魔なる英雄 ②

文字数 2,794文字

 荒涼とした砂漠を見据え、乾いた砂を踏み締める。

 剣を抜いたアインが見据えるは魔導要塞、魔導の塔。鈍色の装甲に陽光を反射させた塔は言葉も発さず己に殺意を向ける剣士を見下ろしていた。

 一歩、また一歩。灼け付く砂の上を歩いていたアインは剣を担ぎ、突如として駆け出す。激情を燃やし、甲冑に感情を喰らわせた剣士の身体能力は飛躍的に強化され、砂の上を飛び魚のように駆ける。そして、魔導の塔も己に殺意と敵意を向けるアインを撃滅するべく装甲を全て分離し、空中に浮遊させると迎撃にあたった。

 アインに迫るは幾線の細い光線。細い光線を練るは高密度の魔力であり、光線が彼に直撃する寸前、剣士は獣の如く進路を変更し、回避する。

 轟音と砂嵐。砂漠の砂が爆発と共に吹き上がり、空と地上を砂塵で覆う。視界も空気も濃い砂嵐に覆われ、前後左右の感覚が曖昧になるがアインは止まらない。殺意を向ける存在が生存している限り、彼の意思が示す先に敵は存在している。そして、それは魔導の塔より分離した飛行型対人兵装も同じであった。

 「……木偶の起動、配置、開始」

 アインがそう呟くと同時に、魔法陣が周囲に形成され戦士を模した木偶が次々と現れる。人と全く同じ生体反応を持つ木偶は、剣士に迫る光線を肩代わりすると激しく燃え上がり、灰となって砂に混じり風と共に散る。

 「砲兵、弓兵、兵装を撃ち落とせ」

 爆炎が兵装を覆い、魔導鋼の破片と魔導機構の残骸が地に落ちる。地震にも似た振動が砂漠を揺らし、砂を舞い上がらせた。

 此処まではラグリゥスの計画通り。アインと木偶が攻撃を引き付けている間に、後方支援の戦奴が大砲と爆薬矢を使い空中の兵装を撃ち落とす。光線を射出する際に停止する隙を付く単純な作戦であるが、魔導機構の仕様に従順な機械を相手にするならば有効な作戦だろう。

 落ちてくる破片と残骸を大剣で弾き、光線を巧みに回避し続けるアインは確実に魔導要塞へ近づき、塔の主の殺意を探る。ジッと、揺れる視界であろうと舐めるようにして探る中、塔の頂上に一個体……否、複数の殺意を感じ取る。

 見つけた―――。剣士の激情が荒れ狂う業火を纏い、流れ込む感情の荒波に甲冑が応え力をアインへ供給する。巨大な魔導鋼の破片を斬り裂く膂力と砂の抵抗をモノともしない脚力、そして未来予知染みた反応速度、光線を大剣で撃ち落とせる反射能力……。戦場と化した砂漠を駆ける人外は、強烈な殺意と憎悪を以て塔へ迫る。

 計画と戦術に齟齬は無い。人が相手でも魔導機構が相手でも関係ない。ただ敵と認識した存在を殺すだけ。その為だけに己と剣は在る。殺す、殺す、斬り殺す―――。その意思が、死への誓いが、アインを進ませる。だが、殺したいという感情と対を成す感情、生存本能が敵にも存在することを忘れてはならない。

 「―――」

 魔導の塔は魔導機構の究極である以外に、生物としての構造を備えた要塞だ。生物には恐怖を感知し、死を逃れたいという欲求が存在している。
 
 生物の構造……。それは複数の関節を持つ四肢ではない。効率性を重視した臓腑でもない。魔導の塔に組み込まれた特異な生物構造とは、すなわち脳である。

 基本的に魔導機構は生物的器官を持つ必要は無い。魔石を使った演算機能、純正魔石結晶回路と魔力循環機構さえあれば魔導機構は稼働する。だが、魔導の塔は魔導機構の頂点を目指した狂人が作り上げた一つの究極点。基本的な技術から逸脱し、邪法を用いて組み上げられた塔は、アインの殺意に感応すると姿を変える。

 ウゥン……と、獣の低い唸り声のような音が空気を震わせる。

 歯車が回り、油圧式ポンプが圧縮された空気を魔力炉へ流し込む。

 空中を飛び交っていた飛行型対人兵装が塔へ戻り、破壊された部分を驚異的な増殖力を以て修復する。その様は細胞分裂を高速で見せられる奇怪な造形であり、大砲や爆薬で幾枚の装甲が破壊されようと無意味だと、塔が言葉無く話したように感じられた。

 アインの中の殺意が血に塗れた牙を剥き、血錆を纏った大剣が塔の装甲とぶつかり合う。装甲と大剣の間で奔った紫電が虚空を斬り裂き、砂漠の砂丘を貫くと大穴を空け、散り散りとなって掻き消える。

 血錆を纏った大剣。その武器はアインと共に幾度の戦場を渡り歩いた朽ち掛けた剣。大剣に銘は無く、彼自身も剣の名を知らない。アインという剣士が戦場で初めて他人の命を奪った時に振るった剣は、長い間剣士と共に在った。

 この剣で断てぬ命は存在しない。叩き斬れぬものは無い。道理も不条理も、希望も絶望も、全てこの大剣と彼自身の意思を以て破壊し、殺戮してきた。今もこうして剣を振るって塔の魔導鋼を叩き斬ろうとしている。だが、何故だろう。何故か……剣の刃が鈍っているように感じた。

 剣の刃だけじゃない。思考の感覚も、戦いに向かう意思も、死への誓いも、何もかもが鈍っている。殺意の意思は生温く、憎悪の刃は鈍らとなり、憤怒の炎は業火を宿さずただ燃えるのみ。剣士の血肉と死への渇望は、己が求めた戦場である筈なのに薄まっているような感覚を覚える。

 「……!!」

 剣が弾かれた瞬間、巨大な鋼鉄の脚がアインの身体を直撃し、滅茶苦茶に転がりながら砂の中へ吹き飛ぶ。

 視界が揺らぎ、バイザーの間から流れ込んだ砂粒により目が痛む。血反吐を吐き、激痛を訴える左腕を見ると腕はあらぬ方向へひん曲がり、甲冑の関節部から白い骨が突き出ていた。

 「……」

 身体のあちこちが痛みを訴え、戦闘不能を声高々に叫ぶ。だが、それでも、立ち上がる。

 戦場こそが己の居場所。己が血肉と死を渇望する限り戦いは其処にある。戦え、剣を構えろ、敵はまだ存在している、まだ……殺していない。

 「まだ殺しちゃいない、まだ剣を振れていない、まだ血肉を浴びていない……まだ、戦いは終わっちゃいない」

 死ぬまで剣を握れ。生きている限り剣を振るえ。戦いが終わっていないのに、何故立ち止まる。戦え、戦え、戦え……。

 戦場では常に一人だった。孤独の中で死に塗れた。一人で戦い続け、一人で敵を殲滅し、味方をも殺し尽くしてきた。目障りな肉塊を殺し、意味不明な言葉を並べる忌々しい存在を剣と殺意を以て滅ぼしてきた。

 今だってこうして戦っているのは一人だけ。後方支援の砲撃や射撃は続き、己の周りは木偶が囲んでいる。だが、戦場に立つ者は己一人だけなのだ。仲間なんぞ、戦友なんぞ、居ない。弱さを得る理由を、作りたくない。

 塔を視界に収め、変形した姿を見る。アインはカラロンドゥの言っていた

という言葉を思い出し、その言葉が皮肉と揶揄では無いと思い知る。

 塔は四本の巨大な鋼鉄の脚を持つ亀のような姿へ変形し、亀の甲羅の上に座すは、圧倒的な魔力濃度を纏う剣を携えた鋼の巨人。鮮血を思わせる単眼にアインを見据えた巨人は、剣を大きく振り上げ上空へ極光を放った。
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