聖女 ②

文字数 2,933文字

 私は謝らない。その言葉に誰もが唖然とし、誰もが信じられないと言った表情を浮かべた。

 帝国王の娘であるサレンへ集まる殺意はより一層濃度を強め、戦士達が抱く憤怒と憎悪の感情は噴火寸前の火山のように膨張する。鞘から剣が抜かれる音、靴底が砂を噛む音、ナイフの柄を握り締める音……。誰もが己の意思を抑える中、一人の戦奴が石粒を手に取りサレンへ投げつけ憎しみに満ちた言葉を吐きつける。

 「謝らないだと? ふざけるな……ふざけるな!! 貴様等帝国は俺の故郷を、俺の家族を奪ったんだ!! 償え!! 贖え!! 帝国の王の罪を、悪を、貴様が清算しろ!!」

 投げつけられた石粒は咄嗟にサレンを庇ったアインの籠手に阻まれ、甲高い鋼の音を響かせると地に落ちる。だが、彼女を襲う石粒は次第に数を増やし、アインという部隊の象徴が彼女の前に立ちはだかろうとお構い無しに、その柔肌を傷付けようと空を切る。

 一度堰を切った憤怒の濁流は止まらない。善悪を混沌の奥底へ押し流し、憎悪の炎を纏った土石流は戦士達の意思を汚濁に染め上げる。

 「退いて下さい我等が英雄!! その娘を、王の娘を我々に寄越して下さい!! 剣で、血を以て罪を清算させねばならないのです!! 貴男も戦奴であった身の上ならばご存じでしょう!?」

 殺せ、殺せ、殺せ―――。群体の殺意が場を冒し、石粒は礫となってアインの甲冑を引っ切り無しに叩く。何処からか紛れ込んだナイフが彼の甲冑の関節部を貫き、戦士達が信じる剣士が血を流そうとも正気を失った者達の罵詈雑言は止まらない。

 「……アイン、退いて」

 「退けばお前が傷つくぞ」

 「でも、退いて」

 「だが」

 「私は大丈夫だから。ちゃんと向き合えるよ、アイン」

 アインを押し退けサレナが前に一歩踏み出す。石礫が彼女の額に直撃し、血を流そうとも少女の瞳は戦士達から一瞬も逸れる事は無い。

 「……」鮮烈な殺意が少女の小さな身体を射抜き「……」灼熱の憤怒と穢れた憎悪が戦士達の意思を怨恨に染め上げ「……」狂気とも云える群体の暴力を前にサレンは立つ。

 「……我が父、帝国王の罪は彼の悪。その罪悪の咎は私に向けられる剣であるのでしょうか? 貴方方が投げた石とナイフは、貴方方の英雄を傷付ける為にあるのでしょうか? 問います、貴方達は罪を犯した事の無い無辜であるのしょうか?」

 サレンの頬にナイフが掠り、白い肌から鮮血が流れる。痛みによる熱と、血の生温かさ……彼女は親指で血を拭うと白銀の瞳を輝かせ。

 「罪を犯した事の無い者だけが私に石を投げなさい!! 悪を抱いた事の無い者だけが私に刃を向けなさい!! 私はその者の石と刃を避けません、この身を以てその憤怒と憎悪を受け止めましょう!! もう一度問う!! 貴方達は罪を犯した事の
無い無辜であるのか!? それとも、己の罪悪から目を逸らす衆愚であるのか!? 答えよ、黒鉄の刃の戦士達よ!!」

 サレンは声を張り上げ、一歩、また一歩と歩みを進める。群衆が作り上げた狂気を前にしても彼女の白銀の瞳は恐怖の色を帯びず、怒りも憎しみも宿さない。
 
 その瞳に在る感情は悲哀と慈愛、そして希望。絶望を舐め尽くし、己が闇に挫けた戦士達を見据えるは光の象徴たる白銀。少女は自分と一番距離が近い戦士の前に立つと、黒い意思に染まった瞳を見据える。

 「問おう、貴男は罪を犯した事があるのか?」

 「……」

 「黙っていては分からない。己が怨敵と定めた者の娘が前に立ち、貴男の腰には剣が吊ってある。罪が無ければその刃を抜き、私の胸に突き立ててみよ。罪があるのならば、その罪を聞こう」

 罪が何だ、無辜が何だ、今此処で剣を抜き少女の腹へ突き立てれば故郷と家族の仇が取れる。だから、剣を抜け。戦士はサレンの問いを無視して剣を抜く。

 「……人は過去を振り返りながら、前に進む。希望と絶望、過去と未来を求めるからこそ人は人として存在し得る。戦士よ、その剣で私の胸を突け。だが、貴男に罪があるならば私はその刃では死なない。私が死ぬ時、それは愛する者の剣によるもの。赦されざる罪を背負いながらも、原初の罪を抱いた者だけが私を殺すことが出来る」

 戦士が咆哮し、サレナの胸に剣を突き立てる。鋼の刃はいとも容易く彼女の胸を貫通し、鮮血を吹き出させると鈍色の刀身を真紅に染めた。

 「サレン!!」

 アインが叫び、彼女に駆け寄ろうとしたがその行動はサレン自身の手で制止させられる。血を吐き、喉に溜まった血液の間を空気が通る音を発した少女は、白銀の瞳を輝かせ戦士の瞳を尚も見据え「罪に穢れた刃では、私を殺す事は叶わない」と言い放った。

 「人は罪を犯し、業を抱えながら生きるもの。大小関係なく、人の内には罪が存在する。だが、それと同時に私は信じたい。人は罪悪と復讐を乗り越え、真の希望と未来を手にする存在だと、信じたい」

 呻き声を上げ、剣の刃を胸から抜いたサレンは荒い息を整え、血を吐きながら戦士に問う。

 「貴男が信奉する英雄アインは常に剣を握り、絶えない激情に身を焼く剣士。彼は私を求め、私は彼の求める人に成りたい。
 その願いと祈りは私自身の意思と誓い。私を信じられないなら、何度でも剣とナイフを突き立て嬲るがいい。私が怨敵の娘というだけで咎を背負うべきなら、永遠に石を投げつけるといい。
 だが、これだけは忘れないで欲しい……人は、変わらなければ永久に救われないことを」

 心臓に傷を負う。それは常人であれば致命傷となり得る傷。だが、膨大な魔力を持つサレンはこの場に居る者全員に

という虚像を見せ、あたかも

。本物のサレンは数歩後方に立ち戦士が剣を下ろしたと同時に傷を負った虚像と同化した。

 「戦士よ、貴男の剣はアインの為にあると思い出せ。貴男の命は使い潰される為に存在するのでは無いと知れ。この世は残酷で、無慈悲で、不条理だけれど人はそんな絶望に打ち克つ勇気を持っている。
 故に、私が証明しよう。私という存在が続く限り、貴男達は死なない。死したとしても、その意思と剣は私とアインと共に存在すると誓う。意思を抱け、希望を掲げよ、未来を歩め。さすれば、黒鉄の刃の戦士は英霊となりこの地を駆け抜けるだろう」

 堂々とした言葉と、自らに剣を突き立てた者を咎めない姿勢。部隊の戦士達の激情が沈静化し、致命傷を負ったというのに立ち続ける少女に視線を奪われる。

 聖女……。戦士の一人が呟いた。白銀の髪を陽光に反射させ、眩い輝きを放つ瞳に魅入られた者が、武器と石粒を地に落とす。

 「貴男達は剣に殺意を乗せ、黒き希望を纏って戦場を往くアインの戦士達。アインという英雄に従うのも、命を捧げるのも貴方達の自由。だが、この休息の地では戦士である自分を忘れて欲しい。自分という個人を見据え、新たな生を送って欲しい。貴方達が新たな生を望むならば、私は戦場で人を殺めた罪を赦そう。
 変化を望む者には祝福を、変化を欲する者には救済を、変化を成す者には安寧を。それが、アインと共に歩む私が出来る事故に」

 両腕を広げ、上空へ無色の魔力を放ったサレンは陽光を一身に浴びるよう雲の位置を調整し、己が求められる姿を演出したのだった。
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