否定 ⑤

文字数 2,422文字

 顔全体に蝋を塗りたくったような、目鼻口といった人としての顔立ちを持たぬ魔導人形……否、カラレゥスを名乗る無貌は足を組み、手に持った工具を器用に回す。

 「カラ、レゥス? いや……そんな筈は無い。アイツは、千年前に、確か」

 頭が痛み、脳裏を過った記憶にノイズが奔る。

 真紅の空、崩れ往く都市、異形の存在へ姿を変える人々……。黒い稲妻が王城を打ち貫き、瓦礫と鮮血の中を駆ける己を見たアインは頭を押さえ、震える手を……鮮血に濡れた黒鉄を凝視する。

 あの時……あの場所で……全てが

しまった。白い花畑に佇む少女を剣で貫き、笑顔を見てしまったから、後悔と罪を植え付けられた。



 彼女を愛していた。

 彼女が傍に居るだけで、満たされていた。

 彼女の為ならば、万を率いる軍さえも殲滅し得る力を振るう事が出来た。

 彼女が……サレンを愛していた故に、己の手で殺さなければならなかった。



 だが……違う。これは、奴の、剣の内包世界に存在するアインの記憶。彼の剣士と己は違う。愛する者だけが居ればと、信頼を寄せる仲間さえ生きていれば満足していた存在ではない。

 そうだ、己はアイン。今の時代を生きる一つの命。千年前の剣士……黒の英雄と謳われたアインとは違う存在だ。この手に握る剣は、己が内に燃え盛る殺意と激情は、敵をただ殺す為だけに振るう力じゃない。己の力はそう……誰かを守り、救う為に在る。

 「……」

 「落ち着いたかね、アイン」

 「……あぁ」

 「ならば良し」

 カラレゥスは小さく頷き、真紅の瞳に殺意を煮え滾らせるアインを一瞥すると椅子を回し、デスクと向かい合う。

 「……俺の記憶、いや違うな。剣の中に居る奴の記憶では、お前はまだ人間的な見た目だったと思ったが……」

 「この姿は私が最後に残した意識の欠片、云わば残滓に近いものだ。現世の私は既にこの姿を捨てているだろう。あぁ……私ならそうする」

 「……カラレゥス、俺は」

 「知っている」

 「……」

 「貴様が王でありながらも、我が王では無い事。我が王の肉体を持ち、奇しくも王と同じ名を持つ剣士である事も知っている。塔を通して世界を観測し、ケレックに記録と記憶を刻んでいた故に私は今も尚、異形と成り果てた我が身と相互同期状態にあるのだ」

 だが、此処に君達が来たことで私の役目も……ケレックが存在する意味もまた無くなろう。安心したように、心の底から安堵したような溜息を吐いた魔導人形は錆びついた手指を曲げ、闇の中から光り輝く宝玉を取り出した。

 「千年前の知識と失われし叡智を授けよう。アイン、そして剣士に寄り添う乙女……使命を帯びた美しき白銀よ、君達はケレックに蓄積された全てを受け取る資格がある。義務や権利を伴わない純粋なる資格……知恵の玉を受け取るがいい」
 
 「……」

 白銀の髪が視界の端を掠め、懐かしい香りがアインの鼻孔を擽った。

 「……」

 恐らく……光り輝く宝玉を、カラレゥスの言う資格を受け取れば己の求める力が手に入るだろう。

 「……」

 全て上手くいく。白銀の少女、サレナの肉体を取り戻すことも、己の道の果てに何があるのかも知ることが出来る。何の苦労も無しに、叡智と知識が満たされる。

 「……カラレゥス」

 そんなものは必要無い。己には不必要だ。

 アインの瞳が煌めき、伸びかけた手を握り締めた剣士は意思に激情を焚べ、心が流す涙を……枯れ果てた涙を噛み締め、背に寄り添うサレナの鼓動を感じ取る。

 「もし、その力を手に入れてしまえば俺は俺でなくなってしまう……。全てを知って、知らされて、示された道を辿る。それは本当に、生きているのか? 俺は……アインとして生き、俺自身が交わした約束を守りたい……。その為に、誰かから与えられた力にばかり頼っていてはいけないんだ」

 もしかしたら、この身に渦巻く殺意や激情も黒い英雄から流れ出ているのかもしれない。この腕が振るう剣術も、死に近づけば近づく程研ぎ澄まされてゆく戦闘能力も、アインとしての力じゃないのかもしれない。

 だが、それでも、己はアインとして、自分を信じてくれる者達の為に生きていたい。千年前ではなく、今を生きるアインとして交わした約束と信じた者達の為に戦いたいのだ。

 「……その意思は苦難に満ち、常人では耐えられぬ道だ」

 「……そうだろうな」

 「それでもと、声を張り上げ、己の決意を貫き通そうというのか?」

 「……あぁ」

 「道の果てに在るものが、その先に見えた景色が己の求めた結果……運命ではなかった時、君はどうするつもりだ?」

 「その時は……もう一度道を探すだけだ。俺は一人じゃない」

 「……そうか」

 宝玉を闇へ押し込め、満足そうに頷いたカラレゥスは深い溜息を吐き、眠るように俯くと。

 「白銀よ、いや、サレナ。アインを宜しく頼む。君なら、君達なら違う結果に辿り着けるだろう。千年前の間違いを犯さないと信じることが出来る」

 「カラレゥス……」

 「アイン……いいや、違うな。アイン・ソフ。君が王と己を異なる存在だと認識するのならば、この名を忘れるんじゃない。名は人の自我であり、心の証左なのだ。君がアインとして今世を生き、人として剣を振るうのならば、二人の英雄が与えた名を己に刻め。生の意味を問い続けろ」

 さすれば道は開かれん。そう言ったカラレゥスは指先から徐々に砂へ変わり、崩れ落ちながら。

 「何度変わり、壊れ、崩れようとも人は確固たる己を持っている限り、歩み続ける生き物だ。世界の全てが変わろうと、人という生き物が二つに分かれ、争い合う世界が創造されようと、間違っていると叫び、否定する者が居るならば正しき目を以て見定めねばならん。故にアインよ……過去の遺物は全て斬れ。
 君が間違っていると思ったならば、否定せねばならぬと思ったならば、躊躇うことなく全て斬るんだ」

 それがかつての友……戦友であろうとも。カラレゥスのその言葉を最後に、アインもまた意識を失うのだった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み