百年目の涙 ①

文字数 2,741文字

 男は戦い以外何も要らなかった。

 戦いだけが人の本質であり、生命は皆戦う為に生きている。世界に敷かれた制約を疑いもせず、日々殺し合う生こそが命に科せられた義務なのだ。永劫不変……二百年間の戦いの中で上級魔族ズィルクは人の本質と制約に縛られた不変性こそが唯一無二の真実であり、真理であると理解した。

 何故戦場で殺し合っているのに涙を流す。何故刃を向け合っているのに涙を流す。何故他人同士である筈なのに、他者を仲間と呼んで憤る。理解出来ない。理解出来ぬ故に、人魔闘争における戦闘はズィルク自身の不変性を証明する為の試験場でしかなかった。

 仲間など不要。友など不必要。愛は刃と意思を鈍らせる酸であり、恋は己が誓約を揺るがす毒蛇である。ただ一人、荒涼とした戦場を見渡し、敵である人類を殺し尽くしてきた魔族は敗北を喫するまで殺意と憎悪を内に滾らせていた。

 魔槍を振るい、返り血を浴び、技を研ぎ澄まし肉を断つ。戦い続け、二百年の不変を貫いてきた魔族は一度の敗北……人類側の決戦存在である勇者に敗北し、傷を負いながら敵地である人類領へ逃げ込み、一人の少女と出会った。褐色の肌を持ち、若草色の髪が印象的な少女……メイリアルと出会ったのだ。

 瘦せ細り、乾いてしまった少女は道端に転がる駄獣のように思えた。家と呼ぶにはみすぼらしく、決して人が満足に生活出来ると思えない小屋に蹲っていた少女を見たズィルクはメイリアルを殺そうとしたが、人類領の中で魔族が人類を殺したの痕跡を
残せば自分自身の身が危うくなると判断し、不要なリスクを回避する判断を下した。

 メイリアル……魔法使いの才能を内に宿し、磨けば光る原石だと最初は思った。人類領に対し迂闊に手を出せない以上、彼女を配下に加え密偵として使い潰す気だった。だが、メイリアルが受けた母の愛を知り、彼女自身の母への想いを知ったズィルクの頭の中からは当初の計画が消え失せ、不可思議な感情が芽生えていた。

 彼女に魔法の使い方を手解きし、読み書きを教え、穏やかな日々を過ごす。日が沈んだら床に就くように促し、日が上ると起きて来た少女と言葉を交わす。戦場で人類を殺し、戦いに明け暮れていた男にとってそれは奇妙な共同生活だった。敵である筈なのに、殺さなければならない人類の少女と過ごす日々は時が経つにつれ、彼にとってかけがえの無い輝ける日々となっていたのだ。

 変わらなければいいと思った。メイリアルとの日々が、このままずっと続けばいいと願った。この幸福が永遠となり、少女が傍にいる世界を望んだ魔族は人類の少女を愛し、恋をした。魔族の英雄にして、人類の強大な敵である上級魔族がたった一人の少女の幸福を願い、彼女の未来と希望を祈った。それを奇跡と言わず何と言おうか。

 ……ふと、瞼を上げたズィルクは夜空に浮かぶ星々を視界に捉えた。星は流星のように線を描き、天を回るようにして弧を描く。

 「目が覚めたようだな、魔族」

 白草に覆われた白の大地に黒い騎士甲冑を着込んだ男……アインが剣の柄に両手を置いて立っていた。

 「……領域、いや、ここは領域に当て嵌まらない世界か? なるほど、内包世界か此処は」

 「理解が速くて助かる。どうした? 得物を持たないのか?」

 ゆっくりと立ち上がり、僅かに首を横に振ったズィルクは「内包世界であるのなら、引き込まれた私に貴様をどうこうすることは出来ん」と自らが置かれた状況を理解する。

 「私に用があるのだろう? 貴様の内包世界に引き摺り込まれ、秘儀の発動も出来ない状況だ。用件があるのなら大人しく聞こう、人類」

 「……俺が秘儀を発動し、貴様を呼んだのは一つの手段でしかない。奇跡を成し、上級魔族ズィルクを救うという目的の為に、俺は剣の内包世界に貴様を引き摺り込んだ。……魔族、貴様を救いたいと願った者が居る。それは」

 「私を救うだと? 馬鹿馬鹿しい。救うとは何だ? どうして敵である私を救おうと願う? いいか人類……私を救うなど不可能だ。貴様が戦士であるのならば、その黒白の剣が飾りではないのならば、私を殺せ。戦士として私を」

 「話を最後まで聞け。何故俺が貴様を救う話をしている。……俺の役目は此処までだ、後は任せたぞウィシャーリエ」

 溜息を吐き、剣を背負ったアインの背後から琥珀色の瞳を持つ少女が不安そうに顔を覗かせ、ズィルクを視界に映す。

 「……貴様、私の領域に居た。そうか、ならば私は本当に敗けてしまったのだな。あと一歩のところで、希望を失ってしまったか」

 「……ズィルクさん、貴男の希望とはメイリアルさんと再び出会うことですか?」

 「……違う」

 「違う?」

 「私は自分自身の身等どうでもいいのだ。この身に流れる魔力が枯れ果てようと、命が燃え尽き無くなってしまおうと、メイリアルが再びこの世に生を受け、自らの幸福を追い求めてくれればそれで良かった……。その為に私は百年間戦線を引き延ばしつつ、ワグ・リゥスに存在する古代魔導炉を追い求めた。まぁ、その計画も貴様等によって打ち砕かれたがな」

 メイリアルが己の幸福を追い求め、過去の因縁が消え去った現代であれば少女は必ずや自分自身の未来と希望を掴み取れるだろう。彼女が自らの足で進む道に過去の縁は不要。少女の命が古代魔導炉の魔力で蘇った後、ズィルクは消える。彼が愛した少女の為に、命を使い潰す筈だった。

 だが、蓋を開けてみれば計画の障害にも成り得ない小石程度の存在がズィルクの計画を破綻させ、不可能なものにしてしまった。領域を破壊され、あと一歩にまで押し上げた戦線を無かったことにされた魔族は、せめてメイリアルと彼女の母の遺体を守る為、破壊された領域を紺碧の大樹に再形成した。

 紺碧の大樹とは云わば彼にとっての最終防衛線であり、最後の悪あがき。大樹が存在する地域一帯を一時的な戦線状態とする防衛術。それが発動されたと認識したズィルクは乾いた笑い声を発すると、天を見上げて魔槍を顕現させる。

 「……すまないメイリアル。私は最後の最後で敗けてしまった。だから、許してくれ、約束を、誓いを果たせなかった私を、許してくれ」

 槍の刃を自らの首に押し当てたズィルクは一思いに自死を選ぼうとしたが、魔槍はアインによって砕かれ、消滅させられる。

 「まだ此方の用件が済んでいない。勝手に死のうとするな、阿呆が」

 「……ズィルクさん、メイリアルさんから貴男を救うようにお願いされました。だから、少しだけ待って下さい。私の友が、サレナが何とかしてくれる筈です。だから、お願いします。もう少しだけ、私達に時間を下さい!」

 「……」

 黙り、その場に立ち尽くしたズィルクは小さく「あぁ」とだけ返事を返し、黒白の大地を見渡した。

 

 
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