信を得ずにして ①

文字数 2,614文字

 「アインよ、何故貴様は我が追う罪人の情報を求める。貴様が我から情報を得たとしても、仇を討つのは我の天秤と意思。貴様の剣に奴を討たせはしない」

 街路を往き、王城へ足を踏み入れた断罪者はアインの真紅の瞳を見つめ、言を放つ。

 「罪人を断じ、罰を与えるのが断罪者。我は復讐者であるが、一人の断罪者であるのだ。もし貴様に情報を与え、その黒白の剣が奴の首を撥ねて仕舞えば我の復讐は徒労に終わる。情報を与えることは可能だ。しかし、貴様が死を与えようとしているのならば、我が持つ情報を与える事は出来ん。解れ、剣士よ」

 「……俺は約束したんだ。一人の少女と、必ずお前の仇を討ってやると。断罪者、お前の話す言葉の真意は何となしに理解出来るが、俺は彼女との約束を果たす為に剣を振るわねばならん」

 「ならば情報は与えられん」

 断罪者は深い溜息を吐くと玉座の間へ続く通路に足を進ませる。王城の警備に努める衛兵がすかさず彼の歩みを止めようと槍を向けるが、断罪者の剣を見た兵は恐怖に顔を引き攣らせ、道を開けた。

 断罪者……彼の身分を示す物は天秤を模した剣一本。如何に屈強な戦士、熟練した兵、身分をひけらかす貴族であっても罪を量り、罰を下す剣を視界に収めた瞬間委縮し、赦しを乞う。天秤剣とは断罪者の唯一の得物にして、彼が所属する大聖堂が定めた法である。

 「……断罪者」

 「……」
 
 「もし、俺が貴様より先に仇を探し出し、命を断って仕舞えば貴様の歩んできた復讐の道は無駄になってしまうのか? 人類の命を奪い、俺が罪人となって仕舞えば貴様の持つ剣の刃は俺に向けられるのか? ……俺はテオとの約束は破れない。人として生き、剣を振るうのであれば約束を違えることは出来ん」

 ブーツの靴底が石畳を叩き、天秤剣が収まる鞘が揺れる。

 「復讐、怨嗟、憤怒……貴様が抱いている感情は痛い程に理解出来る。愛する者の命を奪われ、尊厳を踏み躙られ、名誉さえも嬲られた者の為に復讐の荒野を往かんとする貴様は冥府魔道を突き進む人修羅だ。だが、修羅であろうと貴様は人なのだ。人で在る故に痛みを感じ、呻くのだろう。……断罪者、貴様が貴様の道を歩み続け、恥も悔いもしないと、その天秤が定める法に貴様自身が無慙を誓えるのならば」

 貴様にテオとの約束を託そう。呟くように言葉を発したアインは拳を握り締め、奥歯を噛み締める。

 「……アイン、貴様は己の放った言葉の意味を理解しているのか?」

 「ああ」

 「理解した上でテオとやらの約束を我に託すのか?」

 「そうだ」

 「……人は罪を重ね、何時かは罰を受ける。正義と信じ、善を貫こうとする行為に悪は付き纏い、過ちを招くのだ。人は過ちを繰り返す。命が積み上げた歴史という足跡は過ちと罪悪、善悪闘争の戦史のようなもの。アインよ、貴様が導き出した答えは正解なのか不正解なのか、今この場に居る者には分からぬ解答だ。
 その場その瞬間に導き出す解は時間と人が判断し、未来が評を下す。過去から学び、今の為に糧とするか、過ちを繰り返すかはその時代を生きる人の判断に依るものだろう。だが、我と貴様の問答は些細なもの。世に影響を与えず、他者にも影響を与えぬ普遍的な会話に過ぎんだろうが、貴様の解に対する我の答えは一つ。託された。それだけだ」

 復讐を成し遂げんとする断罪者、仇を必ず討つと約束を交わしたアイン、二人の立場はまるで違うし、歩み続ける為の意思や目的も違う。

 過ちを繰り返す命の性、正義と悪意の衝突と善悪闘争が織り成す人の歴史、この世界が全て茶番だとしても、全てが仕組まれている歴史を辿っていたとしても、人は誰かに託すのだ。己が果たせぬ約束を、抱いた願い、宿した祈りを成し遂げられる者へ託す。そうして命と意思は紡がれる。

 「アインよ」

 「……何だ」

 「もし、そうだ、もし我が道を踏み外し、外道に堕ちてしまったら貴様が我を斬れ。一切の躊躇も無く、悪に堕ちた我を斬るのだ。弱者を見捨て、罪悪に無く無辜を切り捨てる時、我は断罪者、復讐者ではない外道……復讐鬼と成り果ててしまっているだろう。故に、我が天秤の為、断罪者としての我を救う為に斬るのだ。人類は人類を殺せず、魔族は魔族を殺せない。同族殺しの制約に縛られぬ貴様が死を以て救え。頼んだぞ、アイン」

 修羅道へ堕ちようと、復讐の果てに無が待ち受けていようと、この身と心は決して外道に堕とすまい。畏怖と恐怖の眼にはもう慣れた。罪人の子が泣き叫び、父母を庇う為に両手を広げる姿は痛ましいことこの上ない。人魔闘争が続く戦乱の世、父母を失った幼子へ罰を刻む度に血涙を流し続けた。罪には罰を、悪には正義を、無法には法を……断罪者とは、鬼そのものなのかもしれない。

 公正は平等を生み、平等は不平等を生み続ける。無限に湧き出し、蛆虫の如く腐敗を食む不正は総じて悪である。悪には正義を、罪罰には天秤を。人がこの世に生きる限り己の戦いは終わる事の無い無間地獄なのだ。地獄を生き抜く為に心を鋼とし、天秤剣を振るってきた。悪鬼と罵られ、血も涙も無い修羅と罵倒されても涙を流さぬ己は鬼なのだ。人の皮を被った鬼……人修羅と。

 「心を鬼にくれてやるなど人としてあってはならぬこと。正義を成す為に堕ちるなどあってはならぬ。悪を成す為に外道へ堕ちるなど赦してはならぬ。人は人として生きねばならんのだ。善悪の彼岸に揺蕩っていてもいい、迷いを振り切れずに歩んでもいい。
 だが、人として生き、死にたいのであれば外道に堕ちることなど愚かしいにも程がある。アイン、如何にこの世界が歪であろうと、醜悪であろうと、人ならば己の往く道から、課した使命から踏み外してはならん道理があるのだ。故に、我が外道に堕ちたら貴様が我を殺すのだ。貴様にならば、我は無抵抗で討たれよう」

 「……断罪者、お前は自分自身の復讐を成し遂げた時、死ぬつもりなのか?」

 「無粋だなアイン。未だ我には死ぬ理由が無いだけだ。我が死する時、それは己の復讐を成し遂げ妻と子の無念を晴らした時だ。それまでは……絶対に死ねん。この身が傷に塗れ、罪の汚濁に呑まれようと、奴を……ズローに天秤の裁きを下す時まで生き続ける。だからアインよ、貴様が我に託すのであれば我も貴様に託そう。外道に堕ち、罪悪に穢れた我を斬ることを、切に願う」

 そう言った断罪者は、無表情の仮面を少しだけ剥がすと口元にほんの小さな笑みを浮かべた。
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