目覚め ④

文字数 2,836文字

 紺碧の欠片が雨のように降り注ぎ、陽光から月光まで様々な光が水晶の破片を照らす。

 加速度的に経過する時間は領域内で停滞していた月日の流れを濁流の如く押し流し、館の管理権限を与えられていたメイリアルの記憶を垂れ流す。ズィルクと過ごした穏やかな日々、未来へ馳せる希望、愛した男への恋慕、最期に果たせなかった約束……。部屋を覆い尽くす水晶に投映されたズィルクとメイリアルの記憶は、罅割れた水晶から解放されるように溢れ出す。

 「止めろ、止めろメイリアル!! 制約に盲従する愚者に私達の記憶を見せて何になる……! 無意味と、無価値と何故分からん! 止めろ……それ以上、私の罪を見せないでくれ……」

 不変の領域は限界を迎えようとしていた。領域を展開するズィルクの意思と誓約がメイリアルと出会ったことで変化を迎え、捻じれ曲がった故に不完全な力へと変貌していたのだ。変化を否定し、不変こそがこの世の理だと信じていた魔族が人類の少女に愛を抱いた。それを変化と言わず何と言う。

 水晶の領域が百年間不変を貫いていた事実は紛れも無い奇跡である。奇跡とは人の意思が生み出す希望への道標。メイリアルとの命を取り戻したいと願い、彼女の幸福を切に祈り続けてきたズィルクが生み出した奇跡は彼の変化と共に終焉を迎えようと罅割れ、砕け散ろうとしていた。

 あと一押し、最後に残った錠を砕けば救われる。だから、お願いウィシャーリエ。声無き声がウィシャーリエの鼓膜を叩き、折られた筈の短剣が元の形に戻っていることに少女が気付く。水晶の館に似つかわしくない鈍色の鋼を見つめた少女は意を決したように紺碧の宝玉に近寄り、刃を振り翳す。

 終わりにしよう。この悲しみも、怒りも、憎しみも、何もかもを終わりにしよう。これは誰にでも無い、自分にしか出来ないことなのだから。救いと希望を託され、願いと祈りを理解した己に出来る戦いなのだ。歯を食い縛り、短剣の剣先を宝玉に突き立てた刹那、藍色の光が視界を埋め尽くす。玉に込められた記憶と感情が周囲を光で染め上げると同時に、若草の香りが鼻孔を擽った。

 鼓膜を叩くは老若男女、大から小までの様々な声だった。憎悪、怨恨、憤怒、悲哀、懺悔……。館に囚われていた魂は帰るべき肉体を失っていた故に、皆寄る辺無き方途を辿り無へ帰る。力無き存在は群より生まれ、死す時に個としての自我を失う。白銀の少女が必要無しと断じる存在は、世界の傀儡として在る為に。

 人智を越えた状況に対し、ウィシャーリエが理解した事柄は一つ。領域が破壊され、崩壊した事実だけ。次第に消え逝く魂と共に、光の奔流に身を預けた少女は瞼を閉じた。

 



 ……
 ………
 …………
 ……………
 ……………
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 ……




 真っ白い空間にサレナは居た。

 母が握ってくれた手の温もりは依然としてこの手にあった。

 背後を振り向くと、其処には天高く聳え立つ巨大な門があった。門は何の装飾も施されていない簡素な作りであったが、彼女はその門の向こう側から出て来たと理解した。

 「おやおや、何故聖女殿が此処にいるのかね。……いや失礼、君は聖女殿ではなかったね」

 聞き覚えがある声と共に、門に寄りかかる金髪の美女を視界に映す。白とは対照的な黒いローブを纏った魔女……カロンは口角を吊り上げ、愉快に笑う。

 「運命とは各々が辿った選択の結末を指すという。君の運命は未だ到達点に非ず、尚且つ彼女の運命も結末に値せぬ。統合者とは何時如何なる時代にも生まれ落ち、その世の理を選び取る権利を有する者。私の役割はただその世に存在し、見続けるだけ。サレナ殿、君は君自身の選択と権利を有するが、此処に来るにはまだ時期尚早。今は夢と断じ、去るがいい」

 「……此処は、何処ですか?」

 「領域と云うにはその規模は推し量れず、永遠の玉座と云うには到に座は朽ちかけている。真を知るには世の成り立ちから語り、嘘を述べるには幾万年の塵によって叡智は摩耗されてしまった。万物流転の座の頂にして、森羅万象の腐朽した冠。まぁ、此処がどのような場所であるかを人の口からは言えぬのだ。許してくれ、統合者」

 「この扉の向こう側に、サレンさんは居るんですか?」

 「如何にも。あの少女が領域に至り、世を創り出したのだ。不完全で未完全な制約を世に敷き、その玉座と冠を戴く者を待ち侘びている。ただ一言、愛ゆえに」

 「……」

 自身と同じ白銀の髪を靡かせた少女はこの扉の向こう側で待っている。アインを待ち、彼の来訪を望んでいる。だが、それは一つの目的であり、彼女には何かまだ違う目的があるような気がした。

 「……彼女は私を人形と呼びました。それは、何故」

 「サレナ殿、好奇心は猫をも殺すという言葉を知っているかね? せっかくあの二人が君と彼女の接続を断ち斬ったのに、また関りを持とうとするのかね? 止めておけ、恐らく次は無い」

 「……」

 「君の仲間達がズィルクの領域の破壊に成功したようだ。君も戻って自身の戦いに集中するべきだ。いいかい? 此処には君自身の意思で至り、誰かに与えられた誓約で事を成そうとしないことだ。いや、尤も統合者という存在は皆誰かの意思と誓約を受け継ぎ、託され、統べる者。たった一人の願いや祈りは歪みと捻じれを生み出し、世を乱す。ほら、此方にばかり集中しないで、君を迎えに来た者の方を見るがいい」

 カロンが指差した方を見ると、其処には褐色肌のエルファンの少女……メイリアルが立っていた。どうやってこの場に来れたのか問いたいサレナよりも先に、メイリアルが少女の手を握る。

 「……サレナ、お願いがあるの」

 「何でしょう? いえ、此処は何処なのか」

 「皆を助けて欲しい。此処から先は貴女の力も必要になる。貴女自身の力が、絶対に必要なの。だから、お願い。私を信じて、付いて来て」

 メイリアルの真剣な言葉と瞳に、サレナの自身の問い掛けは何処かに吹き飛んでしまう。

 「私の、破界儀の力が?」

 「うん。誰か一人だけの篝火なんかじゃない、皆の為の力が必要。……短い間しか関われなかった貴女にお願いするのもおかしな話だと思う。けど、私の愛する人を、貴女の仲間を救うために力を貸して……サレナ」

 救う……。誰かを救うために己の力を使う。此処の外がどんな状況になっているかサレナには分かり得ない事。しかし、救うために力が必要であるのならば、喜んで力を貸そう。

 小さく頷いたサレナは、カロンへ「……行ってきます」と話し、光の外側へ歩み出す。

 二人の少女の背を見送ったカロンはローブの袖から煙管を取り出し、魔法の火を指先に灯すと煙草に火を点け大きく紫煙を吸い込んだ。

 「運命とは無数の選択が生み出す結末である、か。元来私という存在に許された行動は統合者とそれに属する人物に助言を与えるだけなのだがね。……玉座、冠の行末はどのような道を辿るのか、実に興味深いな。うん」

 自らの過去を思い出しながら、小さく呟くのだった。
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