鉄と炎を ④

文字数 2,483文字

 工場の方が騒がしい。イエレザの策が上手くいったのだろうか?

 建物の影に身を潜め、渇いた下唇を舌先で舐めたミーシャはナイフでワイヤーを切断し、錆びた釘と火薬が詰まった空き缶に繋ぐ。

 「……」

 今直ぐに工場の様子を見に行くべきだろうか? 罠を仕掛ける仕事を放棄して?逡巡するミーシャの思考とは裏腹に、彼女の手は罠を作り続け、順調に仕事を熟しつつある。

 「……イエレザ様ぁ」

 「どうしたの?」

 「私は工場へ戻るべきですかぁ? それともこのまま罠を仕掛けるべきですかぁ?」

 「判断は貴女に任せるわ」

 「……」

 通信用魔導具の向こう側でイエレザがどんな表情を浮かべているのか少女には皆目見当もつかなかった。牙を剥いて醜悪な笑みを浮かべているのか、無表情の仮面を被り駒の動きをジッと見つめているのか……。幾重にも折り重なった仮面の下にどんな顔があるのか分からない。盤上を見つめる指し手の表情など、駒の一つであるミーシャには分かる筈がないのだから。

 ピンとワイヤーを張り、光の反射を隠す為に少量の砂を掛けた少女は三人組の傭兵を視界に映すと素早く移動し、民家の裏に置かれていたゴミ箱を漁る。
 
 使える物は何でも使う。それが捨てられた空き缶や瓶でも構わない。同族同士の戦いは相手に対してどれだけ傷を負わせられるかに掛かっている。

 空の容器と火薬、錆びた刃物、ワイヤー、その四つの道具さえあれば破傷風の引き金が揃う。同族殺しの制約が存在する以上、相手の足を止められる術は病と傷なのだ。

 後方で火薬が炸裂する音が聞こえ、男達の悲鳴と怒号が飛び交った。一つ目の罠が作動し、足を止める事に成功したようだ。懐中時計を取り出し、時間を確認したミーシャは足を押さえて喚く傭兵を一瞥する。

 ちまちま相手の戦力を削ることに何の意味がある。己の力量ならば傭兵達の兵舎へ向かい、全員叩きのめすことも可能だ。イエレザは何を考え、罠を仕掛けさせた。

 二つ目の罠が作動し、次々と火薬が炸裂する音が町中に響く。彼等の主要巡回ルートに張り巡らせた罠には錆びた釘が仕込まれており、適切な処置を施さなければ破傷風に感染するリスクがある。動ける者は負傷者を引き摺り、来た道を引き返し、兵舎か民家へ上がり込む。

 「テメェ何者だ!!」

 「……」

 「あちこちに仕掛けられた罠は」

 男の言葉が終わらぬ内にミーシャの拳が彼の鼻を砕き、続けざまに振られたメイスが甲冑を割る。

 鮮血が宙に舞い、片腕を圧し折った少女は男を建物の壁に叩き付け、肩の関節を外し「貴男達は何人の部隊なんですかぁ?」と問う。

 「は、あ? な、何を」

 「すみませぇん。時間が惜しいんですけどぉ……腕をもう一本折ってやろうか?」

 小指が軋み、一息で折り潰される。叫び声をあげ、仲間を呼ぼうとした男の口を塞ぎ、喉を締めたミーシャは小さく舌打ちする。

 「平和的にいきましょうよぉ……今此処で傭兵人生を終わらせられるのは嫌でしょう?」

 「は……はッ!! わ、分かった!! 言う、言うから!! 部隊は五十三人だ!!」

 「工場へ向かった人数は?」

 「じゅ、十人だ!! と、時計塔には三人居る!!」

 「そうですかぁ……分かりましたぁ。ご協力ありがとうございますぅ」

 男を振り向かせたミーシャは顎を殴り、意識を奪うと一つ二つと指を折り曲げる。

 恐らく動ける傭兵の数は四十人を切っているだろう。罠が上手い事嵌まってくれたら尚更だ。なら己が取る行動は。

 「……工場へ向かうべきですかねぇ」 

 メイスを腰に吊り、罠を掻い潜りながら駆ける少女の前に五人の傭兵が立ちはだかる。

 「誰だ―――」

 一人の足を砕き、蹴り倒し。

 「な、何だテメエは―――」

 二人をメイスと徒手空拳で叩きのめし。

 「に、逃げ―――」

 残る二人の内一人の意識を奪ったミーシャは、腰を抜かしてへたり込む男を見下ろした。

 「そ、その、黒鉄の鎧……も、もしや、上級魔族イエレザの」

 「知ってるなら話は早いですねぇ……。貴男は見逃してあげますぅ。逃げて、逃げて、部隊の仲間に伝えて下さいぃ。この町……盤上は既にイエレザ様の手の上にあると。貴男も嫌でしょう? 影の一部となるのは」

 「ひ、ヒぃ!!」

 傷ついた仲間を見捨て、逃げ出した男を見送ったミーシャは胸の内に沸き上がるほんの些細な……激情の陽光に身を伸ばす新芽を感じ取る。

 勝てないと、抗えないと悟った相手から逃げ出すことは正しい判断だ。己の身を守る為にも脱兎の如く逃げ出した男を責める権利は無い。だが、少女が感じた不快感は驚異的な速さで少女の脳に憎悪と憤怒を滾らせ、視界をモノクロに染める。

 「……」

 逃げるな。退くな。この場から去るな。言葉が纏う呪詛は黒き杭を形成し、彼女の鎧に泥を纏わせる。

 「ミーシャ」

 「……」

 「未だその力を使う時ではないわ。抑えなさい」

 「……何故ですかぁ? 意味が分からないのですが」

 「アイン様を迎えに行くとき、貴女の力が必要になるかもしれない。無駄な魔力を消費することは許さないわよ」

 「……」

 泥が弾け、杭が溶ける。

 逃げろと言われたら逃げることが出来る彼は幸福だ。苦痛を与えられようと、尊厳を傷つけられようと、苦しみから逃げられた彼が羨ましい。

 過去を変えることは出来ない。屈辱に塗れ、身体と精神を弄ばれた痛みは一生ついて回るのだろう。無かったことにしたいと願い、他人の幸福を妬む気持ちは変わらないのだから。

 「……それは、ずるい言い方ですよぉイエレザ様」

 「使える手は何でも使う。貴女もそうザインに教わったでしょう?」

 「まぁ……そうですねぇ」

 黒鉄の剣士が伸ばし、触れた鋼の冷たさが。彼の瞳に宿った轟々と燃え盛る激情と殺意の熱さが少女の絶望を噛み砕き、焼き殺す。

 「アインさんを迎えに行かないといけませんからねぇ。無駄な時間を使うべきではなない。そうですね? イエレザ様ぁ」

 「えぇミーシャ、あの方を雪原から救い出さないといけないの。だから頑張りましょう?」

 「はいぃ」

 頬を掻き、再び駆け出したミーシャは工場へ向かうのだった。
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