愛したくて、殺したくて、抱き締めたくて ②

文字数 2,162文字

 どれだけ強大な力を有していようと、どれだけ強靭な肉体を持っていようと、人という器に魂がある限り―――個人の力には限界がある。

 傷つき、苦しみ、辛酸を舐め、それでも前に進もうと足掻く者。

 諦め、狂い、嘲り、身を冒す狂気に堕ちて道半ば倒れる者。

 人は戦うかぎり善悪の境界線を曖昧に引くどっちつかずの存在だ。立場と状況によって善に成ったり、悪へ堕ちる多義的存在。守ろうとして剣を振るい、戦場に立ったならば相対する者同士が互いに敵を悪と判断し、己こそが善と名乗るのだから。

 罪悪の天秤がこの世に存在し、人の善悪を基順にして皿を傾けるのならば世界に終わりが訪れるまで天秤は何方にも傾かないのだろう。人の基準が曖昧だから、曖昧模糊の世界に生きる命故に。

 白と黒の判断がつかず、真に剣を振るわねばならない敵を見失いたくないのなら、刃を向ける存在の基準は己が持つべきなのだ。斬るべき命と守るべき命……確固たる意思を持ち、己の責を罪悪と見做し剣を振るう。それが間違っていたとしても、正しかったとしても、守るべき誰か……失ってはならない願いと祈り、命の為に剣を握る。

 「イエレザ、俺の戦い方はお前から見れば……いや、誰から見ても異常だと思う。この身が斬り刻まれ、四肢を砕かれようとも剣を握って戦う様は常軌を逸脱しているだろう。お前が憤慨するのも理解出来る」

 何時か身を滅ぼすような戦い方。鮮血に塗れ、鎧による治癒能力にモノを言わせた修羅戦。戦いの後の代償をイエレザから説明され、それでもと言って鎧を纏おうとするアインは無茶無謀を成す為に己自身の命を削る凶刃とも云えるだろう。

 「だが、俺は曖昧にしたくないんだ。戦いの意味を、理由を、支払うべき代償を俺自身の意思で見定めなければならない。守るべき命は何であるのか、救うべき命に対してどれだけ身を削ればいいのか……。罪悪と向き合って、自我を守るなんて大層な言葉で取り繕う必要なんて無い。ただ守って救うか、殺して救うかの二択を俺の意思で選び取る。それだけだ」

 戦って敗ければ誰かを救うことも、守ることも叶わない。敗けて生を得ようとも、失われた命は永遠に戻ってこない。逆に、勝っても相手の命を奪うことになり、失われる命も存在する。

 「殺すことでしか救えなかった命も存在し、その命を断たなければより多くの命が失われる結果……運命も在る。イエレザ、前に問われた答えを今返そう。俺の命は戦いの為にある。俺はもう敗けない。戦って、歩んで、勝ち続けるよイエレザ」

 彼は……アインという剣士は戦いから逃れられないのかもしれない。

 イエレザが、サレナが、仲間達がどれだけ彼の身を案じようともアインは剣を握る手を緩めないだろう。何故なら、己が勝ち続けるかぎり命を守れると、意思や心を救えると信じているから。

 「……アイン様、貴男が言った言葉の意味は……血塗られた矛盾の螺旋です。それを……理解していらっしゃるのですか?」

 「分かっている。分かっているからこそ、俺は戦い続けるしかないんだ。命を奪う咎も、血に濡れる責も、剣を振るうごとに降り積もる罪悪を背負おう。曲がりくねった矛盾螺旋が何時か……真っ直ぐになると、正しい道だったと言い張れるように」

 命を殺せば罪が生まれ、命を奪えば悪が成る。戦って、戦って、勝ち続けた先に在るものは途方も無く降り積もった罪悪の屍山血河。それを一人で背負い、歩み続けることなど到底無理な話であるが、アインは真紅の瞳に覚悟を宿し、掌に包み込んだ少女の頭を優しく撫でる。

 「……イエレザ、お前が信じてくれるなら俺は敗けない。お前が仮面を被り続け、変化を求めるなら俺も仮面を被って戦おう。……自分自身に敗けるなよ。俺は自分の命を……誰かの命を、この手で殺した命の分だけ守れるよう戦ってみせる。だから信じてくれ……俺を、お前の仲間を、誰よりも」

 「……貴男は本当に」

 馬鹿な人。だけど、嘘偽りを持たない優しい人。

 少女の瞳から流れ出た涙が黒鉄を伝い、地に落ちる。止めどなく溢れる涙を剣士に見せぬよう、俯き続ける少女はただ想う。

 彼を人並みに愛したかった。

 彼を手に入れられないのなら、殺したかった。

 孤独を抱え、愛する者を失った彼の背中を抱き締めてあげたかった。

 愛したくて、殺したくて、抱き締めたくて……幾重もの矛盾を孕む己がアインを糾弾出来る筈が無い。剣士の矛盾を指摘し、責められる筈が無い。この想いが……化け物の愛を、伝えられる筈が無いと、イエレザは涙を流す。

 「……アイン様」

 「何だイエレザ」

 「貴男は、サレナと約束を結んだことがありますか?」

 「ああ」

 「なら……私とも約束して下さい。……必ず、貴男の道の果てに辿り着くと。勝って、勝って、勝ち続けて、己の目と意思で命の選択を行い続けると、約束してください。そんな貴男なら私は……何時までも、永遠に信じられるから。お願いします」

 「分かった」

 「……」

 「約束しようイエレザ。俺はお前との約束を違えたりはしない。だから信じていてくれ。俺はもう……自分自身にも敗けない」

 夜空を覆い尽くす闇が晴れ、月明かりが庭園に差し込み二人を照らす。

 少女と剣士。黒と黒。二人だけの約束を結んだ二人を見下ろす月は白く輝き、星もまた煌めくのだった。

 
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