友達 ②
文字数 2,553文字
「では行ってきます。クオンさんとアインは自由に行動して下さい」
「はいよ、楽しんでおいでサレナちゃん」
「はい、ご飯は食べてくるかもしれませんので」
「うんうん、分かったから行っておいでよ。ウィシャーリエちゃんが待ってるんでしょ?」
失礼します。そう言って宿の一室から立ち去ったサレナの背を見送ったクオンは溜息を吐いてアインの対面に座る。
「で、説明してよアイン。今日のサレナちゃんってば私が目を覚ましてから一言も君と話していないじゃないか」
「……」
「黙っているのは自由だけどさ。君がサレナちゃん以外とはあんまり話をしないのは知ってるし。けど、出かける前のサレナちゃん、少しだけ怒ってるような、悲しんでるような、そんな風に見えたよ?」
「……別に、昔のことを話しただけだ」
「昔の事って、思い出した記憶のこと? 何々? 昔の女の事でも話したの?」
「……ああ」
一瞬だけクオンの口角が引き攣り、ありえないと言った表情を浮かべる。
「……君、サレナちゃんの前でそれを言っちゃダメじゃないかな? え? どんな風に話したのさ」
「俺が思い出して、求めた少女がサレナそっくりだと言った。容姿も、声も、白銀の髪も似ていると言った。その後、サレナが自分とその少女が似ているから共に歩くのかと問い、否定した。それだけだ」
ただ事実だけを述べ、腕を組んだまま微動だにしないアインは何故サレナが己との会話を断ったのか理解できないでいた。あの悲し気な瞳も、怒ったような声も、サレナが何を思ったのか分からない。
「……クオン」
「なに?」
「俺はサレナを怒らせるような真似をしてしまったのだろうか?」
「君ねぇ……普通に考えてみなよ? サレナちゃんがいくら優しくて、人間が出来てる言っても中身は年頃の少女なんだよ? 好いている男が昔の女を語って、その子を自分に重ねて見ていたら不愉快でしょうがないと思うんだけど。君はあの子が何でも許して、受け入れてくれることに甘えているんじゃない?」
「俺はサレナと歩む以上うやむやにしたくなかっただけだ」
「うやむやにしたくなかったってね、君はそれで満足かもしれないけどサレナちゃんは違う。あの子にはもう君しかいないし、自分を救ってくれて共に歩むと誓った男が過去の女を引き摺っているなんて思いたくないだろうさ。本当にアインは人の心が分からない男だね」
「俺にだってサレナしかいない。アイツの笑顔も、言葉も、心も好きだ。俺の命に代えてでも守りたいし、サレナが泣く姿なんて見たくない。サレナには何時も笑っていて欲しい、幸せになって欲しい、もっと……良い未来を歩んで欲しいんだ」
「もっと良い未来ねぇ……」
椅子に背を預けたクオンは頭を後ろ手で支え、大きな溜息を吐く。
「彼女にとっての良い未来は何なんだろうね? いや、サレナちゃんはその気になればどんなものでも手に入れる事が出来るだろう。地位、名誉、富……。手を伸ばし、それらを手に入れる意思を固めたら彼女は本当に何でも手に入れるさ。けど、サレナちゃんが心から手に入れたいと願い、欲したものはただ一つ。それは、君さ」
「……」
「手に入れたいと願い、アインの平穏を祈る度に君は業火の中へ突き進む。心と言葉は交わっているのに、交差した気持ちは僅かにずれて平行線を辿る。そうだなぁ、ものに例えればサレナちゃんは海で、アインは海面で燃え盛る業火だろうね」
海のように広い底無しの優しさを持つサレナに対し、アインはその海面で燃える赫々たる炎。海面と炎の間には薄い油が張られており、海が凪ぎたてば動いた油と共に炎が海面に燃え広がる。サレナという少女の言葉がアインを動かし、言葉と意思の油を以て交差する。
一瞬だけ溶け合うが、完全には交じり合わない心模様。アインという剣士を幸せにしたいと祈り、彼の殺意と激情の中に宿る迷いと弱さを受け入れたいと願う程サレナとアインの心は離れたり近寄ったりしてしまう。理解したいと手を伸ばし、愛という朧気な感情を欲してしまう度にその想いは交わらない。
人同士であるのだからと一言で断じてしまえば想いを振り切ることは簡単だ。人は人と解り合えず、有耶無耶な感情で共に生きる事も出来る。相手へ一方的に意思や言葉をぶつけ、無理に納得させてしまっては真の理解は得られない。妥協と諦めを繰り返した先に待つものは、怒りだけ。
人は胸の内にある思いと意思を伝える為に言葉を交わし、心を知らねばならない。その中にある怒りと憎しみ、殺意を乗り越えて理解し合わなければならないのだろう。
「相手を拒絶することは簡単さ。怒りをぶちまけ、憎しみを抱く事は子供でも出来る。でもね、愛を向けた人に対する怒りは溶鉄のように粘りがあって、優しい人ほど自分が抱いた怒りを認めたくないんだ。きっと、サレナちゃんは苦しんでいるよ。君が言った昔の女への嫉妬と、その子を自分に重ねたアインへの悲しみでね」
「……クオン」
「何だい?」
「俺はどうしたらいい? 分からないんだ、こんな時どうしたらいいのか。彼女の後を追うべきか、追わないべきか。……頼む、教えてくれ」
少しだけ驚いたような表情を浮かべたクオンは頬を掻き、呆れたように「追うべきだろうね。それで、謝ってちゃんと話すべきだよ」と話す。
「ちゃんと話すだと?」
「そ、アインからしっかりと話すんだ。君の気持ちと、サレナちゃんへの想いを話すべきだろう。それから」
「それから?」
「皆でご飯でも食べに行こうか。聖都には色んなお酒や料理があるからね」
分かった、とアインが呟き椅子から立ち上がる。その姿を見たクオンは慌てて剣士の腕を掴む。
「何だ」
「今じゃないよ! 今じゃ! サレナちゃんはウィシャーリエちゃんと遊んでいるんだから、終わり頃の方がいいよ!」
「……そうか、だが何時サレナが帰って来るか分からない以上、今からサレナの後を追うべきだろう?」
「……アイン」
「……」
「追うんじゃなくて、付ければいいんじゃない? 遠目でサレナちゃんとウィシャーリエちゃんを追って、いいタイミングで合流しようよ」
「……そうだな」
再び椅子に座り直したアインは、頭を掻くとティーカップに満たされた紅茶を見つめた。
「はいよ、楽しんでおいでサレナちゃん」
「はい、ご飯は食べてくるかもしれませんので」
「うんうん、分かったから行っておいでよ。ウィシャーリエちゃんが待ってるんでしょ?」
失礼します。そう言って宿の一室から立ち去ったサレナの背を見送ったクオンは溜息を吐いてアインの対面に座る。
「で、説明してよアイン。今日のサレナちゃんってば私が目を覚ましてから一言も君と話していないじゃないか」
「……」
「黙っているのは自由だけどさ。君がサレナちゃん以外とはあんまり話をしないのは知ってるし。けど、出かける前のサレナちゃん、少しだけ怒ってるような、悲しんでるような、そんな風に見えたよ?」
「……別に、昔のことを話しただけだ」
「昔の事って、思い出した記憶のこと? 何々? 昔の女の事でも話したの?」
「……ああ」
一瞬だけクオンの口角が引き攣り、ありえないと言った表情を浮かべる。
「……君、サレナちゃんの前でそれを言っちゃダメじゃないかな? え? どんな風に話したのさ」
「俺が思い出して、求めた少女がサレナそっくりだと言った。容姿も、声も、白銀の髪も似ていると言った。その後、サレナが自分とその少女が似ているから共に歩くのかと問い、否定した。それだけだ」
ただ事実だけを述べ、腕を組んだまま微動だにしないアインは何故サレナが己との会話を断ったのか理解できないでいた。あの悲し気な瞳も、怒ったような声も、サレナが何を思ったのか分からない。
「……クオン」
「なに?」
「俺はサレナを怒らせるような真似をしてしまったのだろうか?」
「君ねぇ……普通に考えてみなよ? サレナちゃんがいくら優しくて、人間が出来てる言っても中身は年頃の少女なんだよ? 好いている男が昔の女を語って、その子を自分に重ねて見ていたら不愉快でしょうがないと思うんだけど。君はあの子が何でも許して、受け入れてくれることに甘えているんじゃない?」
「俺はサレナと歩む以上うやむやにしたくなかっただけだ」
「うやむやにしたくなかったってね、君はそれで満足かもしれないけどサレナちゃんは違う。あの子にはもう君しかいないし、自分を救ってくれて共に歩むと誓った男が過去の女を引き摺っているなんて思いたくないだろうさ。本当にアインは人の心が分からない男だね」
「俺にだってサレナしかいない。アイツの笑顔も、言葉も、心も好きだ。俺の命に代えてでも守りたいし、サレナが泣く姿なんて見たくない。サレナには何時も笑っていて欲しい、幸せになって欲しい、もっと……良い未来を歩んで欲しいんだ」
「もっと良い未来ねぇ……」
椅子に背を預けたクオンは頭を後ろ手で支え、大きな溜息を吐く。
「彼女にとっての良い未来は何なんだろうね? いや、サレナちゃんはその気になればどんなものでも手に入れる事が出来るだろう。地位、名誉、富……。手を伸ばし、それらを手に入れる意思を固めたら彼女は本当に何でも手に入れるさ。けど、サレナちゃんが心から手に入れたいと願い、欲したものはただ一つ。それは、君さ」
「……」
「手に入れたいと願い、アインの平穏を祈る度に君は業火の中へ突き進む。心と言葉は交わっているのに、交差した気持ちは僅かにずれて平行線を辿る。そうだなぁ、ものに例えればサレナちゃんは海で、アインは海面で燃え盛る業火だろうね」
海のように広い底無しの優しさを持つサレナに対し、アインはその海面で燃える赫々たる炎。海面と炎の間には薄い油が張られており、海が凪ぎたてば動いた油と共に炎が海面に燃え広がる。サレナという少女の言葉がアインを動かし、言葉と意思の油を以て交差する。
一瞬だけ溶け合うが、完全には交じり合わない心模様。アインという剣士を幸せにしたいと祈り、彼の殺意と激情の中に宿る迷いと弱さを受け入れたいと願う程サレナとアインの心は離れたり近寄ったりしてしまう。理解したいと手を伸ばし、愛という朧気な感情を欲してしまう度にその想いは交わらない。
人同士であるのだからと一言で断じてしまえば想いを振り切ることは簡単だ。人は人と解り合えず、有耶無耶な感情で共に生きる事も出来る。相手へ一方的に意思や言葉をぶつけ、無理に納得させてしまっては真の理解は得られない。妥協と諦めを繰り返した先に待つものは、怒りだけ。
人は胸の内にある思いと意思を伝える為に言葉を交わし、心を知らねばならない。その中にある怒りと憎しみ、殺意を乗り越えて理解し合わなければならないのだろう。
「相手を拒絶することは簡単さ。怒りをぶちまけ、憎しみを抱く事は子供でも出来る。でもね、愛を向けた人に対する怒りは溶鉄のように粘りがあって、優しい人ほど自分が抱いた怒りを認めたくないんだ。きっと、サレナちゃんは苦しんでいるよ。君が言った昔の女への嫉妬と、その子を自分に重ねたアインへの悲しみでね」
「……クオン」
「何だい?」
「俺はどうしたらいい? 分からないんだ、こんな時どうしたらいいのか。彼女の後を追うべきか、追わないべきか。……頼む、教えてくれ」
少しだけ驚いたような表情を浮かべたクオンは頬を掻き、呆れたように「追うべきだろうね。それで、謝ってちゃんと話すべきだよ」と話す。
「ちゃんと話すだと?」
「そ、アインからしっかりと話すんだ。君の気持ちと、サレナちゃんへの想いを話すべきだろう。それから」
「それから?」
「皆でご飯でも食べに行こうか。聖都には色んなお酒や料理があるからね」
分かった、とアインが呟き椅子から立ち上がる。その姿を見たクオンは慌てて剣士の腕を掴む。
「何だ」
「今じゃないよ! 今じゃ! サレナちゃんはウィシャーリエちゃんと遊んでいるんだから、終わり頃の方がいいよ!」
「……そうか、だが何時サレナが帰って来るか分からない以上、今からサレナの後を追うべきだろう?」
「……アイン」
「……」
「追うんじゃなくて、付ければいいんじゃない? 遠目でサレナちゃんとウィシャーリエちゃんを追って、いいタイミングで合流しようよ」
「……そうだな」
再び椅子に座り直したアインは、頭を掻くとティーカップに満たされた紅茶を見つめた。