣を退け、メイ一号。貴様に用があるわけではない」再び灰の剣を握り締める。
「私に用が無いだと? あれだけの殺意を纏い、激情を宿していてその言葉は無いだろうに……。貴様、バトラーはどうした?」
「奴なら既にイーストリアを連れて雪原に向かっているだろうな。俺は己が成すべきことをする為に、観測室へ行く必要がある。貴様と殺し合う気は毛頭無い」
「……小僧、あの娘には帰る場所が無いんだぞ? 家族も、友人も、一族が死に絶えた故に身を寄せる場所が無い。それを知っていて、雪原へ逃がしたのか?」
「ああ」
刹那、アインの鎧が砕け、斬り裂かれる。メイが振るったハルバードは剣士の動体視力を易々と凌駕し、黒鉄を若草を断ち斬るが如く切断した。
「貴様の選択に同意する必要も無ければ、認める必要も無い。餓鬼、まさか貴様はこの塔を破壊するつもりじゃなかろうな?」
その言葉を聞いたアインは口角を吊り上げ、不敵な笑みを浮かべた。