人心故に ⑤

文字数 2,816文字

 何時までも変わらないものは在るのだろうか。

 秒針が時を刻み、大地に吹き荒ぶ風が絶え間なく進み続ける時間の中で変化しないという保証が何処にある。命を育む大地が時の流れの中で変化しようと、其処で生きる人々は変化を迎合するのだろうか?

 大地は時の流れに身を任せ、様々な形で変化する。波は膨大な時間を掛け岩礁を穿ち、荒野に吹く風は砂塵と共に天に浮かぶ太陽を遮るだろう。生物は環境に適した形状に変化し、進化と適応を以て大地に順応する。肉食を主にする獣は鋭い牙を伸ばし、草を食む獣は消化器官をより強固に、遠くの丘へ足を伸ばせるよう四肢を発達させてきた。

 ならば人はどうだ? 人は大地の変化に順応し、時の流れを迎合していると云えるのだろうか? 老いを恐れ、死を恐れ、破滅を否定する理性は変化を求めているのだろうか? 答えは否。人は簡単に変化を求めたりはしない。己等が生きる大地の命を食い潰し、その出来の良い頭は戦いを欲して止まないのだ。

 不変を求めるのは人の性か、生物としての安定性を求める防衛本能か。誰もが変わらず、変化に恐れを抱く様は種の保存において合理的な判断だろう。だが、変化を迎え入れぬ種が繫栄する術は無し。人という命は、変わりたくないという願いを抱きながらも変化を祈る矛盾した生物なのかもしれない。

 人を桜に例えよう。桜は春に華々しい花を開き、一時の栄華を思わせる。栄華は次第に花が散るように凋落し、葉桜と同じ地点になると暫くの安定性を誇るが、凋落した命は時と共に茶褐色に染め、落ちる。後に残るは花も葉も無くなった一本の枯木のような桜なのだ。

 儚くも脆い桜を人に例えるなと怒るなかれ。木が立っている限り、生命が宿り根が枯れていない限り、桜は立ち続ける。荒れ狂う風が吹こうとも、その枝葉に深雪が積もろうとも、一本だけ取り残されていようとも、桜という生命は生き続けるのだ。深々と降り積もる雪を耐え抜き、新たな命を……栄華を咲き誇る為に冬を越える。

 人も同じなのだ。死という終焉を迎える為に、子という蕾を後世に残し意思を託す。子は親の意思を受け継ごうと受け継がなかろうと己の足で歩み、命を紡ぐ。四季に生きるは植物だけに非ず。人という命が刻む系譜もまた四季になぞって進む生と見られよう。

 何時までも変わらないものは在るのだろうか。不確かな解答を求める問いに返す適切な答えは無いのかもしれない。在ると答えれば変わらぬモノも存在し、無いと答えれば変わるモノも存在する。だが、一つだけ言える答えは……変えてはならないモノも在り、変わらなければならないモノもまた存在するという曖昧な答えこそが哲学的な問いに対する解答だ。

 人の意思は変化を拒み、迎合する。己の在り方を問い質し、誰かの思想に触れて考えを改める叡智を人は持っている。時には悪に染まり、善を見失い、迷う生き物だ。弱く、脆く、儚く、強い。弱さと強さの両方を知るからこそ人は己だけの意思で生きるのは難しい。だからこそ……他者を求め、無意識下で変化する。

 変化とは悪であり、善だ。善悪は表裏一体のナイフのようなもの。何方の面を用いても容易に他人を傷つけ、血を啜る。だが、ナイフは時に救命処置に活用される場合もある。要は道具の使いようなのだ。善意だけでは不必要な悪を招き、悪意だけでは他者を容認することは出来ない。善悪を抱き、己の倫理観で生きる者もまた人であり、何方か一方に偏る命はいずれ破綻を迎えるだろう。

 一陣の風が吹き、桜色の髪がふわりと宙に舞う。温かな陽光がアトラーシャの髪を煌めかせ、荷物を抱いて前を歩く二人の少女を視界に映す。

 サレナとウィシャーリエ。二人は仲睦まじい様子で気軽に会話を繰り広げており、その間に己が入っていくことを躊躇してしまう。戦いとは無関係な少女のように、店前に展示されているスイーツの蝋細工を眺める様は本当に上級魔族を討った者なのかと疑ってしまう程だった。

 「アトラーシャさん」

 「……」

 「アトラーシャさん? どうかしましたか?」

 「アトラーシャ? 疲れているのでしたら少し休みますか? 良い感じの店も見つけましたし、スイーツでもどうでしょう?」

 「……ええ、そうね。少し休みましょうか」

 甘味が欲しいわけではなかった。ただ単にその場の流れに身を任せ、水面を漂う浮き草を思わせる動きで二人の後を追ったアトラーシャは店内に充満する焼菓子の匂いを嗅ぎ取る。

 「アトラーシャは何にします?」

 「……そうね、アップルパイを一つ。それと紅茶を貰おうかしら」

 「分かりました。サレナは?」

 「うぅん……。パンケーキとショートケーキを一つずつ……それから、バターロール四つとマフィンを五つお願いします」

 「ちょっと、アンタそれだけ頼んで大丈夫なの? 食べ切れる?」

 「アトラーシャ、サレナなら大丈夫ですよ。これでもかなり自制しているほうですから」

 気恥ずかしそうに、照れたような微笑みを浮かべたサレナは「本当はもっと食べたいんですが……夕食もありますし」と呟く。

 「……まぁ、食べないで倒れるよりはマシね。ウィシャーリエ、アンタは何を食べるの? 記憶の通りだとあまり食べない方だったわよね?」

 「以前はそうだったのですが、最近は食欲が増してきましてね。私はパンケーキ二人前と紅茶でも頼みましょう。すみませーん! 注文お願いします!」

 少女達が座るテーブルに小走りで駆けて来た女が注文を取り、一人だけ食事量が多い事を問うが爛々と瞳を輝かせたサレナの顔を見るとそれ以上何も聞かず、店主の下へ戻る。

 「甘党なのね」

 「そういうワケでは無いのですが……食事を摂る以上、少しでも多く食べたいのです。食べれば食べた分魔力も回復しますし、破界儀を使った後はどうしても魔力欠乏症になりやすい。アトラーシャさんも経験したことがありますよね?」

 「アタシはそこまで無理をしないわ。アンタ程魔力が多いわけでもないし、全力で戦うにしても相手の力量を見ながら術を使うもの」

 「そうなのですか……。ウィシャーリエは魔力欠乏症になったことがありますか?」

 「ありませんよ? そもそも私の力は魔力をそう使わないですし、私自身もサレナ程潤沢した魔力を持っているワケではありません。けどそうですね……貴女の力は魔力の消費が激しい代わりに、奇跡を成す力だと思います」

 奇跡……その言葉を耳にしたアトラーシャはサレナの黄金の瞳を見つめ、その瞳に宿る強大な力を感じ取る。

 「……聞きたいのだけれど」

 「何でしょう?」

 「アンタは奇跡を成す力を持ちながら、どうして人類の為に動こうとしないの? 魔族を助けたり……いえ、既にこの世から消え去ろうとしていた魂を救うよりも今を生きる人々を助けたいと思わないの?」

 「それは」

 人の命に、種族の違いに、そんなに大きな差は無いと思うから。白銀の少女は何の迷いなくそう言い放った。
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