濁流 ③

文字数 2,288文字

 「あー、いっぱい来てますねぇ……。イエレザ様ぁ、本当にアレ全部相手にするんですかぁ?」

 「全部を相手にする必要は無いわミーシャ。貴女はただ魔力の操作と術の制御に集中なさい。泥の膜が押し破られる心配は無いでしょうけれど、念には念を入れた方が身の為よ」

 町を囲む壁の上。平原と街道を埋め尽くす程の熊の大群を見据えたミーシャは掌に添えた伝播杭をそっと撫で、大きな溜息を吐く。

 「アインさん、アレと戦ってたんですかぁ? 流石に死んでいるかと思いますけどぉ、イエレザ様はどう思います?」

 「どうかしら。まぁ、倒れてはいないでしょう」

 「どうしてですかぁ?」

 「彼が纏う鎧には私の影が潜んでるの。もしアイン様が死んでしまっていたら影が私の下に戻って来るし、新たに補充される事も無い。それを鑑みれば生きている可能性が高いと判断しただけよ」

 「そうですかぁ」

 じゃぁ、こっちもやるべきことをするべきですかねぇ。そう呟いたミーシャの掌から魔力が流れ、町を囲むようにして打ち立てられた伝播杭が少女の魔力を増幅させる。

 一人の魔力で町を覆い尽くす秘儀の広域展開は不可能だ。一人の魔力量には限りがあり、それ以上の魔力を扱うには魔血症に罹患するリスクを背負い、魔力回復薬を摂取しつつ術を行使する必要がある。

 必要であれば、行使せざるを得ない状況に陥れば、個人の許容量を超えた能力を使わねばならぬだろう。だが、それは敗北が許されぬ戦場であればの話。戦場以外であれば伝播杭を用いた作戦を予め立てておき、極力リスクを排除した上で術儀或いは秘儀の広域展開を行える。

 「……別に、私の身を削ってでも戦う必要は無いんですがねぇ。イエレザ様の命令なら仕方ありません。あ、一応聞いてもいいですか?」

 「なぁに?」

 「特別報酬とかって出ますか?」

 「……ええ、約束してあげる。だからしっかりと自分のやるべき事を成すのよ? ミーシャ」

 「わっかりましたぁ」

 ミーシャの手から溢れ出した泥が壁に沿って町を包み込み、汚泥の城壁を築き上げる。泥に衝突し、鋭利な爪牙を以て突き進もうとする熊が次々と泥の中へ飲み込まれ、肉体を構成する魔力を奪われると腐り果て、崩れ落ちる。

 「……ろ」

 堕ちろ。

 「……ちろ」

 腐れ、消え、呪われ。

 「腐れ堕ちろ……」

 少女の口から溢れ出る呪詛が熊の大群を呪い、腐らせ、足を引く。圧倒的な物量を誇る大群を泥が包み、肉と骨を溶かし尽くし、魔力を啜る。

 先の戦いで熊を構成する物質は魔力であるとミーシャは理解していた。魔力であれば此方側に分があるのだ。

 血肉を溶かすには時間が掛かる。足引きの呪いが皮膚を侵し、血液と混ざり合った後に心臓へ届き、臓腑諸共骨髄へ呪詛を撒き散らすには多少なりとも時間が掛かるのだ。だが、魔力単一で構成されているなら話は別。複雑な過程を飛ばし、魔力そのものを呪えばいいだけなのだから。

 呪って、呪って、足を引いて……。濁流の如く押し寄せる熊を

呪い殺せばいい。簡単なことだ、何故術を制御する必要がある。こうして目に見える全てを飲み込んで仕舞えばいい。全部……全部……。

 「ミーシャ」

 「……」

 「さっきも言ったけれど、全てを相手にすればいいワケじゃないわ」

 「……分かってますよぉ。だから」

 「だから何? 貴女、足元がお留守になっているわよ?」

 「え?」

 イエレザの言葉にミーシャの視線が足元……門に吸い寄せられる。

 溜め込まれ、魔力を喰らって増幅された泥が壁を越えて町の中にまで迫っていた。ぶくぶくと、黒い霧を吐き出しながらせり上がる秘儀の泥を見たミーシャは慌てた様子で意識を街道へ向け、溜まった泥を飛ばす。

 「意識なさい。魔力の操作と術の制御だけしていれば敗ける戦いでは無いわ。ミーシャ、貴女のやるべき事はなに?」

 「……均衡状態に持って行くことですぅ」

 「そうね、分かっているじゃない。なら此方から攻める必要は無いでしょう? 魔力の暴走を抑え、術の制御権を意識から手放さいこと。貴女がしくじればアイン様の方に熊の大群は向かうわ」

 「……分かりましたぁ、注意します」

 影の椅子に座り、頬杖を付いて戦況を眺めるイエレザを一瞥したミーシャは深呼吸を繰り返し、伝播杭の頭を握る。

 「……」

 伝播杭の伝達能力を用い町の外壁を把握する。壁を登ろうとする熊の気配は無し。だが、魔力を貯めて暴発寸前の泥が其処かしらに見受けられる。

 先ずは泥の放出と魔力の循環だろう。次に魔力の枯渇を防ぐ為の貯蔵庫構築。額に汗を流し、作業工程を頭に浮かべたミーシャは心より這い出る憎悪と憤怒を必死に抑え込み、秘儀の制御権を取り戻す。

 広域展開している秘儀は常に魔力を喰らい、消耗させる。アインの戦いが終わるか己が先に倒れるか。体力と時間の勝負であるが、魔力の消耗を気にする必要は無い。何故なら、熊を貯蔵庫として活用すればいいのだから。

 黒い杭が泥より撃ち出され、使用される分の魔力を吸い取り奪う。攻撃に耐える泥を補強する魔力は壁に衝突し続ける熊で補おう。ブツブツと独り言のように作業工程を呟くミーシャの手に力が込められる。

 「……」

 集中状態に入ったミーシャに掛ける言葉は無い。此方の状況は問題無いと判断したイエレザは森を見据え、剣を片手に駆けているアインを想う。

 熊の軍勢は確かに脅威であるが、奥に潜む存在と比べれば大したことは無い塵芥。真の脅威とは何か、それを知った時、彼の剣士は果たして剣を握れるのだろうか? どれだけ言葉で己を補強しようとも、罪と向き合った瞬間その鎧は脆くも砕け落ちるだから。

 
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