花と水の都 ③

文字数 2,688文字

 「断罪者、具合はどう?」

 「問題ない。直ぐにでも奴を追う」

 「問題ない方が問題よ。貴男、自分が今どういう状態なのか理解しているの?」

 「ああ」

 「なら直ぐに動くなんて言えない筈よ。大人しく休んでいた方がいいわ」

 身体中に包帯を巻き、どうして生きているのか不思議な程の傷を負った男、断罪者は軽鎧を身に纏うと黒いコートに袖を通す。

 「我がこうして休んでいる間にも罪人は無辜なる民を傷付け、罪の火種を撒き散らす。止めるな、喚くな、囀るな。エリュシア、貴様は貴様の職務を全うしろ」

 髑髏の仮面で素顔を覆い隠した黒衣の女……エリュシアと呼ばれた女は深い溜息を吐き、彼女特製の魔法薬を断罪者へ投げ渡す。

 「私は誰かさんのおかげで自分の業務には全く支障をきたさない実力があるし、自信もある。断罪者、奴を断罪することは確かに貴男の悲願であり、この世の何よりも優先すべきこと。けど、今の貴男があの悪魔に立ち向かうなんて不可能にも程があるわ」

 「不可能ではない。奴は……罪人は我が斬らねばならぬのだ。我が妻と子の無念を晴らす為、復讐を果たす為に我が意思と誓約は天秤と共に在る。エリュシア、貴様こそ無理に我を追う必要も無い。己の使命を果たすがいい」

 断罪者……否、自身の名を捨て人としての幸福さえも捨て去った男に残った願いは罪人への憎悪と憤怒、復讐に対する身を焦がす程の強い執着心、ただそれだけだった。どれだけ身を削られようと、無辜なる民から恐れられようと、断罪者としての使命を魂に刻んだ男は決して歩みを止めず、荒涼たる罪罰の方途を往く。

 その先にあるものは破滅か絶望か、それとも果てしなく広がる無の残骸か。もし復讐を果たした後、彼に何も残らなくとも断罪者という人間は後悔の一つもしないだろう。己が歩んできた旅路、刻んだ意思、掲げた誓約、その全てが間違いであったとしても恥は無い。無慙無愧……その言葉が彼を言い表すことこの上ない事実なのだ。

 「……断罪者、私が言うのも何だけど人は己の為に生きるものじゃないの? 貴男を見ていると本当に貴男が人間であるか疑わしくなる時があるわ」

 「人は鬼を裁けず、鬼は人を殺めるのだエリュシア。貴様も断罪者の一人であるのならば人として、鬼として生きねばならん。傀と云う言葉があるように、我々は人の身で化外となり、人心を忘れずにして鬼という罪を斬る。その行いと意思は傀儡に非ず、己が己を律する必要がある」

 「それは私に言っている言葉だと解釈するけど、貴男自身にも言っているものね」

 「如何にも。我は奴を目の前にして冷静さを失い、憤怒と憎悪の鬼として剣を振るった。先の戦闘を見ていたならば、貴様は人心を忘れずに感情で動くことを禁と刻め。我の愚行を是と見做さず、非と見做せ」

 周囲をぐるりと見渡し、薬品の臭いを嗅ぎ取った断罪者は己が横になっていたベッドと魔導具から、此処が一種の診療所であると推察し、少しだけ古びたドアノブを握る。

 「何処に行くつもり?」

 「装備品と魔導具、魔石の補充だ」

 「此処が何処か分かってる?」

 「睡眠時間、移動時間、森と都市の距離から計測するに魔導国家ワグ・リゥスだと推測する。ワグ・リゥスならば良質な魔導具と魔石、魔法薬を手に入れることが出来るだろう」

 「ご名答」

 エリュシアの姿が影に溶け、断罪者の足元から伸びる影に収まる。周囲の影に身を隠し、世界から己という存在を隔絶する魔法は彼女の秘儀から呼び起こされる特殊な技。大聖堂に属する他の断罪者達がエリュシアという断罪者を知らず、見たことすらもない奇妙な逸話は、この特殊技能の賜物である。

 ワグ・リゥス……。この国家、もとい都市に訪れるのは久方ぶりだった。都市に生きるエルファンや人間が作り出す魔導具、魔法薬はどの都市でもお目に掛かれない一級品の品々ばかり。魔導機構を兼ね揃えた己の剣を眺めた断罪者は武器の手入れをするべく街へ向かおうとドアを開けた瞬間、断罪者の目の前に一人の男が立っていた。

 「あ、目が覚めようですね。こんにちわ、えっと」

 「断罪者。我のことはそう呼んでくれても構わない」

 「断罪者? それは組織の名ですよね?」

 「既に名を捨てた男故、名乗るは断罪者。治療を施して貰ったこと、ベッドを貸して貰ったことに感謝する。金はこれくらいで足りるだろうか?」

 懐から金貨袋を取り出し、そのまま男に手渡した断罪者は慌てた様子で余剰分の金貨を返す男を無視し、診療所の出口から街へ足を踏み出した。

 魔導国家ワグ・リゥス。都市に住む人口の大半がエルファンで構成された魔法の都。道行く人々の多くは魔力に優れたエルファンであり、人間やドルクといった人種は多く見られない。

 花壇に咲き誇る花々を一瞥し、都市の路地裏へ赴いた男は石畳を規則正しく踏み歩き、酒に酔った浮浪者のような足取りで民家の壁に寄り掛かる。

 「……どなたで?」

 壁の中からしわがれた老人の声が響いた。

 「断罪者……否、復讐者と云えば貴様なら理解できるだろう」

 「それだけならば腐る程居ろう。貴様は何者か問うている」

 「鬼を追うては鬼を斬り、人を追うては鬼と蔑まれる人鬼也。人の身であれば鬼を裁けぬ。人心を忘れては人を裁けぬが我が意思にして誓約。下らぬ問答など無意味に等しく、無価値とは言い難く。工房を開け、ゲール」

 クツクツと……愉快な笑い声が壁の中から響き、煉瓦が横に割れると古び苔むした木製の扉が闇の中に現れた。

 「……断罪者」

 「何だ」

 「ゲールの秘密工房を覚えていたのね」

 「ああ」

 錆びたドアノブを握り、開いた先には仄暗い通路が伸びていた。通路に漂う空気には黴の臭いが充満し、天井から滴る水滴が石畳を弾き、うっすらとした湿り気を帯びていた。

 「貴男、ゲールを知っているの?」

 「知っているとも。奴は我の師であり、先駆者でもある。……断罪者としては奴は優秀過ぎた。血も涙も無い断罪者程大聖堂に疎まれる存在はいないだろう? 大聖堂の高官共が築き上げた利権と拝金システムを破壊し尽くし、我々という存在の恐怖を人類に刻み込んだ者こそが断罪者ゲール。今はもう引退し、隠遁生活に馴染んでいるが現役の頃のゲールはそうだな……無頼という二つ名を冠していた」

 通路の奥にある扉を開け放ち、椅子に腰かけたドルクの老人……ゲールを見据えた断罪者は彼に促されるまま対面の椅子に座り。

 「例の物を受け取りに来た」

 「そう思っていた。嗚呼、復讐とは、罪とは、円環になりて受け継がれる意思なりや」

 と、仮面を被った老人が懐から取り出した小箱を受け取った。
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