姿無き声 ③

文字数 2,747文字

 水晶の廊下を歩く。水晶のドアノブを握り、扉を開く。部屋は廊下と同じ紺碧に満たされ、全て同じ構造だった。

 領域の核……。本当にそんなものはあるのだろうか? 影が言っていたことは真実であるのだろうか? 手助けすることも、導くことも嘘なのではないのだろうか? 逡巡する思考は不要な猜疑心を招き、真実を闇で覆い隠そうとするが、ウィシャーリエは頭を振り、部屋の調度品を隈なく調べ上げる。

 サレナの命が掛かっているのだ。迷っている暇など無いし、時間は残されていない。置時計を引っ繰り返し、棚の中を漁る。しかし、手掛かりが無い以上何をどうやって調べればいいのか分からない。下唇に指をあて、ブツブツと独り言を呟く少女の耳に扉が開く音が聞こえた。

 「お客様、どうされましたか?」

 「……ッ!!」

 扉へ視線を向け、其処に立つ老婆を視界に映したウィシャーリエは慌てた様子で両手を振り「い、いえ! 何でもありません!」と話すと共に、言い訳を考える。

 領域の核を探していたとは口が裂けても言えない。水晶館は上級魔族ズィルクの領域であり、メイリアルが操る館。この館で不審な行動を取るということは、敵に牙を剥く行為であり、戦う力が無い少女にとって悪手そのものなのだから。

 「少し迷ってしまいまして! あ、あの、メイリアルさんは何方にいらっしゃるのでしょう?」

 「メイリアル様でしたら遊戯室にいらっしゃりますよ。ご案内致しましょうか?」

 「いえ、大丈夫です!」

 勿論遊戯室の場所など知らなかった。だが、敵か味方かも分からない老婆に案内されるよりは、自分一人で探した方がマシだ。そそくさと足早で彼女の横を通り過ぎたウィシャーリエの頭に、老婆の声が響き渡る。嫌だ、助けてくれ、もう嫌だ……と。

 背後を振り返り、老婆の顔を見たウィシャーリエの瞳に、声とは正反対の表情が写る。笑顔。満面の笑みを顔に張り付けた老婆は、皺だらけの頬を溶けた飴のように垂らし、黄ばんだ歯を見せつけていた。

 「どうしたのですか? お客様。婆の顔なんか驚いたように見て」

 「……いえ、何でも、ありません」

 「そうですか。ではアタシは部屋を掃除しなければいけないのでねぇ。失礼しますよ」

 尚も聞こえ続ける頭の声。少女の異能が老婆の心の声を感じ取り、声色と表情とは正反対の言葉を聞き続ける。

 助けてくれ、終わらせてくれ、贖罪を、赦しを、我々に与えたまえ……。悲哀と絶望に濡れた声が、涙を流しながら叫ぶ幻影が老婆の内より溢れ出し、少女に細く骨ばった指を伸ばす。

 「……あの、聞いてもいいですか?」

 「何でしょう?」

 「メイリアルさんは……どのような人なのでしょう?」

 ウィシャーリエの頭に響いていた声が止まり、幻影が涙を止め。

 「メイリアル様は素晴らしい御方ですよ」

 老婆は歪んだ笑顔のまま、そう言った。
 
 「……あの、メイリアルさんは」

 「メイリアル様は誰よりも美しい御方ですよ」

 「は、はぁ……。それで、彼女は」

 「メイリアル様はズィルク様の伴侶に相応しい御方ですよ」

 「……」

 違う、そうじゃない、私が言いたいのはそうじゃない! 老婆の内なる声が叫び、
慟哭する。こんな何もかもが狂った館を終わらせて欲しいと血涙を流し、白い髪を振り乱す。

 「……水晶館は」

 「はい?」

 「水晶館を破壊したいんです。私の友達を助ける為に、ズィルクの領域を壊さなければならない。だから、教えて下さい。術の核は何処にあるのですか?」

 老婆の笑顔から表情が消え失せ、瞳に暗い意思が宿る。能面のような無表情と死体を思わせる生気の無さ。小さく悲鳴を上げたウィシャーリエは、勢いよく走り出し、ずらりと並んだ扉の一つに駆け込み鍵を掛ける。

 何だ、あの顔は。何故心の声と正反対の言葉を話す。いや、そもそも敵陣で弱点を問うた己が悪いのだが、老婆自身が助けを求めているのにどうしてあんな顔をする。分からない……分からないが、非常に不味い状況だ。

 「あれは、なに?」

 「非常に不味い状況だ。エリー」

 「そうだね、クルーガー。敵陣に身を置いて、不用心に情報を引き出そうだなんてちっとも自分の能力の強みを理解していない。これじゃぁ先行きが不安だね」

 「あぁ。俺ならばもう少し上手くやれただろうが、今は無理だ。さて、此処から先どうする?」

 「そうだねぇ……諦めるも、抗うも個人の自由と言いたいけれどそうも言っていられない。戦うか、取り込まれるか。それはその人次第だろうね」

 扉の向こう側から男女の声が聞こえ、少女は姿が見えない二人の声に耳を傾ける。

 「エリー」

 「どうしたの? クルーガー」

 「姿無き我々は亡霊のような存在だ。実体が存在しない故に現世に触れられず、関与することも出来ない。そうだな?」

 「うん」

 「ならば、実体を持ちながら現世に関与できる存在は何と言う?」

 「それは」

 死生者だろうね。女の声と共に、朽ちかけた鎧を纏った人類軍の戦士が水晶より湧き出し、崩れた四肢を、醜悪なる様相を以て次々とウィシャーリエの前に現れる。

 「ひ、ヒッ!!」

 情けない声を喉から絞り出し、絨毯の上に尻もちを着いた少女は琥珀色の瞳に涙を溜め、顔を腕で覆い隠す。恐怖から逃れるように、見たくないものを見ない為に。これ以上死生者の群れから距離を取れない筈なのに、必死に距離を取ろうと扉へ腰を退く。

 「来ないで!! いや、嫌ぁあ!!」

 腐った肉片が少女の足元に滴り、腐臭が鼻孔をつく。白い骨を剥き出しにした者、死して尚痛みに呻く者、生者の肉を得たいが為に歩く者……。耐え難い恐怖と狂気に冒された少女は、悲鳴に混じる笑い声を聞き取り、それが己のものであると知る。

 「力を知らぬ者は、己の力さえも軽視する。恵まれし者は堕落に甘え、研鑽と修練を疎かにするものだ。どうしたらその者を強く出来るのか、力を認識させることが出来るのか……。それは、死と隣り合わせの危機的状況だろう」

 「これが試練とでも言うつもり?」

 「如何にも。命という鋼は危機という炎を以て鍛え上げられる。初めから強い者は人外であり、生物という規格に当て嵌まらないこの世の異物。だが、弱き者は世の理の内にあり、意思と誓約を力に変えて強くなる。
 故に、人は神をも打倒できる強さを得られるのだ。生きたいのか、死にたいのか……。そんなこと、本人にしか知り得ぬもの。エリー、俺は信じたい。弱き者などこの世に居ないと、誰であれ強くなれると信じたいのだ。我々の話を聞いている者など居ないだろうが、伝えたい」

 誰が信じなくても、自分自身のことも信じられなくても、俺は信じたい。人の強さを、希望を、可能性を。姿無き男は扉越しにウィシャーリエを見つめ、

の鋼を軋ませた。
 
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