取引 ②

文字数 2,453文字

 魔導ランプの淡い炎がゆらりと揺れ、周囲を取り巻く影が渦を巻いて一つの点を作る。

 点は線を描き、空間に円を象ると二人の少女が影の世界より歩み出す。一人は椅子に腰を下ろすと優雅に足を組み微笑を湛え、もう一人は気怠そうに背を伸ばしては頭を振るう。少女達……イエレザとミーシャは部屋の中をぐるりと見渡し、所持品の有無を確認した。

 「イエレザ様ぁ、これからどうするんですかぁ?」

 「人を待つわ。私の予想が正しければ、餌に釣られた阿呆がノコノコやってくる筈よ」

 「そうですかぁ」

 餌に釣られた阿呆とはエルストレスのことだろうか。自分達を嵌めた者がわざわざ此処に来る筈が無いだろうに。

 「来るわよ。愚者であるのだから、稚拙な罠を張る阿呆だから確認せずにはいられない。だって自分に自信が無いのだから。ミーシャ、貴女も少し休みなさい。もしあの方が私の予想通りに動き、選択を誤った瞬間行動を起こす必要があるの」

 「分かりましたぁ」

 半信半疑で椅子に腰かけ、得物であるメイスを握り締めたミーシャは大きく欠伸をこき、影が起こした暖炉の炎を見つめた。

 別にイエレザを疑っているわけではない。罠を仕掛けられた報復にも両手を挙げて賛同出来る。だが、それ以上にミーシャはこの町に戻って来ることが厭だった。精神を蝕む鐘の音が町に響き渡り、己が未だ過去の鎖……術の支配を振り切れていない事実に直面することが嫌だったのだ。
 
 鐘の音が鳴る事にあの記憶が蘇る。拒絶しようと己の身体に触れてくる男達の指の感触が、異物を挿入される不快感が、刻印が齎す従属の汚濁がミーシャの記憶から溢れ出し、過去に抱いた憎悪と憤怒が再び燃え上がる。

 「ミーシャ」

 「……」

 「まだ貴女は縛られているのね」

 「……当たり前じゃないですかぁ。あぁイエレザ様には分かりませんよねぇ、私の気持ちが」

 「当たり前なことを言わないでくれる? 他人の心を読む力を使ってしまえば、貴女を殺してしまうことになるもの」

 「……アインさんは少し分かってくれたんですがねぇ」

 「あの方はそういう人になりたいと願っているの。戦いの中で意思と意思をぶつけ合い、相手を理解したいという誓約を掲げているから読み取れる。ミーシャ、貴女を蝕む呪いは己自身を縛る鎖であり、内なる支配への従属よ? どうするかは貴女次第ね」

 それは分かっている。こればかりは自分自身で何とかしなければならないことはミーシャ自身も理解しているつもりだ。

 だが、それでも、記憶に刻まれた呪いは彼女の意思を穢し、貶め、腐らせる。ふと街中で見かける幼子の笑顔が怒りを生み、娘の両親が向ける慈愛に満ちた笑顔が嫉妬の憎悪を抱かせる。

 何故己があんな目に遭わなければならないのだ。何故己の父は酒に溺れ、家族を売り飛ばした屑だったのか。何故当たり前の幸福が己に訪れなかった。何故、何故、何故……。歯を食い縛り、鼓膜を震わせる鐘の音を聞いたミーシャは牙を剥き、狂気を宿した瞳から血を流す。

 「……」

 「ミーシャ、貴女は」

 どうするのかしら? その言葉が少女の口から漏れ出した瞬間、部屋の扉が蹴破られ軽鎧を纏った男達が乱入する。

 「おいおい何だぁ? 小娘二人しか居ないだなんて正気かぁ?」

 「エルストレスさぁん!! 本当にこいつ等を好きにしてもいいんですよねぇ!? 町の女は飽きたからな……餓鬼でも偶にはいいか」

 手にそれぞれ違う種類の獲物を持った男達はイエレザとミーシャを舐めるように見つめ、下卑た笑みを浮かべながらにじり寄る。

 「一つお聞きします。貴男達は何者ですか? 見たところ魔軍の兵や戦士ではないようですが」

 「俺たちゃ雇われ兵士だお嬢ちゃん。小娘でも良い女ってのは雰囲気で分かるもんだなぁ、それじゃぁたっぷり楽しませて」

 「貴男方の後ろにはエルストレスが居るのですか?」

 「何だぁ? 関係ねぇだろうがそんなもん!!」

 「ならば結構。ミーシャ、四肢の骨を折りなさい。手加減は不要です」

 身体の芯が凍り付く程の殺意を纏ったメイスが男の腕を圧し折り、強烈な憤怒を宿す脚撃が両の足を叩き折る。

 憤怒、憎悪、嫉妬、羨望……。様々な感情が滅茶苦茶に入り混じったミーシャの瞳が武器を構える男達を見据え、にんまりと笑う。それはまるで都合が良い八つ当たり道具を見つけた子供のような笑顔であり、己が抱える不幸をぶつける為に敵を見つめる狂戦士の貌。

 「な―――」

 装甲で覆われた拳で男の顎を殴り、骨を砕いて歯を飛ばす。

 「ひ、あ――」

 恐怖に駆られて逃げ出そうとした輩の足へメイスを投げ放ち、転んだ隙を見て力の限り蹴りを入れて関節を粉砕する様は情け容赦ない狂気的なもので。

 「好きにするんですよねぇ? 逃げるなよ……逃げるなぁあ!!」

 次々と己よりも体躯の良い傭兵を薙ぎ倒しては無力化する少女は怒声を張り上げ、ものの三十秒で五人の屈強な男達を恐怖と絶望のどん底へ叩き落とした。

 「好きにするなら、犯したいなら、自分達がどうなるか想像しておくべきでしたねぇ。一つ質問しましょうかぁ……どうして私がメイスを振るうのか分かりますかぁ?答えろよ、分からないなんて話したら次は睾丸を潰してやる」

 「あ、ひ、あ」

 「早く」

 「ひぃ……!!」

 涙を浮かべ、情けない表情を浮かべる男に唾を吐きかけたミーシャは折れた腕を蹴り飛ばし、床に転がったメイスを拾い上げると舌打ちをする。

 「ミーシャ、それくらいにしておきなさい。彼等は大した情報を持っていないのですから、これ以上痛めつけるのは時間の無駄よ」

 「分かりましたぁ。運が良かったですねぇ……糞雑魚お兄さん」

 冷えた目で敵だった傭兵を見下ろし、イエレザの傍に立ったミーシャは何事も無かったかのように厭らしい微笑みを浮かべ、メイスを床に立て。

 「では少しばかり聞きたい事があるのですが宜しいでしょうか? ねぇ……エルストレス」

 影の縄で雁字搦めにされたエルストレスは、己より強大な力を持つ二人の少女に絶望で歪んだ顔を向けた。
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