問いは虚空へ消え ⑤
文字数 2,682文字
「アイン!? アイン!! 大丈夫ですか!?」
「……サレ、ナか?」
「良かった……! どうしたんですか!? 工房から姿を消したと思ったら廊下に座り込んでいるなんて……。何処か具合が悪いところでもあるのですか?」
「……いや、大丈夫だ。サレナ、俺はずっと此処に居たのか?」
「はい……。初めはウィシャーリエが気付き、貴男を探しに行こうと部屋を出た瞬間、彼女の叫び声が聞こえまして……。アイン、本当に悪いところはないんですね? 一応治癒魔法を掛けましょうか?」
「……問題ない。迷惑をかけた」
「迷惑だなんてそんな……」
壁に背を預け、座り込んでいたアインは僅かに痛む頭を振るい、自分の座り込んでいた場所がアトラーシャの工房の前であると察する。
「……サレナ」
「何でしょう?」
「どれくらい俺は気を失っていた」
「そうですね……五分ほどでしょうか? どうかしましたか?」
「……いいや、大丈夫だ」
ゆっくりと立ち上がり、首の骨を鳴らしたアインは塔の壁をジッと見つめ、固い石壁を撫でるとサレナを連れてアトラーシャの工房へ足を踏み入れる。
「少し、そうだな、懐かしい顔を見た」
「懐かしい顔?」
「ああ。過去の記憶の断片とでも言うのだろうか? いや、違うな。あの場に俺は居なかったようだし、この塔が見せた幻のようなモノか。何にせよ、失せた黒冠の意味が少しだけ思い出せたかもしれん」
「それは良かったですね。その記憶の断片の内容とはどのようなモノなのですか?」
「古い話だ。もう今の俺とは何も関係が無い話。……存外俺は今の状況に満足しているんだ。お前と、クオン、ウィシャーリエ……今の俺を象り、作り出しているのは過去ではない。今を生き、歩み続けているからアインという個が形成されている。妙なものだな、人の縁というものは」
「……アイン、少ししゃがんでください」
「何故だ?」
「いいから、早く」
彼は自分と同じ天涯孤独の身なのだ。封魔の森で出会った日から、今日までずっと共に旅を続けてきたサレナだからこそ分かる。フルフェイスで素顔を覆い隠し、バイザーの隙間から覗く真紅の瞳が涙を流さなかろうと、絶え間なく燃え続ける爆発的な殺意と激情が彼の瞳から涙の雫を奪い尽くしていようと、少女は彼の心が叫ぶ悲哀を理解出来た。
「アインは頑張っていますよ。最初の頃は私だけの為に剣を振るっていましたが、今は共に戦う者達の為に剣を振るっています。誰かを守ろうとするその意思が、戦った者の意思と誓約を汲み取り、記憶し続ける誓いが今のあなたを作り上げているのですね」
しゃがみこんだ剣士の頭を撫で、柔らかな微笑みを浮かべたサレナは冷たい鋼の感触を物ともせず、慈愛の心を以て撫で続ける。
「……サレナよ」
「どうしました? アイン」
「初めてだな、お前が俺の頭を撫でるとは。何時もは俺が撫でている筈なのに」
「いいじゃないですか偶には。アインが頑張って、人として在ろうとしていることが嬉しいんです。理由はそれだけで十分でしょう?」
「……ああ、そうだな。だが、いいのか? 周りの連中が見ているぞ?」
「え?」
我に返った様子で周囲を見渡したサレナは頬を朱色に染め、自分の椅子へ座り直すと両手をギュウと握り締め、俯いた。
「ねぇサレナちゃん」
「……何でしょう」
「惜しかったね」
「お、惜しいとは?」
「またまたぁ。あのまま良い雰囲気で行ったらさ、キスとか出来たんじゃないの?」
「キ、キスだなんてそんな!!」
「ん? アインとのキスは嫌?」
「嫌ではなく、それは恋人同士でするもので、私とアインは恋人ではありません!!」
「え? あれだけ甘い言葉を話しておいて付き合ってすらいないの? 普通ね、淑女たるもの殿方の身体には余り触れないものよ? え? 本当に付き合っていないの? 本当?」
「クオンさん、アトラーシャ、其処までにしておいてください。サレナが困っていますから……」
てんやわんやと騒がしさに似た掛け合いをする四人を一瞥したアインは掌を見つめ、意識を失っている間に見た光景の……ラールゥと呼ばれた女の視線を思い出す。
気付いていたのか、それとも別の場所から映像を通して此方を窺っているのかは分からない。だが、確かにラールゥはアインに視線を向け、その存在に気が付いていた。在り得ないことだが、それが事実だ。
「アインさん、大丈夫ですか?」
「アインなら大丈夫だってアトラーシャちゃん! 殺しても死なないような剣士だよ? 彼の強さは君だって知っているでしょ?」
「それはそうですが……もし何かあったら、いえ、その時は不躾ですが貴男の中を見させて貰います。それで構いませんね?」
「……あまり心配するな。俺は大丈夫だ。痛みや苦しみならドゥルイダーと戦った時の方が何倍も辛かった。肉体も、心も、何もかもがな」
「それならいいですが……ほら、例の話もありますし。貴男の命は貴男だけのものではありません。もしアインさんの命が失われたら……サレナの、彼女の気持ちも考えてあげて下さい。お願いします、アインさん」
「ああ」
空いていた椅子に腰かけ、腕を組んだアインは大きく溜息を吐き、天井を見上げた。
「それで」
「え?」
「何の話をしていた? こうして一つのテーブルを同い年の少女が三人囲んでいるんだ。何か話す事があるのだろう? 俺とクオンを気にせず、話したいことを話せばいい。そうだな? クオン」
「まぁそうだね。サレナちゃんやウィシャーリエちゃん、アトラーシャちゃんに比べれば私とアインはもう大人も大人。君達若者の話を聞くことが楽しみでもあるかな……って。アイン、一つ言いたいんだけどいいかな?」
「何だ」
「私はまだそんなに齢を食っちゃいないよ? いや、確かにこの子達と比べればお姉さん寄りの人間だけど、君に年寄り扱いして欲しく無いね」
「そうか」
「そうかって……君に何を言っても無駄なんだろうけどさ、少しは私を丁寧に扱ってくれてもいいんじゃないかな? 私は君のお守りや相談役じゃないんだよ?」
「ああ」
「そうやって直ぐどうでもいいような態度を取ってさぁ……まぁいいや。ほら、サレナちゃんが淹れてくれたお茶だよ、飲みな」
「そうだな」
素っ気ない返事を返し、それに対してまた言葉を重ねるクオンの様子は何処か面白おかしい光景で、その様子を見ていたアトラーシャは自分でも知らぬ内に笑顔を浮かべていた。
久しぶりに、心から笑った笑顔を浮かべた少女から最早絶望の意思は消え去っていたのだった。
「……サレ、ナか?」
「良かった……! どうしたんですか!? 工房から姿を消したと思ったら廊下に座り込んでいるなんて……。何処か具合が悪いところでもあるのですか?」
「……いや、大丈夫だ。サレナ、俺はずっと此処に居たのか?」
「はい……。初めはウィシャーリエが気付き、貴男を探しに行こうと部屋を出た瞬間、彼女の叫び声が聞こえまして……。アイン、本当に悪いところはないんですね? 一応治癒魔法を掛けましょうか?」
「……問題ない。迷惑をかけた」
「迷惑だなんてそんな……」
壁に背を預け、座り込んでいたアインは僅かに痛む頭を振るい、自分の座り込んでいた場所がアトラーシャの工房の前であると察する。
「……サレナ」
「何でしょう?」
「どれくらい俺は気を失っていた」
「そうですね……五分ほどでしょうか? どうかしましたか?」
「……いいや、大丈夫だ」
ゆっくりと立ち上がり、首の骨を鳴らしたアインは塔の壁をジッと見つめ、固い石壁を撫でるとサレナを連れてアトラーシャの工房へ足を踏み入れる。
「少し、そうだな、懐かしい顔を見た」
「懐かしい顔?」
「ああ。過去の記憶の断片とでも言うのだろうか? いや、違うな。あの場に俺は居なかったようだし、この塔が見せた幻のようなモノか。何にせよ、失せた黒冠の意味が少しだけ思い出せたかもしれん」
「それは良かったですね。その記憶の断片の内容とはどのようなモノなのですか?」
「古い話だ。もう今の俺とは何も関係が無い話。……存外俺は今の状況に満足しているんだ。お前と、クオン、ウィシャーリエ……今の俺を象り、作り出しているのは過去ではない。今を生き、歩み続けているからアインという個が形成されている。妙なものだな、人の縁というものは」
「……アイン、少ししゃがんでください」
「何故だ?」
「いいから、早く」
彼は自分と同じ天涯孤独の身なのだ。封魔の森で出会った日から、今日までずっと共に旅を続けてきたサレナだからこそ分かる。フルフェイスで素顔を覆い隠し、バイザーの隙間から覗く真紅の瞳が涙を流さなかろうと、絶え間なく燃え続ける爆発的な殺意と激情が彼の瞳から涙の雫を奪い尽くしていようと、少女は彼の心が叫ぶ悲哀を理解出来た。
「アインは頑張っていますよ。最初の頃は私だけの為に剣を振るっていましたが、今は共に戦う者達の為に剣を振るっています。誰かを守ろうとするその意思が、戦った者の意思と誓約を汲み取り、記憶し続ける誓いが今のあなたを作り上げているのですね」
しゃがみこんだ剣士の頭を撫で、柔らかな微笑みを浮かべたサレナは冷たい鋼の感触を物ともせず、慈愛の心を以て撫で続ける。
「……サレナよ」
「どうしました? アイン」
「初めてだな、お前が俺の頭を撫でるとは。何時もは俺が撫でている筈なのに」
「いいじゃないですか偶には。アインが頑張って、人として在ろうとしていることが嬉しいんです。理由はそれだけで十分でしょう?」
「……ああ、そうだな。だが、いいのか? 周りの連中が見ているぞ?」
「え?」
我に返った様子で周囲を見渡したサレナは頬を朱色に染め、自分の椅子へ座り直すと両手をギュウと握り締め、俯いた。
「ねぇサレナちゃん」
「……何でしょう」
「惜しかったね」
「お、惜しいとは?」
「またまたぁ。あのまま良い雰囲気で行ったらさ、キスとか出来たんじゃないの?」
「キ、キスだなんてそんな!!」
「ん? アインとのキスは嫌?」
「嫌ではなく、それは恋人同士でするもので、私とアインは恋人ではありません!!」
「え? あれだけ甘い言葉を話しておいて付き合ってすらいないの? 普通ね、淑女たるもの殿方の身体には余り触れないものよ? え? 本当に付き合っていないの? 本当?」
「クオンさん、アトラーシャ、其処までにしておいてください。サレナが困っていますから……」
てんやわんやと騒がしさに似た掛け合いをする四人を一瞥したアインは掌を見つめ、意識を失っている間に見た光景の……ラールゥと呼ばれた女の視線を思い出す。
気付いていたのか、それとも別の場所から映像を通して此方を窺っているのかは分からない。だが、確かにラールゥはアインに視線を向け、その存在に気が付いていた。在り得ないことだが、それが事実だ。
「アインさん、大丈夫ですか?」
「アインなら大丈夫だってアトラーシャちゃん! 殺しても死なないような剣士だよ? 彼の強さは君だって知っているでしょ?」
「それはそうですが……もし何かあったら、いえ、その時は不躾ですが貴男の中を見させて貰います。それで構いませんね?」
「……あまり心配するな。俺は大丈夫だ。痛みや苦しみならドゥルイダーと戦った時の方が何倍も辛かった。肉体も、心も、何もかもがな」
「それならいいですが……ほら、例の話もありますし。貴男の命は貴男だけのものではありません。もしアインさんの命が失われたら……サレナの、彼女の気持ちも考えてあげて下さい。お願いします、アインさん」
「ああ」
空いていた椅子に腰かけ、腕を組んだアインは大きく溜息を吐き、天井を見上げた。
「それで」
「え?」
「何の話をしていた? こうして一つのテーブルを同い年の少女が三人囲んでいるんだ。何か話す事があるのだろう? 俺とクオンを気にせず、話したいことを話せばいい。そうだな? クオン」
「まぁそうだね。サレナちゃんやウィシャーリエちゃん、アトラーシャちゃんに比べれば私とアインはもう大人も大人。君達若者の話を聞くことが楽しみでもあるかな……って。アイン、一つ言いたいんだけどいいかな?」
「何だ」
「私はまだそんなに齢を食っちゃいないよ? いや、確かにこの子達と比べればお姉さん寄りの人間だけど、君に年寄り扱いして欲しく無いね」
「そうか」
「そうかって……君に何を言っても無駄なんだろうけどさ、少しは私を丁寧に扱ってくれてもいいんじゃないかな? 私は君のお守りや相談役じゃないんだよ?」
「ああ」
「そうやって直ぐどうでもいいような態度を取ってさぁ……まぁいいや。ほら、サレナちゃんが淹れてくれたお茶だよ、飲みな」
「そうだな」
素っ気ない返事を返し、それに対してまた言葉を重ねるクオンの様子は何処か面白おかしい光景で、その様子を見ていたアトラーシャは自分でも知らぬ内に笑顔を浮かべていた。
久しぶりに、心から笑った笑顔を浮かべた少女から最早絶望の意思は消え去っていたのだった。