魔導 ③

文字数 2,673文字

 ズィルクの背後に展開された水晶の槍は一本のみ。細長い柄は紺碧の煌めきを天井から吊るされたランプの灯りを反射させ、幅が広い刃は薄い水晶の刃を形成していた。

 見るも美しい紺碧の長槍。魔法や術式に疎い戦士であれば水晶の槍など脆弱な武装だと認識するだろう。だが、槍を視認したアトラーシャは槍自体に構築された術式と練り込まれた破滅的な魔力の塊に目を見張る。

 魔槍……その言葉がピッタリと当て嵌まる。紺碧の内にはズィルクの魔力が最大限にまで充填され、水晶の刃は美しいだけではなく空間さえも切断出来る術が常に展開されており、死を撒き散らし屍を積み上げることに特化した魔導兵器と少女は一目で見抜き、恐怖する。

 規格外の一級品。使用者の為だけに調整された戦闘兵器。バックファイア無しで絶大な力を振るえる反則技。生命が持つ魔力は皆定められた量しか持てないのに、ズィルクの魔力量以上の魔力を宿す水晶の槍は、型を構えるクオンを刀身に映すと金切り音に似た音を発し、周囲の空間を捻じり、歪ませた。

 あんな兵器へ真っ向から対峙するなど不可能だ、何の対抗措置も施さずに生身で魔槍と渡り合うなど自殺行為に等しいもの。アトラーシャは己の前に立ち、背を向ける赤髪の戦士へ「止めなさい!! アンタ、死ぬわよ!!」と叫び、その蛮勇にも似た決意を否定する。

 「死ぬつもりは無い。私は敗けるつもりも、倒れるつもりも無い。アトラーシャちゃんとウィシャーリエちゃん、二人が私の後ろに居るのなら、此処を退くわけにもいかないのさ」

 魔槍の一撃を防ぐ手立ては無い。身に響く魔力の暴風、刃から洩れる滅尽滅相の破滅的な殺意、ズィルクに宿る際限なき憎悪と憤怒……。目の前に立つ魔族は藍色の瞳に明確な敵意を燃え上がらせると、槍を構えクオンへ斬り掛かる。

 どう戦い、どう立ち回る? 近接戦闘ならば己に分があると思いたい。だが、魔槍がどんな能力を持ち、どのような行動を取るのか分からない。迂闊に手を出し防御したら腕の一本や二本では済まないだろう。刹那の間に逡巡したクオンは破滅の力を宿す刃を首の皮一枚のところで回避し、魔槍の柄部分へ肘を叩き込む。

 紺碧の柄が砕かれ、二つに分かれる。柄に充填されていた魔族の魔力が破損部位を修復するのではなく、

に分離した。

 「迂闊だな人類の戦士。魔槍ディーグレスは魔導具の到達点の一つにして、ただ命を奪う為だけに存在している戦闘兵器。この武器にはなんの思い入れも、感情の一つも存在しない死の得物。故に」

 破壊したければ壊せばいい。砕きたければ砕けばいい。貴様の行動一つ一つが命を縮める矛となるのだから。

 赤黒い魔力の刃が展開され、身を躱し続けていたクオンの肩を死角から斬りつけ鮮血を宙に散らす。ディーグレス、槍自体の耐久性は薄氷程度だが、身を守る為に破壊するだけ数を増やし、敵対者の命を奪う凶刃を増やし続ける魔なる槍。粉砕され、破壊され、破片や欠片になろうとも元の性能と術式を保ったまま無数に増える魔槍は瞬く間にクオンの身体全体を切り刻み、血に濡らす。

 「諦め、亡失、喪失、無念……。人は選択の際、何かを諦め失いながら生きている。その何かとは無数の意味を持つ事柄。戦士よ、貴様は秘儀を会得している強者の部類に位置しているが、己よりも更に強大な存在を前にした瞬間、貴様は強者から弱者に成り代わる。
 格下が格上に敵う道理は無し、理屈ではないのだよ人類。強き者だけが己の願いと祈りを叶えることができ、欲望と渇望を満たすことが出来る。それが世界の道理であり、不条理でもある。死ぬがいい、そして我が紺碧の一部となって不変に飲み込まれろ。そう、蒼い、青い、何処までも深い水晶になるがいい」

 「……水晶、ね」

 血を滴らせ、息を切らしたクオンが呟く。

 一瞬にして全身を切り刻まれ、魔力から体力まで失った肉体は悲鳴を上げていた。圧倒的強者を前にして身を焼く危機感が精神を蝕み、闘志を生み出す心が萎縮する。

 勝てない、敗ける、抗う術が無い。血に混じった赤い汗がクオンの頬を伝い落ち、絨毯に染みを作る。

 「……君は、憎悪する者達を水晶に、閉じ込めているのかい?」

 格下が格上に勝てない道理は無い。そんなもの、自分でも分かっている。己はアインほど戦闘に特化した人間でも無ければ、サレナほど他者を導くようなカリスマを持った人間でも無い。だが、それでも、自分が戦う理由を考えた時、何時も誰かが背中に居た。守るべき存在を背に戦っていたのだ。

 勝てるとか勝てない等という話ではない。今は背後に居るウィシャーリエとアトラーシャを守る為に戦うべきだ。牙無き者を守り、その意思と想いを守る為に己の力はあるのだろう。

 「……その槍で君は、何人の人類を殺したんだい?」

 「覚えていないな」

 「その中に、殺した人類の中に、メイリアルも居たのかい?」

 ズィルクの身体から強大な魔力が噴き出すと共に、憎悪と憤怒が空気を震わせる。縦横無尽に飛び交っていた大小様々な水晶の槍の矛先が一斉にクオンに矛先を向け、黒色の刃が彼女の肉を断とうと迫る。

 自分でもおかしなことを言っているのはよく分かる。メイリアルは今さっきまでウィシャーリエと言葉を交わし、ピアノを弾いていたところをクオン自身が見ていたのだ。なのに、何故メイリアルをズィルクが殺したと口に出してしまったのか、自分でも分からない。

 「なんだい? 君、随分と怒っているね。刃の軌道が乱れているよ? もしかして、本当にメイリアルを君が殺したのかい?」

 「黙れ人類……」

 「いいや黙らない。魔槍……確かに強力で無慈悲な凶刃を振り回す得物だ。けど、君はその力を振るってメイリアルを殺したのかい? 答えなよ、ズィルク」

 「黙れ……!!」

 黒い刃による攻撃は一層激しさを増し、空間を断絶すると同時に周囲の魔力をも根こそぎ滅ぼし殺し切る。破壊と破滅、紺碧と黒の閃光。遊戯室の調度品や内装が破壊され尽くそうと魔槍の刃は執拗にクオンを狙い続け、命を奪おうと躍起になる。

 挑発を続ければ攻撃はより過激となるが、クオンは息を整え数多の凶刃を避け続ける。一直線に急所を狙う斬撃は戦士の目であれば避けるに容易く、秘儀を展開しつつ肉体の回復に努めていたクオンは緋色の瞳にズィルクを映し、再度懐に潜り込む。

 「君が何を目的にして、どう行動しようとも私には関係無い。私は」

 私の仲間のために、守るモノの為に戦うだけだ。そう言い放つとズィルクの脇腹に拳を叩き込んだ。

 
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