黄昏に消えて ①

文字数 2,380文字

 人類の英雄……それも全盛期を過ぎ去った戦士など取るに足らない相手だと思っていた。だが、エルドゥラーの圧倒的で破滅的な力を目の当たりにしたニュクスはただその場に呆けたように佇み、黄金の鎧の隅々まで血に濡れた王に愕然とする。

 魔族の誰もが平伏し、頭を垂れなければならない魔将と戦い、剣を退かせた黄金の英雄。異次元的な強さを持つ認識不可能な何者かを退かせ、死の世界を破壊した聖王エルドゥラー。理不尽な強さを持つ男はニュクスを睨み、歩み寄るとサレナの遺体を預け「可笑しな真似をしてみろ……貴様を殺すのは容易い事」と、一切の情を排除した声で囁いた。

 「貴様の行動はワグ・リゥスから去り、魔将に従うことだ。この少女の遺体を古代魔導具で保存し、来たるべきその時まで保存しろ。……去れ、これ以上魔族の顔など見たくはない」

 聖王の言葉に底知れぬ恐怖を抱き、少女の遺体を抱いたままその場から逃亡する。これ以上あの男と話していれば、黄金の瞳に見つめらてしまえば、自分が自分でなくなってしまうようような危機感を覚えたニュクスは影に潜り込む。

 「……」

 まだ戦いは終わっていない。背後から迫る巨獣の牙を叩き折り、黒鉄の巨躯を殴り飛ばしたエルドゥラーは四つの瞳から血涙を流す獣を見据え、大きな溜息を吐く。

 「何故泣いている。貴様が守ると誓った少女を守ることが出来ず、身に余る力で破壊の限りを尽くしたことに後悔しているのか?」

 大斧を背負い、拳を握ったエルドゥラーは憤怒に滾る獣の攻撃を躱し、前足を砕くと脳天を叩き割る。

 「弱いから失って、変わりたいと願ってもその身に宿る激情が変化を拒む……。貴様は何がしたい。どうしてサレナは貴様を選んだのだ? 如何に貴様が強かろうと、何者にも敗けぬと誓おうと、上には上が居るのだ。口先だけでは命は救えない。強くなりたいと願うのならば、人は何かを捨てねばならぬ。弱いままでは命を救えない」

 驚異的な速さで傷口が塞がり、はみ出した脳が頭蓋へ収まり四肢が癒える。その度にエルドゥラーは獣に致命傷を与え続け、傷を与えては修復される時まで獣を見下し、怒りと憎しみを叩き付ける。

 「無慙に刻み、無愧であろうとするならば恥知らずになるしかない。恥を知らず、激情だけを胸に宿せば人は悪鬼修羅にも成れよう。
 獣……いや、アイン。貴様は恥知らずではいられない。サレナが居る故に無慙無愧にも成り切れず、中途半端な未熟者で踏みとどまる。貴様は弱い。弱過ぎる。忌々しくも、憎々しい。我は決して貴様を認めない」

 貴様が魔王の魔剣を携え、奴と同じ言葉と甲冑に身を包むならば、人としての生を放棄しろ。巨獣を力の限り殴り飛ばし、ワグ・リゥス郊外へ吹き飛ばした聖王は風のような速さで獣に追いつくと若草が生い茂る草原に立つ。

 「……」

 息を荒げた巨獣の肉体が溶け、腐乱する。強烈な悪臭を放ち、腐った血肉の中より歩み出したのは真紅と黒鉄の身体を持つ異形。半身は罅割れた真紅の女体を持ち、もう片方の身体は黒鉄の甲冑を纏う異形の剣士はプラチナブロンドの髪を風に靡かせ、黒白の剣を構えた。

 「……エリン?」

 いや、違う。何を言っている。馬鹿なことを言うな。アレがエリンである筈が無い。一瞬の迷いが生んだ隙に異形の剣がエルドゥラーの大斧と衝突し、激しい剣戟を繰り出す。

 太刀筋、剣の威力、脚の運び方……何から何まで勇者と同じ動きをする異形はエルドゥラーを弾き飛ばすと黒白の刃に星光を纏わせ、大きく剣を振るうと光刃を飛ばし彼の鎧に深い傷を刻み込む。

 「馬鹿な……それは、エリンの剣技。何故貴様が扱える」

 異形は何も答えない。片方の目を白銀のマスクで覆い、もう片方の目を異貌のバイザーで覆い隠した異形の剣士は驚きの色を隠せない聖王の懐に踏み込み、彼の怨敵として記憶に刻まれる魔王の黒炎を刃に纏わせた。

 「魔王の黒炎……だと?」

 頬が焼け、ワグ・リゥスでの戦闘で初めて傷を負ったエルドゥラーは破界儀を発動し、空間と空間を破壊すると炎が肉を焦がす寸前で躱し切る。

 分からない。意味が分からない。巨獣の中にはアインという剣士が存在しているとばかり考えていたが、異形の剣士が這い出て……しかも勇者と魔王の剣技を扱ってくるとは思いもしなかった。

 「……」

 奴は一体何者だ。何故神剣と魔剣の両方の性質を扱える。斧の柄を握り、深呼吸を繰り返したエルドゥラーはジッと異形の剣士を見据え、敵の手に在る黒白の剣に注目する。

 星光と黒炎を纏いし黒白の剣。一切の飾り気が排除された分厚い黒鉄の刀身と、美しい星々の煌めきを放つ白銀の刃。その力の源である何かが剣の中で輝き、異形の剣士の内で胎動しているように感じた。

 ……確証は無いし、勿論確信を得ているワケじゃない。だが、試す価値はある。徐々に削られ始めた魔力を力に変えたエルドゥラーは、荒れ狂う剣を弾きながら異形に近づき、破界儀の力を大斧の刃に集中させると異形の胴体を一閃した。

 肉片と血が飛び散り、鉄片が宙に舞う。口元に満足げな笑みを浮かべた異形は黒白の剣を己が肉体に突き刺し、黒と白が入り混じった二色の鮮やかな光に包まれる。

 「……」

 剣に内包されていた不確かで不安定な気配。それは線となって異形に繋がり、確かな縁を象っているように感じた。云うなれば剣は魂であり、肉体は器……否、外殻と見るべきか。どちらにせよ、見覚えのある笑みはエルドゥラーの内に潜む心許ない光を擽り、妙な不快感を与えるのに十分なもの。

 だが、そんなものは今はどうでもいい。異形が光に包まれ、消え果てた後に残った存在を目の当たりにした聖王は構えた武器を振り下ろすか否か、迷っていたのだ。

 「……貴様は何者だ? アイン」

 若草の上に倒れ込み、素顔を黒鉄の仮面で覆い隠した

を見つめた聖王は彼の名を呟いた。
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