夢想 ②

文字数 2,797文字

 黒白の剣を抱き締め、柔らかな微笑みをアインへ向けたウルティヌスは剣士を椅子へ座るよう促す。

 「疑問があるのなら私が答えられる範囲で答えましょう。我が君が許可した範囲で、この世界の礎となったお二人が許す範囲の中であれば、我が主アイン様が知りたいと申す問いに答えましょう」

 真紅の瞳がウルティヌスを射抜き、黒甲冑の鋼が軋む。今直ぐにでも男を呼び出し、己の存在を問いたいという欲求がアインの中に芽生えたが、剣士は無言で椅子に座ると腕を組んで黒白の美女を視界に収めた。

 「……俺はアインなのか? あの男と同じ存在なのか?」

 「確かに貴方様の肉体は我が君の肉身。脳も、殺意も、激情も、我が君のモノで御座います」

 「……肉体は同じと言ったが、精神と記憶はアインのモノなのか? 奴は言っていた、記憶に頼るなと、記憶を触媒にいた剣を振るなと言った。そうなれば、俺はこの肉体の持ち主の記憶を基に人格を形成したと言える。ウルティヌスと言ったか? 俺は、一体何者なんだ」

 黒甲冑の内側に存在する肉体は千年前の剣士アインのもの。脳が記憶していた過去も、殺意も、激情も、全てあの男のものだった。ならば己は何者なのだ。絶え間なく燃え続ける激情と煮え滾る殺意を胸に抱いた己は、アインという剣士の記憶と肉体を持った異物。魔族にも人類にも属さない存在を、人は何という。

 「自己認識の問題でしょう。貴男様の問いは自己の確立と自我の獲得と定義し、私の回答は一つ。アイン様はアイン様である。それが唯一の答えで御座います」

 「……アイン、か」

 「如何にも。貴男様の名はサレナと云う少女が名付けたもの。全てを無くし、失っていた貴男は私を引き抜いた後も殺戮を続け、人類魔族問わず己に牙を剥いた敵を殺し続けていました。三日三晩、私を振り続けていた貴男の様相を言い表すならば、泣き叫ぶ赤子と形容するに相応しい。自分が何であるのか理解出来ず、目に見える全てが分からない。そんな貴男を赤子と言わず何と言いましょうか」

 三日三晩剣を振り続けていたことは覚えている。人魔闘争世界の制約を知らず、何故魔族と人類が戦い続けているのか理解出来ずに戦い続けていた記憶を掘り起こしたアインは、己が振るっていた黒の剣がウルティヌスであったことを察した。

 「アイン様、貴男の名は貴男自身のもの。名が生命に己を与え、自己を確立させる手段であるならば、自我の獲得は生命の意義を探し求める目的といいましょう。貴男が自分をどう認識し、何と例えようともアインという名は己が内に刻まれた祝福であるのです」

 「……」

 封魔の森。薄暗い森の中で疲労に喘ぎ、痛みに呻いていた。声が掛けられ、その方向へ剣を向けた時、一人の少女が居た。……サレナ、己の命よりも大切な少女。サレナのおかげで剣士は世界の実情を知り、

という名を貰った。

 アイン……。ラグリゥスに貰った名ではない、サレナから名付けられたもの。己はアイン。……サレナの騎士だ。

 「……祝福か。言い得て妙だな、俺は確かにアインという単語に縛られていた。そうだ、俺の名はアイン。サレナから貰った名を、守ると誓った少女から貰った名が俺を成す。……可笑しなものだな、アイツのことを想うと何故か心が温かくなる」

 「それを人は愛と呼ぶのです。愛を知るから人は強くなり、弱くもなる。他に聞きたい事はありますか? 我が主」

 「アインと呼べ。俺も貴様をウルティヌスと呼ぶ。あの二人とは誰だ?」

 「私

の持ち主だった女と男。そうですね……これ以上は許可が下りていないので話せません」

 「ならば質問を変えよう。この世界は現世ではないのだろう? 以前、黒白の剣を使ってドゥルイダーと決着を着けた際にも俺はこの世界に訪れている。いや、それよりも少し前か? 此処は剣の内包世界なのか?」

 「如何にも。この世界は黒白の剣の内包世界であり、二振りの剣が融合した末に創られたもの。二つだった私は一つになり、人類と魔族の決戦兵器は永遠に失われたのです。決戦兵器が失われた……それが意味するものは人魔闘争世界の完成であり、神の求める世界が永遠に完成しないこと。故に、神は動き始めた。千年の沈黙を破り、神の端末……触覚に影響を与え始めた。貴男が守ると誓った少女、サレナに」

 「神とはなんだ」

 「……それは何時かの過去、たった一つの願いと祈りに身と心を縛られた悲しき者。その願いや祈りがどれだけ愚かであろうと、唾棄すべきものであろうと、神は気付かない。自分の思い描いた世界こそが至高であり、みんなが求める理想であると信じているから。嗚呼、実に悲しいではありませんか。涙をどれだけ流そうと、愛しき者の名を叫ぼうと、それは決して領域の外に出る事は無いのですから」

 「……カラロンドゥも同じ単語を言っていたな。領域とは何だ? いや、そもそも何故神と呼ばれる存在がこの世を作ったのに、干渉することが出来ないのだ。おかしいではないか」

 「領域にて己の理法を垂れ流し、世界の歩みと人々の記憶を改竄する。それは己という存在を贄として捧げ、領域の核として縛り付けること。破界儀を持ち、統合者としての資格を持つ者は世の理を捻じ曲げ、叩き砕き、再生する力を持つのです。己が理想を、願いと祈りを生命に植え付け世界を再編する。その代わりに神となった者は世界中の人々の記憶から抹消される。……一部を除いて」

 「一部?」

 「神が人として生きていた時代に深い関係を持っていた者達。現行世界では人類の敵対者として存在し、魔の軍勢の頂点に位置する絶対者。その者等は魔将と呼ばれる存在。神に祝福にも似た呪いを刻み込まれ、人の身が朽ちた後でも永遠の命のせいで死ぬことも出来ぬ怒りを宿す者。
 アイン様、貴男がサレナと旅を続ける途中、否が応でも彼等と相対する時がやってくる。神に反抗し、絶望と闇に染まった遺物が牙を剥く。……彼等が殺意を燃やそうと、憎悪に身を焦がし、憤怒に塗れていようとも貴男は戦わなければならない。何時か灯る希望を手にする為に、奪わなければならないのです」

 ウルティヌスの白く美しい指が黒白の剣の刃を撫で、白と黒に分かれたオッドアイの瞳がアインを見据える。

 「貴男がどんな選択を下そうと、どんな結末を望もうと私達はアイン様の手に収まり続けましょう。担い手が希望と未来を求め続ける限り、剣は手折れないし刃を鈍らせない。絶望と希望……二つの側面を持つ剣は何時か必ず貴男の理想を叶えましょう。私達の意思と誓約は担い手の為にあるのですから。故にアイン様」

 「……ああ」

 訓練の時間です。ニッコリと満面の笑みを浮かべたウルティヌスを他所に、アインは彼女から剣を受け取り闇と共に現れた男を視界に映す。

 「話は終わったか?」

 「ああ」

 「ならば剣を持て、鍛えてやる」

 剣士は再び騎士と刃を打ち合わせた。
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