信を得ずにして ③

文字数 2,636文字

 「……断罪者、あの男は何者?」

 「戦士、否、己が内心の方途を模索する若者と云うべきか。エリュシア、貴様と我は罪を断じ裁く者。我等が戦場は戦に非ず、法と秩序の安定こそが我等が戦場也。無辜を害する罪人を処し、天秤が下す裁定を重んじることが我等の使命。アイン……あの剣士が往く道と我が歩む道は交差せぬ平行線なのだ」

 「……ふぅん」

 断罪者の影に潜み、視覚と聴覚を共有していたエリュシアが含んだように返事を返し、闇に腰かける。

 アイン……。黒鉄の黒甲冑を身に纏ったフルフェイスの男。バイザーの隙間から覗く真紅の瞳に底無しの殺意と激情を宿した剣士。己と何処か同じような匂いを感じ取ったエリュシアは熟れた果実を連想した。

 「それにしても」

 「……」

 「貴男が私以外と長話をするなんて意外ね。どんな風の吹き回し? そんなにあの男を気に入っているの?」

 「若人に助言を与えるのが齢を食った者の役目だ。我は群れに属さぬ個であると同時に、他の断罪者或いは大聖堂より疎まれている身。我の言葉に耳を傾ける者には助言を与え、意識に入れぬ者には言を吐かぬ。エリュシア、何故貴様が我に従うのか問わん。だが、断罪者として、大聖堂内で身を立てたいのなら我から離れるべきだろう」

 チームを組まず、仲間も持たず、大聖堂からの指令を粛々と熟す断罪者。復讐の道を歩み続ける故に友は不要。涙の一滴も流さず、心が悲鳴を上げていても己の職務を遂行する為に、罪人が付け入る隙を与えぬように、甘さと油断を捨て去った男は何時しか鬼と呼ばれるようになった。

 鬼……そう呼びたいのなら呼ぶがいい。恐れるならば畏れるがいい。我を鬼と呼び、罪人が恐怖するならば好都合。貴様等が貪り喰らおうとする無辜なる民が涙を流し、慟哭するのならば己が貴様等の鬼と成り、罰を下すまで。罪には罰を、悪には悪を喰らう鬼をぶつけよう。故に、我の心には傀を刻み、人の身で鬼と成ろう。鬼哭を響かせ血涙を流し、天秤を振るう為に我が在る。

 「断罪者」

 「何だ」

 「何と言われようと、私は貴男から離れないわよ。借りがあるから」

 「何のことやらサッパリ分からぬ」

 「貴男が覚えていなくとも、忘れていようとも、私は覚えているわ」

 「そうか」

 彼は覚えていないだろう。己との出会いなど断罪者と云う男が歩む復讐の道に転がる石ころ……道端に生える雑草程度のものなのだから。だが、エリュシアにとって彼との出会いは、恩は、己に刻み込まれた意思や誓約を覆す程に鮮烈で、新たなる誓いを立てる程に大きな意味を持つものだった。

 「……私は貴男の重荷を背負おうとは思わない。もし貴男の背負っているものを代わりに背負ってしまったら、貴男の意思と誓約を否定してしまうようなものだから。だけど、貴男が往く道が復讐の歩みだとしても、それを無意味なものにさせやしない。だから覚えておいて断罪者。私は貴男を決して見捨てない」

 「……先も言ったが貴様が断罪者として大成し、大聖堂での地位を築きたいのならば我に構わず己が道を往くべきだ。無理に我に付いて来ずとも、我の為に在ろうとするなエリュシアよ。修羅道に堕ちるは我だけで十分。明日があり、希望溢れる若人が奈落へ堕ちる様は見てられん」

 「舐めないでくれる? 貴男に心配される程私は馬鹿な考えを持っていない。コレがと定めた道を往く覚悟も、自分自身を信じる決意を以て行動しているの。断罪者、私を切り捨てるべき時が来たら躊躇なく私を切り捨てなさい。私を失うことで貴男が歩み続けられるのなら、迷うべきではないわ」

 「……我の心配ばかりするな、馬鹿者め」

 玉座の間へ続く大扉を開けた断罪者は薄く息を吐き、エリュシアに黙るよう促す。女王に謁見するのは己だけ。影に潜むエリュシアが彼と女王の話を聞こうが聞かまいが自由。しかし、エルファンの女王、アニエスへ民の危機を伝える役目は断罪者のものなのだ。

 「……お初にお目に掛かるエルファンの女王よ。我が名は断罪者、四英雄の一人にして魔導国家ワグ・リゥスを統べる貴公に危機を知らせるべく参上した」

 数多の桜の花びらが舞い散り、花吹雪を成すとその中から純白の衣を纏うエルファンの女王……アニエスが姿を現し玉座に腰かける。

 「断罪者……法と秩序の番人が私に危機を知らせるとは。上級魔族ズィルクが討たれ、水晶の森による脅威が去ったというのに、これ以上どのような脅威がありましょうか。話してみて下さい、断罪者よ」

 「……無辜なる民を害そうとする悪が迫っている。その者は異形の腕を持つ人類にして、制約に縛られぬ異常。我が断罪の剣は奴に傷を付けられず、裁きは未だ下されず。魔導の王にして、国を統べる女王よ。どうか民に警告して欲しい。黒衣を纏い、十本の異形の腕を持つ人間に近づくなと。そして、もし奴を……ズローを見かけたならば断罪者に報告するよう流布して欲しいのだ」

 「異形の腕を持つ人類……」

 「如何にも。女王よ、今直ぐにでも警告すべきだろう。民の命を愛しく思い、慈愛に満ちた行動を成そうとするのならば我の話を信じて欲しい。信を得ずにして我が警告を無価値とするのは、貴女次第だ」

 断罪者の暗い瞳がアニエスを見据え、罪悪に対する深い憎悪と憤怒に染まる。天秤剣の柄に手を掛け、罪人情報の交付と捜索の許可さえ貰えれば彼は直ぐにでも街へ向かい、無辜なる民を守る為に行動する。だが、アニエスが見つめる断罪者の瞳にはもう一つの暗い影……盟友である聖王と同じ感情が見え隠れしていた。

 赦せぬ何か……それは悪や世界、罪に対する怒りの他、一つの存在に対する執着心とでも例えられる黒い炎の揺らめきだった。炎は心を焚き付け業火と成し、復讐という敵意を生む。その感情を感じ取ったアニエスは暫し黙ると断罪者の真意を問う。

 「断罪者よ、貴男の内に燃え狂う黒の炎……。それは己を焼き尽くす終わりの炎。己が名を明かさず、民の安寧と保護を求める心に偽りは無いのでしょう。ですが、その意思の裏に見える心はただ一つの何かに執着し、命を欲している。答えなさい断罪者。貴男が真に求める者は、その炎が求める先にある命の在処を、答えるのです」

 ……流石は桜の女王かと云ったところか。少し言葉を交わしただけで己の真意を問うて来るとは、中々にやる。無表情の仮面を張り付けた断罪者はアニエスから視線を外さず「我が復讐の為、天秤の裁きを下す為故に」と答え、悍ましい憎悪を瞳に宿したのだった。

 
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