取引 ③
文字数 2,423文字
「先ず一つ、貴男の背後に居る存在は上級魔族ニュクスであることは間違いありませんね?」
トンとテーブルの盤面を叩いたイエレザの指が小気味いい音を奏で、宙で制止する。
「二つ、貴男は彼から何かしらの支援を受け、町を支配する方法を師事した。あらごめんなさい、貴男が答える前に質問してしまいましたね。先に前の質問から答えて下さっても構いませんことよ? 答えなさい、エルストレス」
人は圧倒的上位者を相手にすれば固まってしまうという。精神的圧力、恐怖、命の危機……。影の縄で縛られ、無様に転がされているエルストレスは尋常じゃない量の汗を額から垂れ流し、イエレザの妖艶で殺伐とした雰囲気に気圧される。
「私、待たされるのはあまり好きじゃないの。貴男がさっさと口を割って、全て洗いざらい吐いてくれればこっちとしても嬉しい限りよ。ねぇエルストレス、私は怒っているの。
貴男が仕掛けた稚拙な罠に呆れ、私の愛しい御方は今も雪原の何処かを彷徨っている……。此処で貴男を殺し、全てを奪うことは簡単よ? だけど、私もそんなに鬼じゃない。そうね……云わばこれは最後のチャンスとでも言えるのかしら?」
「イ、イエレザ、ぼ、僕は」
エルストレスの身体に食い込んだ影が牙を剥き、彼の皮膚に喰らい付くと皮膚を噛み千切り、血肉を啜り金切り声にも似た声で笑う。
笑い声と叫び声。涙を流し泣き叫ぶエルストレスへ微笑みを向けるイエレザの瞳は無機質な黒に染まり、薄ら笑い浮かべる唇は真珠のような美しい光沢を放っていた。
「あらあら……そう叫ばないで下さいな。少し傷を負っただけではありませんか。貴男が偽物の標を渡した御方……アイン様は腕が千切れ、致命的な傷を受けても果敢に剣を振るう人でしたのよ? 血を流すのが厭でしたならその腕を叩き折って差し上げましょうか? それとも声帯を潰し、目玉を抉り出しましょうか? お好きな方を選んで下さいな」
「は、話す! ぜ、全部言うから止めてくれ!! ぼ、僕を、僕の命だけは助けてくれ!! ほ、他はどうなってもいい!!」
「なら話しなさい。嘘を言うつもりなら、対価は御自身の身体だと思いなさいな」
「あ、あれは、ニュクスの指示だったんだ……。ぼ、僕は、奴に脅されただけで、彼の命を奪うつもりなんて一つも無かったんだ!! し、標だって生きて帰れるようにしているし、死ぬような代物じゃ」
「嘘」
「な、い……え?」
「貴男は一つ嘘を吐きました。彼を殺すつもりなんてなかった? 生きて帰れるような標だった? 残念ですエルストレス、貴男は一つ咎を背負わなければなりません」
イエレザの足元から伸びる影が細長い注射針を形成し、エルストレスの首筋に針を突き立てると黒い液体を注入する。
「貴男の心など一つも欲しくはありません。私に必要なのはエルストレスという個人的な肉体だけ。何を聞いても、何を問うてもどうせ貴男は己の保身ばかり考えているのでしょう? なら、そんな痴れ者に何の用がありましょうか」
液体……イエレザの破界儀で蠢く影が液状となった異物は瞬時にエルストレスの肉体を掌握し、自由を剥奪すると。
「何の価値も無い塵芥……塵の利用価値は使える部分を再利用すること。あぁ、必要な情報でしたら町長であるダノフに聞くので私との交渉は無意味だと思いなさい?そうね……これからの貴男は救世主に討たれる悪と称しましょうか」
指を鳴らし、青年を拘束する影の縄を解いた少女は笑う。笑って、笑って、腹を抱えて笑った少女は感情の一片をも排除したような表情を浮かべ、スッと破壊された扉を指差し。
「行きなさい。もう用事は済んだのだから、興味が無いわ」
暖炉の炎を見つめた。
「―――ッ!!」
逃げろ、逃げるなら今しかない。己を殺し損ねたことを後悔しろ。まだ抵抗する手はある。彼の魔族から貰った
「エルストレス」
私が何も知らないとでも? イエレザの瞳……道端に転がる石ころを見るような視線から逃げ出し、血を流しながら部屋を後にするエルストレスを一瞥した少女は一度だけ手を叩き、影を広げる。
「ミーシャ、仕事よ」
「何ですかぁ? イエレザ様ぁ」
「ダノフを連れてきなさい。顔は覚えているわよね?」
「まぁ……一応」
「彼の護衛をしつつ、民に害を成す傭兵の人数を把握してきて頂戴」
「はぁ……。イエレザ様ぁ、回りくどいことをするんですねぇ」
「何が?」
「イエレザ様なら直ぐにこの町を掌握出来るでしょう? どうして一々こんな手の込んだ茶番を演じようとするんですかぁ?」
「茶番……ね。いいじゃない、私は見てみたいの。この劇を、私が記す台本通りに進むのか見てみたい。もし台本通りに進むのなら、私の計画は完璧で隙の無かったものでしょう? だけど、舞台で劇を演じる役者が予想外の行動に出たら、それもそれで面白い。どんでん返し、ちゃぶ台返し、紙上の天外……。知らないものを見るのは、知らないことを聞くのは良いものよ」
「理解出来ませんねぇ……。私は何事も無く事が進み、平穏無事で終わることを望みますが」
「そう? 人は認知の外を知ることで賢くなれると思うのよ、私はね。全員が自分の役割を理解し、役目を重んじるのならばそれは退屈この上無い既知の劇。一つの異分子が台本を掻き回し、劇を滅茶苦茶にしても未知から得られる知見もある。要するに……私の台本が気に食わないのなら、己の意思で動けばいい。それだけよ」
部屋を覆い尽くし、傭兵達を飲み込んだ影はイエレザがもう一度手を叩くことで綺麗サッパリ消え失せ、後に残ったものは魔導ランプの淡い灯りと暖炉の炎。この場で戦いなど無かったと言葉無く示した少女は爆ぜる炎を見つめ。
「舞台を回すのは人か、それとも傀儡か……貴女はどう思う? ミーシャ」
答えを求めるように小さく呟いた。
トンとテーブルの盤面を叩いたイエレザの指が小気味いい音を奏で、宙で制止する。
「二つ、貴男は彼から何かしらの支援を受け、町を支配する方法を師事した。あらごめんなさい、貴男が答える前に質問してしまいましたね。先に前の質問から答えて下さっても構いませんことよ? 答えなさい、エルストレス」
人は圧倒的上位者を相手にすれば固まってしまうという。精神的圧力、恐怖、命の危機……。影の縄で縛られ、無様に転がされているエルストレスは尋常じゃない量の汗を額から垂れ流し、イエレザの妖艶で殺伐とした雰囲気に気圧される。
「私、待たされるのはあまり好きじゃないの。貴男がさっさと口を割って、全て洗いざらい吐いてくれればこっちとしても嬉しい限りよ。ねぇエルストレス、私は怒っているの。
貴男が仕掛けた稚拙な罠に呆れ、私の愛しい御方は今も雪原の何処かを彷徨っている……。此処で貴男を殺し、全てを奪うことは簡単よ? だけど、私もそんなに鬼じゃない。そうね……云わばこれは最後のチャンスとでも言えるのかしら?」
「イ、イエレザ、ぼ、僕は」
エルストレスの身体に食い込んだ影が牙を剥き、彼の皮膚に喰らい付くと皮膚を噛み千切り、血肉を啜り金切り声にも似た声で笑う。
笑い声と叫び声。涙を流し泣き叫ぶエルストレスへ微笑みを向けるイエレザの瞳は無機質な黒に染まり、薄ら笑い浮かべる唇は真珠のような美しい光沢を放っていた。
「あらあら……そう叫ばないで下さいな。少し傷を負っただけではありませんか。貴男が偽物の標を渡した御方……アイン様は腕が千切れ、致命的な傷を受けても果敢に剣を振るう人でしたのよ? 血を流すのが厭でしたならその腕を叩き折って差し上げましょうか? それとも声帯を潰し、目玉を抉り出しましょうか? お好きな方を選んで下さいな」
「は、話す! ぜ、全部言うから止めてくれ!! ぼ、僕を、僕の命だけは助けてくれ!! ほ、他はどうなってもいい!!」
「なら話しなさい。嘘を言うつもりなら、対価は御自身の身体だと思いなさいな」
「あ、あれは、ニュクスの指示だったんだ……。ぼ、僕は、奴に脅されただけで、彼の命を奪うつもりなんて一つも無かったんだ!! し、標だって生きて帰れるようにしているし、死ぬような代物じゃ」
「嘘」
「な、い……え?」
「貴男は一つ嘘を吐きました。彼を殺すつもりなんてなかった? 生きて帰れるような標だった? 残念ですエルストレス、貴男は一つ咎を背負わなければなりません」
イエレザの足元から伸びる影が細長い注射針を形成し、エルストレスの首筋に針を突き立てると黒い液体を注入する。
「貴男の心など一つも欲しくはありません。私に必要なのはエルストレスという個人的な肉体だけ。何を聞いても、何を問うてもどうせ貴男は己の保身ばかり考えているのでしょう? なら、そんな痴れ者に何の用がありましょうか」
液体……イエレザの破界儀で蠢く影が液状となった異物は瞬時にエルストレスの肉体を掌握し、自由を剥奪すると。
「何の価値も無い塵芥……塵の利用価値は使える部分を再利用すること。あぁ、必要な情報でしたら町長であるダノフに聞くので私との交渉は無意味だと思いなさい?そうね……これからの貴男は救世主に討たれる悪と称しましょうか」
指を鳴らし、青年を拘束する影の縄を解いた少女は笑う。笑って、笑って、腹を抱えて笑った少女は感情の一片をも排除したような表情を浮かべ、スッと破壊された扉を指差し。
「行きなさい。もう用事は済んだのだから、興味が無いわ」
暖炉の炎を見つめた。
「―――ッ!!」
逃げろ、逃げるなら今しかない。己を殺し損ねたことを後悔しろ。まだ抵抗する手はある。彼の魔族から貰った
アレ
を使えば上級魔族をも殺し得る力を手に入れることが出来る。だから、今は逃げろ。「エルストレス」
私が何も知らないとでも? イエレザの瞳……道端に転がる石ころを見るような視線から逃げ出し、血を流しながら部屋を後にするエルストレスを一瞥した少女は一度だけ手を叩き、影を広げる。
「ミーシャ、仕事よ」
「何ですかぁ? イエレザ様ぁ」
「ダノフを連れてきなさい。顔は覚えているわよね?」
「まぁ……一応」
「彼の護衛をしつつ、民に害を成す傭兵の人数を把握してきて頂戴」
「はぁ……。イエレザ様ぁ、回りくどいことをするんですねぇ」
「何が?」
「イエレザ様なら直ぐにこの町を掌握出来るでしょう? どうして一々こんな手の込んだ茶番を演じようとするんですかぁ?」
「茶番……ね。いいじゃない、私は見てみたいの。この劇を、私が記す台本通りに進むのか見てみたい。もし台本通りに進むのなら、私の計画は完璧で隙の無かったものでしょう? だけど、舞台で劇を演じる役者が予想外の行動に出たら、それもそれで面白い。どんでん返し、ちゃぶ台返し、紙上の天外……。知らないものを見るのは、知らないことを聞くのは良いものよ」
「理解出来ませんねぇ……。私は何事も無く事が進み、平穏無事で終わることを望みますが」
「そう? 人は認知の外を知ることで賢くなれると思うのよ、私はね。全員が自分の役割を理解し、役目を重んじるのならばそれは退屈この上無い既知の劇。一つの異分子が台本を掻き回し、劇を滅茶苦茶にしても未知から得られる知見もある。要するに……私の台本が気に食わないのなら、己の意思で動けばいい。それだけよ」
部屋を覆い尽くし、傭兵達を飲み込んだ影はイエレザがもう一度手を叩くことで綺麗サッパリ消え失せ、後に残ったものは魔導ランプの淡い灯りと暖炉の炎。この場で戦いなど無かったと言葉無く示した少女は爆ぜる炎を見つめ。
「舞台を回すのは人か、それとも傀儡か……貴女はどう思う? ミーシャ」
答えを求めるように小さく呟いた。