剣をこの手に ③

文字数 2,426文字

 ミーシャの秘儀は一度も破られたことは無かった。

 足引きの呪いを以て敵の戦闘能力を削ぎ落し、呪縛を以て己の絶望を押し付ける。嫉妬に狂い、他者を僻んで不幸に嘆く。強者を羨み、足を引っ張る事で己と同じ道を歩ませたいと願う少女の意思は醜く歪み、月日を刻む度に腫瘍のように膨れ上がるのだ。

 追い込まれる度に羞恥に沈み、逃げ道を塞がれる度に絶望する。己を弱者と蔑み、憎んだ果てに待っていたのは奈落の底に落ちた自己肯定感。自分自身を無価値と断じたミーシャは己に向けた嫌悪感を露わにし、傷を負いながらも進み続けようとする少年……アインを睨む。

 「どうして……どうして私に手を差し伸べようと、救おうとするような言葉を吐くんですかぁ!? わ、私達は他人同士の筈なのに、どうして!?」

 「……他人だからだ」

 「他人なら人の気持ちが分からないでしょう!? 分からないくせに……私の歩んだ道が見えていないくせに、憐れむな!! 同情なんかするな!! 消えろ……消えてしまえ!! 貴男は私に必要無い!! 消えて無くなれアイン!!」
 
 「分からないから、知りたいから言葉があるんだ。ミーシャ……力が無くては言葉さえも届かないのか? お前の求める言葉を俺は知らない。お前が抱える絶望が、痛みが、どれだけ大きかろうとも俺は知る事が出来ないんだ。うしてお前はそんなに自分の事を嫌っている!? 答えろよミーシャ!!」

 再び少女の纏う軽鎧を黒々とした泥が覆い、零距離から杭を打ち放ちアインの身体を打ち貫く。

 血を吐き出しながらも剣を握り、黒白の刃でミーシャの秘儀を斬り裂いた少年の瞳に迷いは無い。彼の瞳に宿る殺意が少女の背後に潜む絶望を見据え、赫々とした激情が醜悪に歪んだ秘儀に狂い叫ぶ。

 ただ許せなかった。少女が背負う過去の苦しみが、苦難に対抗する為に曲がってしまった意思を許せない。自分の命を嫌悪し、歩んで来た道を恥ずべきものとして無かったことにしようとするミーシャの心が許せない。

 言葉を投げ掛け、剣を振るってその手を握ろうとする己は身勝手なのかもしれない。不必要だと言われ、拒絶されようとも己の意思を貫き通す様は利己的な心だ。だが、それでもと……アインは泥の隙間から見えた少女の胸倉を掴み上げ、頬を殴る。

 「……ッツ!!」

 「ミーシャ……俺は、俺だって自分が嫌いだ。誰かを理解したくても、話をしたくても、殺意や激情が邪魔をして剣を握ってしまう。俺は優しくも無いし、甘くも無い。不器用で不格好。守りたい者さえも守れなかった負け犬だ」

 狂気と理性の狭間で何を守りたかった。剣を握り、戦うことでしか相手を理解出来ない己は狂犬と同じだった。

 「……強くなりたかった。もっと早くに本当の強さを手に入れることが出来ていたら、戦い以外で相手を知る術を得ていたとしたら、俺は人らしく生きる事が出来たのだろう。少しは人間らしく振舞うことが出来たのだろう。……サレナを、彼女を失う事さえ無かったんだ」

 心が弱いから己の殺意と激情を抑え込むことが出来なかった。力が足りなかったせいで常に厳しい戦いを強いられ、身も心も八つ裂きにされていた。剣であればどれだけ良かっただろうと思い悩み、意思と誓約を捨てて逃げ出してしまえば楽になれた。

 だが、それはアイン自身が許さなかった。サレナと共に生きたいという人の心が彼の人間性を繋ぎ止め、彼女が居たからアインは人として歩む道を見出すことが出来た。強敵……ドゥルイダーとの死闘の中で他者を理解する術を知る事が出来た。

 「……人は過去からは、自分の記憶と歩んで来た道から逃れることは出来ないんだ。お前がどれだけ自分が不幸だと嘆き、苦しんできたと言っても、お前自身の生を上書きすることが……消し去ることなんて出来やしない。ミーシャ、過去に縛られるな。未来は何時だって今のお前が決めることなんだから」

 「……そんな、耳障りの良い事を」

 「間違っていることを言っているのかもしれん。俺の言葉に腹を立て、まだ戦うつもりなら何度でも俺は剣を振るう。ミーシャ、希望は自分自身の手で掴み取るものだ」

 「……」

 黒々とした泥が溶け、少女の纏う軽鎧が元の形状に戻る。

 「貴男は自分のことを負け犬だと言って、弱いと言いますが私の目から見れば十分強い。その強さが羨ましいし、誰かから必要とされる価値が妬ましい。どうして……貴男は私なんかに手を差し伸べようとするんですか? 見捨てて、無価値で無意味な存在だと言い放てばいいのに……!!」

 「……俺は一度もお前を無価値だなんて思っていないし、無意味だとも断じていない。……逆に、強い奴だと思っている」

 「何処がッ!!」

 「並大抵のことじゃない。父親に売られて、それでも這い上がって売られた母親と弟妹を買い戻すなんて。上え、更に上へ這い上がろうとする強さと誰かに追いつこうとする意思がある奴を弱いだなんて……無価値だなんて言える筈がないだろ」

 平然と、他人には語られたくないトラウマに土足で踏み込んだアインにミーシャのメイスが叩き込まれ数メートル吹き飛ばされる。

 「……何度でも俺を殴ればいい。だが、俺は決して手折れない。ミーシャ、まだ言葉が足りないのか? まだ明日と希望が見えないのか? いいだろう、何度も剣を打ちあってやる。戦うことでお前を理解出来るなら、その心が抱える絶望を曝け出すことが出来るのなら、俺は絶対に敗けない」

 「どうして……貴男は、私なんかに」

 「美しいからだ」

 「ッ!?」

 「誰かの為に身を危険に曝し、削りながら生きる姿が美しいと思った。だが、秘儀を発現できる強さを得ておきながら、その意思を曲げた心が気に喰わない。絶望を宿した瞳が、自分自身を縛る過去をずっと見続けている様が許せない。何時まで悲しんでいるつもりだ? 死ぬまでその場に留まるつもりか? いい加減歩き出せよミーシャ……お前の歩みを阻む者はもう誰も居ないんだから」
 
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