営み ③

文字数 2,524文字

 既に手遅れだと思っていた。子供だけで森へ行き、腕の一本でも見つかれば御の字だと思っていた。

 過去、森へ行き五体満足で帰って来た子供達が居なかったように、ムルスは二人の子供達の死を覚悟していた。森の獣に惨たらしく殺され、臓物と肉を貪られた姿を視界に映す覚悟をしていた。

 だが現実はどうだ。黒馬に乗った少年……アインによって二人の命は救われ、元気な姿を見せているではないか。ジュナは服の襟を剣先に引っ掛けられ吊るされている状態ではあるが傷の一つも見られず、メアリーは足を怪我しているが、死んでいない。子供達の奇跡的な生還にムルスは思わず安堵の息を吐く。

 「メアリー、いい加減離れろ。鬱陶しい」

 「あ、は、はい」

 アインの無愛想な声にメアリーは慌てたように彼の首から離れ、態勢を崩してしまう。

 くらりと少女の身体が後方に傾き、小さな背中が硬い石畳の上に打ち付けられようとした。その光景を見たムルスの身体が思考を越えて動き出し、必死に腕を伸ばしてメアリーを抱きかかえようと駆ける。

 「危なっかしいな、貴様は」

 アインがメアリーの身体を抱き止め、深い溜息を吐く。

 「自分の傷を考えろ。離れろと言ったが、今直ぐにではない。貴様は足に傷を負い、真面に立つ事も歩く事も出来ないんだぞ?」
 
 「す、すみません」

 「謝る必要は無い。……それにしても」

 ジロリと真紅の瞳が民を一瞥し、アインは不可思議だと呟く。

 「何故誰一人としてこの子の手当てをしようとしない。何故術師の一人も前に出ない。メアリーの為に動いたのは角を持つ男ただ一人だけ。何だ? 貴様等はただの木偶の棒か何かか?」

 彼が発する殺意と激情に誰もが口を閉ざし、俯いてしまう。一つ一つの言葉が鉄塊のような重みを持ち、抜き身の凶刃を思わせる死を纏っていた故に。

 「イエレザ」

 「何でしょう、アイン」

 「メアリーの治療を頼む。それと、何故誰一人として動かないのかワケを聞きたい」

 「ええ、いいでしょう。ミーシャ、貴女治療術は使えたかしら?」

 「え、えぇ? 久しぶりだから上手く使えるか分かりませんけどぉ、イエレザ様の命令ならやってみますぅ」

 「そう、ならお願い」

 黒馬から飛び降りたアインは剣先からジュナを地面に降ろし、メアリーをミーシャに預けるとイエレザの前に立つ。

 「アイン、世の中には……人が集まり社会を運営する中には破ってはならない禁忌と掟があります。貴男が森で助けたあの子供達はそれを破ったのです」

 「だから手を貸さないと?」

 「はい。森には子供だけで入ってはならない。森に入るには大人達或いは兵と戦士と一緒でなければならない。この町で定められた掟は住民の安全を守る為に在り、森の化け物から子を守る為に在る。掟を破り、禁忌を犯した者は皆化け物……怪物に一族諸共生涯追われ続けるのです」

 「抗えばいいだろうに。武器を手に取り、脅威を排除する為に何故動かん。化け物と呼ばれていようとも、戦えぬ相手ではない筈だ。特にイエレザ、お前が居ればな」

 「ええ確かに私であればものの数秒で化け物を排除し、町に安寧を与えることが出来るでしょう。ですがアイン、私はこの地の領主であり、責任と責務を負う立場であるのです。もし私が一人で動き、化け物を仕留めたとしましょう。その後、この町の者はどうなると思いますか?」

 「……何かあったら直ぐにお前に物事を片付けて貰おうとするだろうな」

 「ご聡明で何よりです。問題の一つや二つを解決することは単純な答えでしかありません。しかし、問題は領主が一つの町の問題を簡単に解決してしまった事にあるのです。アイン、掟とは民の行動を律し、統制する為に存在する。禁忌もまた安全と秩序を維持する為に存在しているのです」

 「成る程。お前が動けないのはよく分かった。ならばイエレザ、もしその化け物を俺が殺したらメアリーとジュナは、彼等の家族は化け物に追われずに済むわけだな?」

 「そうですね。ですがアイン、森の化け物は普通の魔族では太刀打ち出来ない程の強さを持っています。貴男であっても勝てるかどうか分かりません」

 答えは得た。アインはそれだけ言うと足を癒して貰ったメアリーに近づき問う。

 「メアリー、貴様は生きたいか?」
 
 「え?」

 「掟を破り、禁忌を犯したのだろう? それは貴様が一番知っている筈だ。何故ジュナと共に森へ行った。何故危険を承知で行動した。答えろ」

 「わ、私は、その、お母さんの薬を、薬草を取りに……」

 「薬? 貴様の母親は病に冒されているのか?」

 「はい……町のお医者様も術師の方も匙を投げた病です。だけど、本で見たんです! 森で採れる薬草を使えば病が治るって! だから」

 「森へ行ったのか。禁忌を犯し、掟を破ればお前の家族諸共化け物とやらに殺されるんだぞ?」

 「……でも、私は、お母さんに、生きていて欲しいから」

 「……誰かに生きていて欲しい。大切な人の命を守りたい。その気持ちは分かる。だが、その想いから出た行動が死の時間を早まらせた事に気付くべきだったな。もう一度問おう。メアリー、貴様は生きたいか?」

 「……私はどうなってもいい。だけど、家族は、生きていて欲しい」

 禁忌を犯した者は町の外へ追放されるべきだと民の一人が言った。掟を破った者を、家族をこの町に置いてはおけないと誰かが叫んだ。水面に小石を放り投げた波紋のように、叫びと非難は続々とジュナとメアリー、ムルスに向かれ、大衆の熱が生み出す混沌が一つの家族に絶望を植え付ける。

 母を生かしたかった。死んで欲しく無かった。ただ、平穏な日常が、変わり映えのしない日常が……営みが欲しかった。メアリーの瞳から涙が零れ落ちた瞬間、灰の剣が地面に突き立てられる轟音が鳴り響く。

 「寄って集って小五月蠅い木偶の棒どもが黙れよ。貴様等が諦め、畏れていた化け物が居なくなればいいんだろう? いいだろう、俺が殺してやる。メアリー、涙を拭け。泣くな。俯くな。貴様は確かに禁を犯し、掟を破った。だが、その心は正しいと俺が信じよう。……貴様の絶望、俺が殺してやる」

 そう言ったアインの真紅の瞳が輝き、大衆を黙らせると彼は少女に手を差し伸べた。
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