解は己が内に在り ⑤

文字数 2,806文字

 昼下がりのうららかな陽光が差し込む食堂にて、フライパンを振るう店主に女が駆け寄り「断罪者を呼んで! 早く!」と叫んだ。

 「おいおいどうしたんだ? 断罪者を呼ぶなんて随分と怖い事を言うなぁ」

 「いいから早く! ああ、罪人が私達の店に入ろうとしているのよ! お願い! 断罪者を呼んで!」

 「いいから落ち着きなよ、罪人が堂々と店に……」

 食堂の扉が開かれ、中に入って来た男の風貌を見た店主は思わず息を飲み、女が小さな悲鳴を上げる。

 汚らしいコートを羽織り、下水の臭いを醸し出す男は無精髭を伸ばす大男。血の気が失せた顔には生々しい無数の古傷が刻まれ、完全に血の気が失せている状態だった。

 「あ、あんた、何者だ?」

 「……此処は飯屋か?」

 「ああ、そうだ、だがアンタは一体」

 「我が名は断罪者。すまない、本来ならばこのような身形で店に入るのは無礼千万もいいところ。だが、理解して欲しい。今の我は魔力が枯渇し、体力も限界に迫っている状態。店主よ、頼みがある。此処に在るメニューを全て注文したい」

 「す、全て? アンタ、失礼だが金は」

 「金ならある」

 男……断罪者は懐から金貨が詰まった袋を取り出し、近くのテーブルの上に置くとその場で立ち尽くす。

 「……断罪者なら、その、証拠を見せて欲しい。それさえ見せてくれれば、僕の妻も落ち着くし、アンタに害意が無いことも確認できる。本当に、断罪者なのか?」

 「如何にも。我は断罪者、罪を断ち裁く者也。この剣に刻まれた天秤が身分を示し、人類の法が我を断罪者として認めるのだ。店主よ、この天秤剣では不十分だろうか?」

 剣を抜き、刻み込まれた天秤を店主に掲げた断罪者は更にコートの裏地から銀装飾のペンダントを手に取り、残り少ない魔力を流し込むと天秤の紋章を浮き上がらせた。

 「そ、それだけじゃ貴男が本当に断罪者か分からないじゃない! 出て行って! 貴男が罪人なら堪ったもんじゃないわ!」

 「……すまない」

 金貨の袋を仕舞い、鉛のように重い身体を引き摺りながらドアノブに手を掛けた断罪者を「いや、待ってくれ。今は客が居ないから、何処に座ってもいい」男が呼び止め、椅子に座るように促した。

 「あ、彼方! 彼を信用するつもり!?」

 「……多分、彼は本当に断罪者だよ。聞いた事がある、ほら、偶に食事を摂りに来るゲール爺さんが言っていただろ? 断罪者は天秤を掲げる者達だって。普通の人類は天秤を身分を示す為に使わないし、掲げない。……それに、多分僕は彼を知っているような気がする」

 こけた頬にどす黒い溝色の瞳。言葉の端々から滲み出る果てし無い憤怒と憎悪。断罪者を名乗っているのに、仮面を付けずに素顔を晒して行動する男……。以前、店主が子供だった頃、父が経営する店に押し入った強盗を圧倒的な武力で捩じ伏せ、裁いた男を思い出した店主はフライパンを振るい、食材を料理しながらチラチラと断罪者の様子を窺う。

 「ちょっと正気……? あの男を知ってるって、知り合いなの?」

 「多分彼は僕のことを覚えていないよ。なんせ十年くらい前のことだし、覚えていたとしても彼にとって僕は道端の石ころ程度のもの。……もし、彼があのとき僕を助けてくれなかったら、父の命を救ってくれなかったら、この店は無いだろうし君とも出会えていなかった。これは一種の恩返しさ。名前も知らない男への、僕からの贈り物なんだ」

 「贈り物って……」

 息を荒げ、頭を抱える断罪者は今にも倒れてしまいそうな程。手に嵌めたグローブには乾いた血が張り付き、コートにも返り血のようなものが飛び散っていた。
 
 激しい戦闘の後なのか、罪人の抵抗の後なのか、それは店主と女には分からなかったが、元来断罪者と呼ばれる者達は民に畏怖され、恐怖を植え付ける存在なのだ。その断罪者が弱みを見せ、疲れ果てているなど誰が思おうか。

 「……エリュシア、生きているか」

 「……」

 「意識は、あるようだな。ああ、貴様が死ぬには未だ早い。我とは違い、貴様には未来がある。若き枝が老木の宿木で命を落とすなど、許さない。故に、生きろ。死ぬな。生き続ければ、まだ、機会は訪れる。だから」

 ぶつぶつと独り言を話し、焦点が合わない瞳を椅子の下に向ける断罪者の姿は奇怪なものだった。店主と女は生唾を飲み込むと手早く調理を済ませ、最初の一品目を彼の目の前に置く。

 「お待ちどうさまです。此方川魚のフライと」

 「次だ」

 「え?」

 「次を持って来てくれ。まだ足りぬ、我が魔力と血肉を癒す為にはまだまだ栄養が足りぬ。次を持って来てくれ」

 一瞬にして皿に盛られた料理が消え失せ、袖で口を拭う断罪者が次の料理を女と店主に促す。

 「あ、彼方! 次の料理を!」

 「もうかい!? ま、待ってくれ! 出来るだけ速く作るから!!」

 慌てふためく二人を一瞥した断罪者は繋ぎとして提供されたパンを貪り喰らい、ワインと水を次々と飲み干しては猛烈な勢いで食事を進め、彼の周りには何時の間にか空になった皿がうず高く積まれていた。

 「次だ」

 「つ、次!? もうメニューを食べ尽くしたんじゃ……」

 「ならばもう一周。同じ料理でもいい、もっと持って来てくれ。頼んだ」

 「あ、在り得ない……」

 店に客足が戻り始め、多くの人々が断罪者の食いっぷりに驚愕の色を浮かべるが彼はそんなものを一切気にする様子を見せず、両手に握った食器を器用に動かし食事を進める。

 「な、なぁ、店主さん」

 「何だい!?」

 「注文なんだけど……」

 「ごめん! もう店の食糧庫が底を尽きそうなんだ! 明日また来てくれ! それと頼み事してもいいかい!?」

 「な、なんだ?」

 「市場からありったけの食材を買い込んで来てくれ!! まだまだ料理を作らなきゃいけないからね!!」

 「何で俺が……」

 「頼んだよ!! 僕も妻もいっぱいいっぱいなんだ!!」

 女が男に金を渡し、必要な食材を書いたメモを渡す。男は頭を掻きながら仕方ないと言った風で市場へ向かい、暫くすると両手一杯の食材を買い込んで店に戻って来る。

 「こんなんでいいか?」

 「ありがとう! 断罪者さん、次は!?」

 「もう一周だ。まだまだ足りん」

 「……マジかよ」
 
 何時しか食事を進める断罪者の姿を一目見ようと多くの人々が集まり、ちょっとしたお祭り騒ぎになった頃、丁度追加で買い込んだ食材が底を付いたところで断罪者の腕が止まった。

 「……美味いな、以前来た頃と味が変わっていない。良い店だ此処は。会計を頼む」

 「え、えっと、お会計は金貨四十枚になります……」

 「分かった、ありがとう。あの時の小僧が此処迄の腕になるとはな」

 「ぼ、僕を覚えているんですか?」

 「当たり前だ。我は断罪者、法の番人にして罪を裁く者。一度悪意に晒された者の顔を忘れたりはせん」

 そう言った断罪者は女に金貨袋を二つ手渡し、今度は口元をハンカチで拭った。

 
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