影の乙女と黒の剣士 ④

文字数 2,358文字

 嘘偽りない言葉が、絶え間なく狂い咲く激情が、蠢き煮え滾る殺意が、それ等から成る行動が誰かを救う事がある。

 ミーシャとアインの視線が交差し、少女の硬い皮膚に覆われたゴツゴツとした掌が剣士の傷だらけの手を握る。

 「アインさん、私は別に貴男のことが嫌いなわけじゃありません。まぁ、初対面の時は何だコイツって思いましたけど、今じゃ結構信頼してるんですよ? メアリーだって、貴男が居たから助かったんですから」

 「……信頼してくれるのは有難いが、俺は俺の我が儘を突き通しただけで、助けを求められたから自分の成すべき事を成したんだ。それに、あの一家の命を救うことが出来たのは……お前とイエレザが力を貸してくれたからで、俺一人じゃ敗けていた」

 「そうですねぇ、私とイエレザ様が居たから成すことが出来たのかもしれません。だけど、やっぱりアインさんが居たから助かったんですよ、彼女達は」

 もしあの時、アインがメアリーの助けを求める声に応えていなかったら、ミーシャとイエレザは動かなかっただろう。

 もしあの時、アインがミーシャとイエレザに力を貸せと話さなかったら、彼はたった一人で強大な敵と対峙し、力尽きて倒れていただろう。

 一つの意思が多くの意思を動かし、嘘偽りの無い言葉による行動がメアリー一家の命を守り、森の化け物……彼女達の命を脅かそうとしていた大熊をも救った。奇跡とは表現し難く、満願成就の大団円とも言い難い。だが、悲しみに塗れた運命を塗り替える選択は驚異と言わざるを得ない。

 「アインさん」

 「……」

 「貴男はもう少し自分を好きなった方が良いじゃないんですかぁ? 自分を嫌いな人が、自分さえも信じられない人が、ウジウジと思い悩む姿は見苦しいったらありゃしませんよぉ。もし、それでも、私の言葉を聞いて尚信じられないのなら……貴男を好いてくれる人を信じて下さい」

 「ッ!!」

 喉の震えが、鼻の僅かな痛みが、アインの目頭を熱くさせる。

 涙を流そうとしても、彼の真紅の瞳から透明な雫が零れ落ちることは無い。感情が泣き叫ぼうと、心が汗を流そうと、アインは涙を流さない。剣士の中に渦巻く殺意と激情が純真なる湖を干上がらせ、吼え猛狂う獣性が泉を飲み干してしまう故に。

 「……お前達が、いや、みんなが居たから俺は俺で在る事が出来る」

 この命は既に自分だけのものではなかった。

 「悪かったなミーシャ、嫌な役目を引き受けさせて。……イエレザは、彼女は今何処に居る」

 「別に嫌な役目だと思ってないんですけどねぇ……。イエレザ様なら多分屋敷の外、庭園に居るかと」

 「すまないな」

 鎧を着込み、痛む身体に鞭打って駆け出したアインを見送ったミーシャは静かに笑った。



 …
 ……
 ………
 …………
 …………
 ………
 ……
 …




 薄紅色の花弁に触れ、影の椅子に座すイエレザは切れ長の瞳を細め、鋏を握ると花を断つ。

 ひらりと落ちた薄紅の花を拾い上げ、興味なさげに噴水へ放り投げた少女は闇に染まった夜空を見上げ、深い溜息を吐いた。

 花に興味は無いし、庭園の草花等どうでもいい。荘厳なる屋敷を持ち、美麗な花々が咲き誇る庭園を持つ事が上流階級の嗜みだと云うのなら、これ程無駄なものは無いだろう。

 持つ者が持たざる者へ施しを成す。それは富の再分配に他ならず、己の領地と屋敷類を管理する口実に過ぎない。庭園を管理する庭師を雇うのも、屋敷の維持管理全般を担う使用人を雇うのも、結局は雇用の創出の為なのだ。

 民が飢えれば領地は貧し、貧した者が治安を乱す。上流階級に位置する者は土地と民の管理者であると共に、責を負う立場にある。言うなればそう……常に首を差し出している囚人と例えられようか。

 「……」

 全てを飲み込み、塗り替える力がこの身にある。今直ぐに仮面を剥ぎ取り、破界儀を振り翳せば領民共々己の一部にする事が出来る。己の内に蠢く幾百万の影と共に、飢えも苦しみも知らぬ運命共同体へ変えてしまってもいい。

 「……」

 だが、それは出来ない。まだその時ではない。開花の時期を見間違えてはならない。

 「イエレザ」

 望みを叶える為にこの力があるのならば、飢え渇く希望を掴む為に破界儀が宿っているのならば、何故こうも満たされない。何故己が求める最高の瞬間を得られない。永遠に彼が手に入らぬならばこの力は―――。

 「イエレザ!」

 「ッ!?」

 名を呼ぶ声にハッと意識を引き戻し、頭上を見上げた少女の前に黒鉄の鎧に身を包んだアインが映る。

 「……何でしょう」

 「……少し、話をしたい」

 「何も話す事は御座いません。お引き取りを」

 「それは出来ない」

 鋼の籠手に包まれた手がイエレザの細い肩を抱き、仮面の奥に見える真紅の瞳が少女の黒い瞳を見つめ。

 「俺は……不器用な男だ。お前にとっては俺の言葉なんてただの言い訳に過ぎないだろうし、聞きたくも無いんだと思う」

 「よく分かっていらっしゃるじゃありませんか。お帰り下さい。私の前に……今日だけは現れないで下さい。アイン様、もしお帰りにならなければ、私は貴男を」

 「殺してしまうと? イエレザ、俺はお前に殺されない」

 何を言っているんだ? 何故殺されないと言い切れる? 力の差は圧倒的で、借り物の力を振るっているクセに、この剣士は何を言う。

 イエレザが座す影の椅子が蠢き、鋭利な刃を形成するとアインの仮面を掠め斬る。鋭い鋼の音が庭園に鳴り響き、夜闇の中で赤い火花が散った。

 「次はその御首諸共断ち切って差し上げましょう。それが嫌ならサッサと」

 「断る」

 空気を歪ませる殺意が少女の身体から溢れ出し、世界を塗り替える程の質量を持つ魔力が現世を侵食する。

 「……一度、死んでみますか?」

 「死なないし、殺されない。何故か教えてやろうか? お前を守る為だ」
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