影の乙女と黒の剣士 ③

文字数 2,452文字

 重く、厚い雲に覆われた夜空は、星の煌めき一つ無い黒に染まっていた。

 おんもらと揺れる蝋燭の灯りが影を狂わせ、拙く心許ない光を仄暗い闇が惑わせる。

 問い掛けの応えに正解が無いように、曖昧な応えは確信を突く問い掛けに満足させる術を持ち合わせていない。思想と思考、それに伴う行動が根本的に違う者同士、会話による理解は永遠の平行線を辿るのだから。

 ジッと、蝋燭の灯りを見つめていたアインは何が正解で、間違いだったのか考え続けていた。イエレザの問い掛けに対して、己はどう応えるべきだったのかを、数刻の間ずっと模索し続けていた。

 考えれば考える程分からない。彼女が期待する己の姿が、求められる行動と意思がまるで分からない。

 戦いに傷はつきもので、傷を負わぬ戦いなど一度たりとも存在しなかった。痛みに耐え、血肉を削りながら相手の行動原理と意思を理解して殺し切る。理性を失い、本能による殺意と激情を振るう相手であろうとも、身体の動きから滲み出る心を汲み取り殺す。これがアインという剣士の戦い方であり、彼が抱いた意思と誓約……自我と罪悪から成る武器だった。

 己の命を省みる暇も、肉体の損傷に基づく痛みを振り返る余裕は無い。怖気づき、一瞬でも剣を振るう意思を躊躇えば殺されるのは此方の方で、秘儀の力を駆使しながら相手の意思と心を読み解く戦いは想像以上の精神的負担をアインに強いる故に、彼は血塗れになりながら己の命を削る。

 傷ついて、痛みを癒す激痛に耐え、また殺す。

 殺した命の数だけ己が救える命を、守れる命の為に罪悪を被り、自我を守る為に獣性を受け入れ凶刃を鈍色に煌めかせる。

 矛盾した一方通行な思いは誰にも届かない。そんなことは知っている。

 己だけの為に命を燃やすのか、誰かの為に命を燃やすのか、善悪の境界線も不確かだからこそ、己の目で……意思を介して見定める他無いのだろう。当たり前だ。

 悲しいだなんて思わない。寂しいだなんて感じない。苦しいとも思わない。これは己が選び取った道なのだから。もし……そんな感情を抱いてしまったら、道半ば倒れてしまう。それだけは……認められない。

 未だ痛む右腕を上げ、生々しい傷跡が残る掌を見つめたアインは拳を握り、ベッドから起き上がる。肉体と神経系を蝕む激痛は幾分か和らぎ、歯を食い縛れば耐えられる程度にまで回復していた。

 「……正解なんて、存在しないのかもしれんな」

 「何がですかぁ?」

 ギョッと、不意に聞こえた声に大きく目を見開いたアインはトレーに食事を乗せて立つミーシャを視界に映す。

 「あ、ご飯持ってきましたけど食べますかぁ?」
 
 冷えて固くなってしまったパンと数枚の網焼き肉、彩を添える生野菜、小皿に乗せられた一欠けらのバター……。一見すれば粗末で病み上がりの剣士に適さない食事だが、冷めて尚香ばしい香りを放つ料理にアインの腹が鳴る。

 パンを力の限り引き千切り、バターを乗せて咀嚼する。白い脂が浮き出た肉を噛み千切り、自らの血肉とする為に黙々と食事を進めたアインは一息ついたと云った風に大きな溜息を吐く。

 「美味しいですかぁ?」

 「美味いな、コレ。イエレザが作ったのか?」

 「そうですねぇ。いや、私が作ったとか一切考慮しないんですかぁ?」

 「お前が作ったなら食えない味になっていただろうな」

 「それ、滅茶苦茶失礼なこと言ってますよぉ? まぁ、イエレザ様のご飯は美味しいですからねぇ、夢中で食べる気持ちも分かる気がしますぅ」

 ケタケタと、どうでもいいと笑ったミーシャは口元に付いた食べ滓を指で拭い、軽鎧の装甲に押し付ける。

 「アインさん、イエレザ様と喧嘩でもしましたぁ?」

 「どうしてそう思う」

 「いえ、何だかすっごく機嫌が悪くてぇ……話し掛けただけで殺されるんじゃないかと思いましたよぉ。アインさんの反応を見るに、やっぱり貴男が原因だったんですねぇ」

 「……喧嘩って程じゃないが、そうだな。多分、俺が悪いんだろう」

 「えぇ?」

 「……ミーシャ、俺は、いや、俺のことをどう思う」

 アインは己が他人にはどう見えるか問う。

 「別に他意は無い。だが、少し聞いてみたかった。剣を振るって戦っている時、こうして話している瞬間……お前には俺がどう見えているか聞きたかった。遠慮はいらない。思ったことを話して欲しい」

 「え? あぁ……うぅん。そうですねぇ……初めに思ったことは、真面目だなぁって思いましたよ」

 「真面目?」

 「あ、良い意味で真面目ってことじゃないですよ? 馬鹿真面目って言いたいんですよこっちは。何だかアインさんは雁字搦めに見えているんですよねぇ自分自身に」

 遠慮することは無い。思ったことを話せばいい。ヘラヘラとした緊張感の欠片も無いミーシャのにやけ面にほんの少し……一滴の意地悪さが加わり、つらつらと口が回り始め。

 「自分自身の明確な意思を持っていて、他人の心を覗き見るような言動を繰り返しては言葉を以て焚き付ける。正直言ってイラっと来ることがありますし、貴男に何が分かるんだって思いました。ウザいし、正面から嘘偽りなく向かってきて気持ち悪いとも感じますよ?」

 「……」

 「戦いの時が一番それが顕著に見えますよ。馬鹿みたいに傷つけられて、血みどろになっても剣を離さずこっちを完全に理解するまで言葉を投げ掛け耐え忍ぶ。何でこの人はその気になればサッサとを片を付けられるのに、意地になって迄理解したいんだろうと疑問を感じます。いやぁ、アインさん貴男は本当に馬鹿で真面目で気持ち悪い人ですよ」

 己の感じたアインへの見解を述べたミーシャはクスクスとほくそ笑む。

 馬鹿真面目な面白みに欠ける人物。剣呑な殺意を瞳に宿し、激情を以て剣を振るう様は確かに理知的な姿からは程遠いものだろう。それはアインだって理解しているし、己の欠点だと理解している。

 「だけど」

 ミーシャが一呼吸置き「そんな貴男だからこそ、嘘偽りない意思で誰かを救うことが出来るんでしょうねぇ」アインの真紅の瞳を覗き込む。
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