皮一枚、紙一重

文字数 2,456文字

 低い唸り声をあげ、鋭い二本の犬歯を覗かせた黒鉄の巨獣と対峙するは魔剣を携えた黒き騎士。極限まで研ぎ澄まされた殺意がその場に居る民の命を奪い取り、獣と騎士の魔力へ変換され、両者が武器を振るっていないにも関わらず数多の命が死に瀕していた。

 解れた糸がピンと張り詰めたような緊張感。一度戦闘が始まれば都市が崩壊するまで戦いは終わらないだろう。巨獣と魔将ラ・リゥは互いの様子の探り合い、何処をどう攻撃すれば相手を効率良く殺せるか思考する。

 仕掛けぬならば、此方から仕掛けるべきか。魔将の足が地面を蹴ると同時に地盤が割れ、崩壊する。

 凄まじい音を立てながら奈落へ引き摺り込まれる地面を跳び上がりつつ、巨獣へ剣を向けたラ・リゥは地割れと地面陥没が魔法による事象ではなく、単なる獣の膂力によって引き起こされたものだと瞬時に理解した。

 地を砕き、粉砕する程の攻撃を受ければ触覚程度の力では成す術も無く粉砕される。試すだけのつもりだったが、獣を本格的に殺す方向で戦わねばならぬ。剣を振るい、鋼の硬度を持つ体毛を易々と斬り裂いたラ・リゥは術を唱え、獣の四肢を黒の鎖で捕縛すると心臓が位置する場所へ剣を突き立て鮮血を浴びる。

 「……」

 鼓膜が震える程の咆哮がラ・リゥの三半規管を狂わせ、刹那の隙を突いた黒の爪が甲冑の一部を掠り消滅……否、破壊する。絶対的な物理強度を誇り、魔力による攻撃を殆ど無効化するする甲冑の装甲が掠める程度の攻撃で破壊されたことに驚いたラ・リゥは大量の血を吹き出しながらも未だ戦意を絶やさない巨獣から距離を取る。

 「なるほど」

 幾度か剣を振るい、巨獣の攻撃性や損傷を与えた部位の急速治癒を目の当たりにした魔将は単なる剣戟だけでは敵を殺せないと判断し、剣で己が腹を貫き溢れ出る血を操り陣を描く。

 使える手は何でも使う。強大な敵を打ち倒す力は戦術にあり、戦術は時に少数の駒で大軍を蹴散らす力へと成り上がるのだ。巨獣は単一個体であるが、驚異的な生命力と不死性を併せ持つ強敵。ならば、此方も切れる手札は何枚でも切る覚悟が必要だ。

 「出でよ我が傀儡。永遠の安寧を得たくば、折り重なる死から逃れたいと願うならば、我が敵の動きを止めよ。さすれば我が剣で貴様等の首を撥ねてやろう」

 陣から立ち上った黒槍が夕闇に染まる天を貫き、硝子が砕けるような音を奏でると鎖に繋がれた磔刑に処された人魔の群れが降臨する。

 死ぬことも許されず、生きる事も許されない半死半生の生きる屍。ラ・リゥの秘儀により狭間の世界に囚われ、彼の手駒として永遠の責苦を受け続ける哀れな命は唯一許された死への活路を見出すと磔から逃れ、獣へ牙を剥く。

 鎖の拘束はあくまで敵の行動を一時的に封じる術。相手の魔力、戦闘能力、膂力などありとあらゆる要素から術の効果時間を逆算し、手を打つための時間稼ぎにしかならない。だが、ラ・リゥという無限の死を内包する魔将の恐ろしさ、脅威は彼の扱う秘儀にある。

 「我が剣による死だけが貴様等が安寧を得られる唯一の機会だと思え。ただの戦いだけで死ねると思うなよ? 磔刑に処され、その命を私の手に握られた瞬間から貴様等は

であるのだ。戦い、死に、また蘇っては私の敵に牙を剥け。その絶望を黒き希望に変えて見せよ」

 戦奴と呼び蔑まれ、戦いの駒と成り果てた命が獣の牙と爪によって一つ、また一つと散って往く。だが、散った命はラ・リゥに首を落とされぬ限り再び生を得て、死へ向かう。魔の絶対者にして、魔将としての権能を振るうラ・リゥは獣に群がる人魔の戦奴を死へ誘う。

 頃合いか。第一秘儀から第二秘儀を展開しようとしたラ・リゥの指先がチリチリと焦げた匂いを発し、戦場の全ての魔力が獣に集まろうとしていた。

 何事だ? 何をやろうとしている? うかうかしていられない。更なる陣を組み、第二秘儀を発動しようとした矢先に破滅的な黒炎が彼の甲冑を焼き、群がる数多の戦奴を……都市の建物を灰燼と化す。

 「……これは、この炎は」

 王の炎……。あの御方の炎を何故あの獣が……アインと名乗る紛い物が扱える。咄嗟に腹に突き立てられていた剣を抜き放ち、尚も吐き出される炎を断ち斬ったラ・リゥの瞳が獣を見据える。

 「貴様、本当に何者だ? その炎は王が魔剣を創造した際に使った炎。貴様が扱える筈が無い」

 問い掛けようとも獣は獰猛な殺意を垂れ流し、敵対する存在へ憤怒と憎悪を向けるばかりだったが、一つだけ明確な感情の発露をラ・リゥに見せる。

 口角を歪に吊り上げ、死した民と消し炭となった者の命を貪り食った獣は笑みを浮かべたのだ。まるで己の力を誇示するように、更なる力を得た喜びを表現するかの如く、笑った。

 「……餓鬼か? 貴様は」

 まるで優越感に浸る子供の相手をしている気分だった。無作為で暴力的な力を振りかざし、死への無関心さから来る攻撃性……否、残虐性は子供のそれに近い。吐き捨てるように、怒りと憎しみを剣に乗せたラ・リゥは迫り来る火球を斬り裂き、一歩ずつ獣へ歩み寄る。

 「もういい。貴様の力の底は見えた。だから死ね」

 笑い、黒の爪を振り上げた獣の心臓にもう一度剣を突き立てたラ・リゥは尚も再生する心臓を殺し続ける。

 「試す程度の価値など無い。無意味な戦いだった。貴様はやはり」

 紛い物だ。そう呟き、獣の心臓へ絶対的な死を刻み込もうとした瞬間、騎士の足元から白銀と漆黒の巨剣が顕現し、ラ・リゥは紙一重で黒白の刃を回避する。

 「……」

 空を切り、無尽蔵の魔力を生成する白銀の巨剣と敵性魔力を滅尽滅相し尽くす黒の巨剣。二振りの剣を手に収め、刃を叩き合わせた獣は二足歩行の形態へ移行し、殺意に濡れた二色の瞳を騎士へ向ける。

 「……触覚程度の肉身では貴様を殺し切ることは不可能か」

 我武者羅な剣戟を見切り、余裕をもって回避するラ・リゥの瞳に罅が奔る。

 「……当初の目的を遂行するべきか」

 一絞り分の魔力を陣へ流し、足止め用の

十機を呼び出した魔将は狭間の世界へ身を消した。
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