心象 ③

文字数 2,709文字

 朝焼けに照らされる森を目の前にして、ウィシャーリエは堪らず大きな欠伸をし、耐え難い眠気に耐え忍ぶ。

 「ウィシャーリエ、大丈夫ですか?」

 「だ、大丈夫ですよサレナ。こんなに早い時間に起きたのは初めてなので、どうしても眠気が……」

 目を擦り、仄暗い闇に濡れる森を見据えた少女は自身の頬を叩き、背負い鞄をしょい直す。

 森に立ち込める薄闇は何処か不気味で恐ろしいと感じてしまう。だが、人類領に魔族は生存出来ないし、もし命を脅かす存在が居るとしたら大型の獣に限るだろう。少しだけ震える手をギュウと握り、唇を噛み締めたウィシャーリエの強張った手をサレナが優しく握る。

 「大丈夫ですよウィシャーリエ。もし獣が現れたとしても、アインとクオンさんが居るので大丈夫です」

 「……はい」

 小声で返事をした少女の瞳が、サレナの背後に立つ黒鉄の剣士へ向けられる。

 以前と違う甲冑を身に纏い、バイザーの隙間から真紅の瞳を覗かせる黒い剣士。異形の甲冑は騎士甲冑の形に変貌し、素顔を覆い隠す兜は龍の意匠を凝らした見事な造形で、彼が背負う剣は黒い刃と白銀の刀身を持つ神秘的な大剣だった。

 アイン……。彼の心からは依然として殺意と激情に塗れた声が溢れ出していたが、その中でも一つだけ冷静さを払う存在が見えた。その存在はウィシャーリエの異能をアインという剣士だけに集中させ、周りの存在を居ないものとしなければ感じ取れない小さく儚い存在。それはまるで産まれたばかりの赤子のようなもので、芽生えた新芽のような脆さ。

 濁流の如く押し寄せる殺意の荒波と煮え滾った溶鉄の海を渡る一隻の小舟と例えるべきだろうか。荒れ狂う死の海に沈まぬ為、必死に舵を取り、意思という守るべき光を乗せる心の小舟。常人ならば狂い死ぬ精神を内に宿した剣士を見つめていたウィシャーリエは、何故彼がこうも冷静な

が出来るのか疑問を抱かざるを得ない。

 「何だ? 俺に何か用があるのか?」

 「い、いえ! 何でもありません!」

 「そうか」

 言葉一つ一つがとてつもない質量を持っているように感じ、少女は慌てて目を逸らす。不愛想でぶっきらぼうとサレナから聞いていたが、こうして異能を使って内面を覗き込み、言葉を聞けばとてもじゃないがそんな簡単な言葉で片付けられなかった。

 「ちょっとアイン、もう少し愛想良く振舞いなよ。ウィシャーリエちゃんが怖がってるじゃん」

 「愛想良くしろと言われても、何をどうしたらいいのか分からん。クオン、悪いがウィシャーリエの相手はお前に任せる」

 「昨日みたいに……あぁ、いや、あんまり変わんないね、うん」

 「だから任せた。人付き合いに関してはお前の方が上手い。サレナ、少しいいか?」

 「何でしょう?」

 「少しだけ気がかりなことがある。注意しておいた方が良い」

 サレナの黄金の瞳が森の奥を見つめ、少女は目に見えない何かを感じ取る。

 「どうした? サレナ」

 「少し待って下さいね。……これは」

 周囲の空気から感じた微かな魔力。少女は近くの木の根元にしゃがみ込み、杖を抜くと木の肌を杖先でなぞる。

 「先に誰かが森に来ていたみたいです」

 「誰かだと?」

 「はい。丁度この辺りで別の誰かと戦闘状態に入り、最後の魔力を振り絞って木にサインを残したようですね。魔力の大部分が打ち消されている為、全ては読み取れませんが復元出来るところまで直してみましょう」

 杖先に魔力を宿し、掠れ、消えかかったサインを辛うじて読み取れるところまで復元したサレナはスッと立ち上がり、森へ歩み入る。

 「何が書かれていた」

 「魔導具、水晶、魔族、森の奥。恐らくこれは警告です」

 「行くのか?」

 「はい。今ならまだこのサインを残した誰かを助けられるかも知れませんから」

 「なら俺も行こう」

 剣の柄を握り、黒白の剣を振り抜いたアインはサレナの後ろを歩き「お前は俺が守る。だから、安心しろ」と話した。

 「ちょ、ちょっと待って下さい! サレナ、魔族が居るなら、警告があったなら聖都に引き返すべきです!」

 「それでは遅くなってしまいます。時間と共に命は薄れ、輝きは失せるのです。ウィシャーリエ、時間は待ってはくれません。だから、今は迷っている暇は無い」

 「でも、もしこれが罠だったら、いえ、そもそも魔族は人類領で生きられないんですよ!?」

 「ウィシャーリエ」

 一言。サレナがウィシャーリエの名を呼び、背後を振り向き彼女の琥珀の瞳を見据え。

 「力ある上級魔族は人類領であろうとも己の領域を展開し、生存することが出来るのです。もしこの森に上級魔族が存在し、何らかの目的の為に領域を広げているのなら一刻も早く対処すべきでしょう。より多くの命を救う為に、選択しなければなりません」

 「でも!」

 何を言っても無駄だと思った。サレナにどんな言葉を掛けようと、手を引こうと、彼女は自分の意思と誓いを絶対に曲げやしない。それは、十分に分かっている筈だった。

 でも……。その言葉の先は何だろう? 逃げること? 助けを求めること? どっちを選んだにしても、必ず後悔するような気がした。後悔する気がしたからこそ、踏み出すべきなのだろう。恐怖を乗り越え、より良い明日を得る為に。

 「……サレナ」

 「何でしょう? ウィシャーリエ」

 「……私は、貴女の友達です。私にとっても、貴女は初めての友達なのです。友が己の心と意思に従い、誓いを果たす為に未知の何かに立ち向かう歩みを、私は止めることが出来ない。貴女は進み続け、希望と未来を疑わない」

 「……」

 「手を伸ばそうとも届かない、足を進ませようとも揃わない……。貴女は優しいと思うし、誰よりも人のことを考えているように見える時がある。けど、サレナは自分自身のことがよく見えていない。そう思う時があった」

 自分のことが見えているようで、見えていない。安定しているかのように見えて、迷いと躊躇いを孕んだ少女。それがサレナと云う少女なのだろう。挫けかけ、倒れそうになっても歩みを止めず、進み続ける小さな英雄。その姿が尊く、眩しく、羨ましくもあったが、覚悟を決めた彼女の瞳を見たウィシャーリエは思う。

 彼女は何になりたいのだろう? アインやクオン、他者に言われた心象の他に求める姿は、一体何なのだろう? サレナ自身の願い、自分の為の祈りや渇望は何なのだろうと、思わざるを得ないのだ。

 「一緒に行かなければ一生後悔することになると思うから、一生迷い続ける枷になると思うから、私も行く。だって」

 友達を一人になんてさせたくない。そう言い放ったウィシャーリエは、サレナの隣に並び立つと仄暗い闇に濡れた森を見据えた。

 
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