涙を拭い、明日を見て ③

文字数 2,460文字

 「……」

 「どうしたイース、そんなにムッとした顔をして」

 「……別に、怒ってはないです」

 「俺は怒っているかなど聞いていない。メイ、何故イースがこんな顔をしているか分かるか?」

 「それは……アインが気付くべきかと存じ上げます」

 ずり落ちてきたミーシャを背負い直し、鋼の音を響かせるアインがバトラーへ視線を寄せる。

 「妬いているのですよ、彼女は。あぁそれとメイ、そろそろ足を離して貰えますか? 貴女が容赦なく走ったせいで、身体中の人工関節が痛むんですよ」
 
 「あぁそれはすまなかったな」

 パッと手を離し、バトラーの身体を湿った土の上に落としたメイは二人の少女が火花を散らす様子を眺め、短い溜息を吐く。

 「イース、彼には彼の仲間が居て、貴女だけがアインの味方ではない。それを理解なさい」

 「……た、確かにそうですが、その、私は別に妬いていません! アインさんもそう思って下さいね!」

 「あぁ、分かった」

 アインの背で厭らしい笑みを浮かべ、イーストリアを挑発するかのように剣士の首に腕を回したミーシャは「そっかぁ、なら私が何をしようと勝手だねぇ」と笑う。

 「勝手って! 傷を負っているなら私が癒します! だからこっちに」

 「落ち着けイース、魔力が空っぽの状態なんだろう? 無理をするな。それとミーシャ、これ以上事態を掻き乱すならお前を地面に放り捨てる。少し黙っていろ」

 言葉の端々から滲み出る殺意がミーシャとイーストリアの口を塞ぎ、静寂を場に満たす。

 「イエレザ」

 「何でしょう? アイン様」

 「これからどうするつもりだ?」

 「そうですねぇ……これ以上私が出しゃばる必要は無いようですし、後の事は町の住人と精霊種……イーストリアに任せましょう。あぁ、それと一つお聞きしても宜しいですか? アイン様」

 「何だ」

 「エルストレスはどうなりましたか?」

 「殺した。奴は俺が存在の一片迄燃やし尽くし、止めを刺した」

 「そうですか、分かりました」

 アインとの短い会話を終えたイエレザは手を叩き、住人の視線を己に集め。

 「罪と向き合い、自我を守れ。この言葉を聞いた者は多くないでしょう。ですが、書を嗜み、歌劇を愉しむ者にとっては馴染み深い言葉でもあります。
 町の皆さま、貴方達は己の罪を覚えていますでしょうか? 向き合うべき罪を直視し、己と云う存在を自我で守ることはできますでしょうか? 慟哭、悲嘆、悲哀、この町と一つの種を滅ぼした感情は一つ……それは欲望でしょう」

 歪な笑みを浮かべた少女の視線がイーストリアに突き刺さり。

 「私はこれ以上貴方達に関与しませんし、目的は果たされた。ですが、町が滅ぼしたと云ってもいい精霊種の生き残り……イーストリアは貴男達を見てどう思うでしょう? 赦せないと怒りを露わにし、死を望むのでしょうか? それとも、過ぎた事だと言って水に流すのでしょうか?
 私だったら……何としてでも、どんな手を使っても罪を贖って貰いますがねぇ」

 影を纏わせた手を白髪の少女へ差し伸べる。

 「イーストリア、貴女には種の復讐を成す権利がある。町の住人を皆殺しにするも、執行者が下す罰を与えるも良し……。彼等の生殺与奪権を握っている貴女は何を望み、どんな判断を下すのかしら?」

 住人の視線がイエレザからイーストリアへ向かい、何処か諦めたような雰囲気を醸し出す。

 己等が決め、導き出した罪をダノフ一人に押し付けるなど都合が良過ぎる。少女が罰を下すなら、町の住人は甘んじて受け入れる覚悟を持っていた。故に、此処から逃げ出さない。

 「……みんなが、一族のみんなが死んでしまったのは、皆さんのせいなんですか?」

 「……」

 「私が苦しんだのも、皆さんが成した悪のせいなんですか?」

 「……何も、言い訳はしない」

 住人たちの先頭に立っていた青年が重い口を開き、拳を握る。

 「俺達が成した悪も、甘言に騙された心も、精霊種を犠牲にして得た悪夢のような明日も、俺達が選んで決めたこと……」

 罪と向き合い、罰を受け入れることで自我と云う殻を守れるなら……。

 「イーストリア、さん。俺は、俺達は、もう誰かのせいになんかしない……。だから、頼む。俺達を、君の自由にしてくれ」

 不安定な心を以て贖おう。彼女の意思に従い、償おう。それが……町に生きる者の、罪悪を成した者の責務故に。
 
 「……アインさん、私は」

 「お前が決めろ」

 「……」

 「俺が剣を振るい、皆殺しにすることは簡単だ。ほんの瞬き程度の時間が在れば事は済む。だが、これは俺の問題ではなく、イース……お前と町の問題なんだ。
 執行者と呼ばれる連中の事は何も知らんが、法があるのならば法に任せてもいいし、お前の気が済む方法で罰を与えてもいい」

 黒鉄を纏い、声色一つ変えずに淡々と言を並べるアインの瞳がイーストリアを見つめ。

 「俺は何も決めないし、指図もしない。これはお前が……お前自身の意思が決める事なんだよ、イース。死を与えようと、罰を与えようと、お前のことを非難する奴は誰も居ない。だが、そうだな……俺個人の想いを言うとしたら、人の道を踏み外すなよ」

 少女へ背を向け、宿の方へ歩き去ろうとするアインの背を見つめたイーストリアは深呼吸を繰り返し、メイの腕から地面に足を下ろすと真っ直ぐな瞳で住人達を一望する。

 「……今の私には、多分誰かを裁くとか、罰を与えるだなんて事は出来ないんだと思います。私に出来る事と云えば、誰かを癒し、私の心が指し示した道を歩くことなんです」
 
 己の意思と誓約に反することはしたくない。彼が……アインの言葉を胸に抱き、背を伸ばした少女は今の自分では無く、明日の、遥か未来の己を見据え。

 「だから、今は貴男方を赦せなくても、これから先の未来では、もっと違った思いを……見方が出来るんだと思います。それまで……生きていて下さい。町を守って、人として生きて下さい。ごめんなさい、これが、今の私の精一杯なんです」

 儚く脆い、今にも壊れてしまいそうな笑顔を浮かべ、メイに身を預けた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み