皮一枚、紙一重 ①

文字数 2,578文字

 ピクリ、とニュクスの背筋に悪寒が奔る。

 背筋に奔った悪寒は即座に彼の容れ物である魔導人形の疑似脳を刺激し、恐怖となって指先と魂を震わせた。

 「……ズロー」

 「なんだ? ニュクスの旦那」

 「感じるか? この国に破滅的な災厄が訪れたことを」

 「災厄だって? 馬鹿馬鹿しい、俺ぁ何も感じないが?」

 「……」

 何とも幸運な男だとニュクスは思った。圧倒的な死の気配が街中を覆い、人類領の魔力が魔族領の魔力と混ざり合い、中和されていることに気付かぬズローを一瞥したニュクスは焦りを表情に出さぬよう努め、平常心を保とうと魔導人形の表情変化プロトコルを切断する。

 「時間が無い。さっさとサレナと云う小娘を見つけ、ずらかるぞ」

 「おいおいどうしたってんだよ? もう暴れてもいいのか?」

 「暴れる? 貴様程度の小物が? これから訪れる死の権化と比べれば貴様など赤子程度の存在よ。ズローよ、私はまだ死にたくないのだ。真理を解さず、謎を抱いたまま命を枯らしたくはない。いや、あの御方がこの地に来られたのは……私を処刑する為か? いや、しかし」

 「本当にどうしたんだよ? 暴れてもいいなら俺ぁ」

 「黙れ」

 たった一言、ニュクスの底冷えするような声と共にズローの心臓に組み込まれた魔導具が彼の胸を締め付け、呼吸を止める。

 処刑する為だけならば魔宴が開催された時に首を落とす筈。だが、魔宴はとうに過ぎ、己は今も生きている。ならば、何故魔将がこの地に訪れた。 サレナに何か関係あるのか? それともアインという剣士に用事があるのか? まさか古代魔導炉を強奪する為に行動したのか? 古代魔導炉強奪ならば桜の女王、四英雄の一人アニエスが黙っている筈が無い。

 そもそもアニエスはこの異変に気が付いていないのだろうか? 彼女ならばワグ・リゥスに貼られた結界を用いて死の気配を、魔族領の魔力を探知できる筈。アニエスはどんな行動を取り、何を考えている。この死が充満し始めている都市で、戦場へ姿を変えようとしている国で、女王はどう動く。
 
 「……ズロー、貴様はアインを止めろ。私は一足先にサレナを捕らえる」

 「……用意周到なアンタが何でそんなに焦っているんだ? そんなにヤバいのか? おい、答えろよニュクスの旦那」

 「事実を伝えれば貴様は死ぬ。我々上級魔族であろうとも、あの方々を前にしてしまえば皆閉口し、頭を垂れる他無いのだ。魔の絶対者に対抗出来るのは……勇者或いは魔王だけだろう」

 「はぁ? 魔王と勇者は居ない筈だろ? アンタがそう言っていたじゃねぇか」

 「だから危険なのだ。彼等を止める者が居ない……それがどれだけ恐ろしいことか貴様は理解していない。此処は既に戦場だ。……戦場ならば、そうだな。我等に利があるかもしれん」

 ローブの内から拳大の蠢く肉塊を数個取り出し、小型転移魔導具を展開したニュクスはそれらに魔力を流し込む。

 「流転体の幼体なんて取り出して何をする気だ?」

 「戦場であるのならば我等に利があるのだズロー。混乱に乗じ、目的を達成するとは泥臭い戦い方であるが、時と場合によっては私もその手を使うというだけ。ワグ・リゥスは記憶の内では二度の崩壊を経ているのだ。三度目があっても不思議ではないだろう?」

 「……あぁ、そういうことか。面白い、平和ボケした連中を斬り刻んで、殺して、嬲ればいいワケだな? そうか、なら俺の得意分野じゃねぇか。いいぜ、やろう。馬鹿なエルファン共の国を滅茶苦茶にしてやろうぜ? 全員殺して静かになれば俺ぁハッピーだぜ?」

 虐殺や殺戮を何とも思わない男は鋭利に尖った犬歯を口角から覗かせ、腕に擬態している剣を振り上げる。

 「……ならばズローよ、貴様にこれを渡しておこう。原初輪だ」

 「へぇ……これがアインとかいう剣士を殺す一つの手立てってわけか?」

 「如何にも。生物、無機物、有機物……全ての物質を原初の姿、否、始まりへ巻き戻す魔導具は必ずや貴様の力となり、黒き剣士を殺す。アインを始末したならば貴様は私を置いて撤退しろ」

 「あぁ了解だ。それじゃぁ此処からは別行動だな。アンタの目的が達成されることを願ってるぜ? 旦那」

 ゲラゲラと殺意を滲ませ下水道を後にしたズローを一瞥し、禍々しい瘴気を放ちながら近づく激情に跪いたニュクスは頭を垂れる。
 
 「……魔将殿、何故に人類領へ」

 「言を吐くな矮小なる命よ。貴様程度の脆弱なる存在など何時でも殺せるのだ。貴様に許された行動は私の問いに答えるのみ。ニュクスよ、貴様の行動は主であるラ・ルゥの指示か?」

 「……私の独断で御座います。魔将ラ・ルゥ……貴方様の御同胞は無関係であります故、処するならば私だけを」

 「答えるだけが貴様に許された行動だ。言い訳など聞かぬ。擁護も無意味。私が貴様を生かし、その脳に過る計画を見過ごしているのは貴様に未だ価値を見出しているからだ。貴様……聖女を求めているのか?」

 「……はい」

 命を削る殺意が場を支配し、ラ・リゥが発する超圧力的な激情を真正面から受け止めたニュクスは堪らず地べたに這いつくばり、血を吐き出す。

 今目の前に存在する魔将は本体ではない。魔族領の最深奥に居を構える魔の絶対者は自身の細胞の一欠けらから触覚を作り出し、世界に干渉しているのだ。

 「死ぬか、生きるか、選べ」

 「……生きたい、です」

 「ならば聖女に触れるな。聖女に触れようとした刹那、貴様の首は地に落ち、そのお利口な頭は無価値と成る。恐怖を乗り越えてまで真理に触れたいと望むならば、私の後に動け。接続を断ち斬られ、遺骸と成り果てた存在ならば貴様にくれてやろう」

 「……貴方様のお言葉、寛大なる御心に感謝します」

 姿無き死の権化は狭間の世界からニュクスを見下し、彼の横を通り抜けると下水道から表通りへ移動する。圧倒的な殺意を振り撒きながら世界の制約の一部分を書き換える能力は最早化外の類であり、千年の時を生きる絶対者の殺意を一身に浴び続けていたニュクスの肉体……魔導人形という器は一瞬にして朽ちかけていた。

 選択を誤れば容赦なき死が待っていた。同族の命を奪うことに躊躇も戸惑いも無い魔将と対峙し、命を拾うことが出来たのは幸運だ。

 ガタついた魔導人形の足を引き摺り、歩き出したニュクスは身体を震わせると地上へ向かうのだった。
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