煤を纏いて ③
文字数 2,607文字
美しき緑は失われ、清き水は汚泥と屍血に穢された。
一瞬にして花と水の都は巨獣の黒炎と破壊によって灰燼に化し、煤が舞う廃都へ変貌した。元は人類であった異形の怪物が跋扈した都市の通りには無残に食い散らかされた屍が転がり、未だ命を繋ぐ者の叫喚は無情なる死を招く。
術を唱え、瓦礫を退かしたアトラーシャの顔には濃い疲労の色が浮かんでいた。度重なる魔法の使用、術の構築により魔力は底を尽きかけ、救おうと願った民の死を見る度に精神は鋭利な刃物で斬り裂かれたように不可視の血を吐き出す。
誰かを助けようとしても、決まった死を防ぐことは出来ない。頭痛に顔を顰め、今にも倒れそうな身体を焼け焦げた壁に預けた少女は懐から魔力回復薬を取り出し、封を切ると一気に飲み下す。
「……まだ」
まだ、倒れるワケにはいかない。王族である己が倒れ、諦めてしまった瞬間、国の敗北は決定づけられる。だから、まだ動かねばならない。民を救い、戦う使命を遂行せねばならないのだ。
魔力欠乏症に苛まれた肉体が魔力の回復により不調を脱し、僅かな活力が蘇る。足を引き摺り、炎の中へ歩み出したアトラーシャへ異形の怪物……流転体の牙が剥かれた。
「また……!!」
防御壁を展開し、魔力の矢を射出する魔導具を構えたアトラーシャは流転体の一つ目を射抜く。鼓膜を破く程の絶叫が木霊し、一時的に聴力を失った少女はすかさず魔力探査装置を起動する。
二度の戦闘で敵の弱点は把握していた。それは目玉の破壊。流転体の巨大な一つ目を破壊することで敵は一度目の死を迎え、新たな形態へ移行する。形態移行の際、二度目の生を得た流転体はより強力な力を携え、脅威度は飛躍的に上昇する。
姿形を変え、下半身を獣の形態に変えた流転体は上半身に騎士甲冑を纏い、腕に遠距離狙撃用の大弓を構える。
黒鉄の大弓が重苦しい金属音を発し、キリキリと弦が引かれる。敵の攻撃を回避する為に動き出そうにも、身体は少女の意に反し上手く動かない。
「防御を……!!」
防御壁を幾重にも展開した瞬間、黒鉄の大矢が放たれ一撃で魔法の壁を貫通した。砕けたガラスの破片のような欠片を舞い散らせ、アトラーシャの脇腹を補足した矢は彼女と共に民家の壁に突き刺さり、煉瓦の壁に罅を奔らせる程の衝撃を帯びていた。
「―――」
背骨に激痛が奔り、視界が白黒に瞬いた。鮮血を吐き出し、四肢を痙攣させたアトラーシャはぐらりと揺れ動く意識の中、炎の中を突っ切る敵を見据える。
命が惜しい。出来ることなら今すぐこの場から逃げ出したい。命の灯が消え失せる前にもう一度母の顔を見てみたい。だが、少女の命を蝕む黒鉄の大矢は糸のように細長い侵触手を伸ばし、意識を手放そうとするアトラーシャの神経に結び付くと激痛を奔らせる。
「あ――あァあア!!」
狂気を齎す激痛は正常な判断能力を奪い取り、苦痛と苦難を与えることに特化していた。ただでは死なせない。死よりも残酷な痛みを敵へ与え、その身に流れる魔力と命を奪い尽くす。エルファン種の特性……死して尚心臓が生み出すアトラーシャの魔力を啜り取り、己が力へしようとする流転体の殺意を大矢から感じ取る。
「―――」
思考が絶望に染まり、死を渇望する。痛みで染まった死ではない、安らかな死を懇願した。手を伸ばし、母の幻影を手繰り寄せようとする少女は声にならない叫びを発し、吐血する。
どうしてこんなにも己は弱い。どうして民が死なねばならない。意識の中を駆け巡るは怒り、そして無情な現実に対する憎しみとワグ・リゥスを襲った巨獣と死を撒き散らす流転体への殺意だった。
「ろ―――てやる」
剣を振り翳した敵を睨み、吐き出された言葉は殺意。
「殺してやる!! お前達を全員―――殺してやる!!」
己を見下す流転体へ怨嗟に染まった言を吐き、脇腹に突き刺さった大矢を握り締めたアトラーシャ。如何なる激痛に苛まされようと、民を殺す者への憎悪は止まらない。
黒鉄の大剣が振り上げられ、夕照の煌めきを反射する。死を与えようとする剣は一切の慈悲が排除された冷徹なる殺意の剣。その刃に映ったアトラーシャの顔は血と煤に汚れながらも敵意を剥き出しにする瞳を湛えており、未だ闘志は折れ切っていないように見えた。
「アトラーシャ!!」
声……己の名を叫ぶ少女の声が木霊すると同時に、流転体の剣が魔弾で砕かれる。
煤で黒ずんだ白銀の髪を靡かせ、黄金の瞳を輝かせた少女……サレナがオムニスを振るうと小杖の先より魔法の刃が顕現し、流転体の纏う堅牢な黒鉄の鎧を容易く斬り裂いた。
「サレ……な?」
「大丈夫ですか!? 今治療を!!」
まだだ、まだ敵は死んじゃいない。目玉を破壊しなければ、核を砕かねば敵を完全に殺した事にはならない……!! サレナが癒しの術を唱えている間にも敵の鎧が修復され、黒鉄の剣の刃が根を張る植物のように柄の先より伸び生える。
「サレナ……!! 後ろ……!!」
凶刃が少女の背を斬り裂こうとした瞬間、彼女が首から下げるアミュレットが光り輝き魔力で構築された剣を霧散する。
「……え?」
「大丈夫。私の友を……仲間を誰も死なせない」
膨大な魔力を身に纏い、流転体を見つめたサレナの瞳に宿るは悲哀、そして慈愛。
「戦いたくなくてもその魂は闘争を求め、邪法で穢された精神と肉体は絶えぬ闘争心を駆り立てる。私は貴方達を救えない。救える方法を知り得ず、化外と成り果てた身体を人へ戻すことは出来ない」
その命が醜悪なる怪物へ変貌し、意思や誓約、心さえも殺意に染まったならば死が救済になるのだろう。サレナの剣……愛する騎士がこの場に居らず、力を振るわねばならない役割が己にあるのならば、戦わねばならない。殺し合いの場が少女の戦場でなくとも、力を振るう。
「……ごめんなさい」
杖先から放たれた一筋の流星が流転体の目玉を破壊し、核を破壊する。どろどろに溶けた敵の残骸に残った核の一つを光で包み込んだ少女はアトラーシャに向き直り、彼女の傷を塞ぐと肩を貸す。
「サレナ……」
「……大丈夫です」
「……」
「例えどんな絶望が待ち受けていようと、破壊と死が命を飲み込もうとしても、人は抗える力を有しています。希望を、未来を、捨てない限り、もう一度立ち上がれます」
炎と灰、煤と血に塗れた二人の少女は共に足を踏み出し、破壊された通りへ歩み出すのだった。
一瞬にして花と水の都は巨獣の黒炎と破壊によって灰燼に化し、煤が舞う廃都へ変貌した。元は人類であった異形の怪物が跋扈した都市の通りには無残に食い散らかされた屍が転がり、未だ命を繋ぐ者の叫喚は無情なる死を招く。
術を唱え、瓦礫を退かしたアトラーシャの顔には濃い疲労の色が浮かんでいた。度重なる魔法の使用、術の構築により魔力は底を尽きかけ、救おうと願った民の死を見る度に精神は鋭利な刃物で斬り裂かれたように不可視の血を吐き出す。
誰かを助けようとしても、決まった死を防ぐことは出来ない。頭痛に顔を顰め、今にも倒れそうな身体を焼け焦げた壁に預けた少女は懐から魔力回復薬を取り出し、封を切ると一気に飲み下す。
「……まだ」
まだ、倒れるワケにはいかない。王族である己が倒れ、諦めてしまった瞬間、国の敗北は決定づけられる。だから、まだ動かねばならない。民を救い、戦う使命を遂行せねばならないのだ。
魔力欠乏症に苛まれた肉体が魔力の回復により不調を脱し、僅かな活力が蘇る。足を引き摺り、炎の中へ歩み出したアトラーシャへ異形の怪物……流転体の牙が剥かれた。
「また……!!」
防御壁を展開し、魔力の矢を射出する魔導具を構えたアトラーシャは流転体の一つ目を射抜く。鼓膜を破く程の絶叫が木霊し、一時的に聴力を失った少女はすかさず魔力探査装置を起動する。
二度の戦闘で敵の弱点は把握していた。それは目玉の破壊。流転体の巨大な一つ目を破壊することで敵は一度目の死を迎え、新たな形態へ移行する。形態移行の際、二度目の生を得た流転体はより強力な力を携え、脅威度は飛躍的に上昇する。
姿形を変え、下半身を獣の形態に変えた流転体は上半身に騎士甲冑を纏い、腕に遠距離狙撃用の大弓を構える。
黒鉄の大弓が重苦しい金属音を発し、キリキリと弦が引かれる。敵の攻撃を回避する為に動き出そうにも、身体は少女の意に反し上手く動かない。
「防御を……!!」
防御壁を幾重にも展開した瞬間、黒鉄の大矢が放たれ一撃で魔法の壁を貫通した。砕けたガラスの破片のような欠片を舞い散らせ、アトラーシャの脇腹を補足した矢は彼女と共に民家の壁に突き刺さり、煉瓦の壁に罅を奔らせる程の衝撃を帯びていた。
「―――」
背骨に激痛が奔り、視界が白黒に瞬いた。鮮血を吐き出し、四肢を痙攣させたアトラーシャはぐらりと揺れ動く意識の中、炎の中を突っ切る敵を見据える。
命が惜しい。出来ることなら今すぐこの場から逃げ出したい。命の灯が消え失せる前にもう一度母の顔を見てみたい。だが、少女の命を蝕む黒鉄の大矢は糸のように細長い侵触手を伸ばし、意識を手放そうとするアトラーシャの神経に結び付くと激痛を奔らせる。
「あ――あァあア!!」
狂気を齎す激痛は正常な判断能力を奪い取り、苦痛と苦難を与えることに特化していた。ただでは死なせない。死よりも残酷な痛みを敵へ与え、その身に流れる魔力と命を奪い尽くす。エルファン種の特性……死して尚心臓が生み出すアトラーシャの魔力を啜り取り、己が力へしようとする流転体の殺意を大矢から感じ取る。
「―――」
思考が絶望に染まり、死を渇望する。痛みで染まった死ではない、安らかな死を懇願した。手を伸ばし、母の幻影を手繰り寄せようとする少女は声にならない叫びを発し、吐血する。
どうしてこんなにも己は弱い。どうして民が死なねばならない。意識の中を駆け巡るは怒り、そして無情な現実に対する憎しみとワグ・リゥスを襲った巨獣と死を撒き散らす流転体への殺意だった。
「ろ―――てやる」
剣を振り翳した敵を睨み、吐き出された言葉は殺意。
「殺してやる!! お前達を全員―――殺してやる!!」
己を見下す流転体へ怨嗟に染まった言を吐き、脇腹に突き刺さった大矢を握り締めたアトラーシャ。如何なる激痛に苛まされようと、民を殺す者への憎悪は止まらない。
黒鉄の大剣が振り上げられ、夕照の煌めきを反射する。死を与えようとする剣は一切の慈悲が排除された冷徹なる殺意の剣。その刃に映ったアトラーシャの顔は血と煤に汚れながらも敵意を剥き出しにする瞳を湛えており、未だ闘志は折れ切っていないように見えた。
「アトラーシャ!!」
声……己の名を叫ぶ少女の声が木霊すると同時に、流転体の剣が魔弾で砕かれる。
煤で黒ずんだ白銀の髪を靡かせ、黄金の瞳を輝かせた少女……サレナがオムニスを振るうと小杖の先より魔法の刃が顕現し、流転体の纏う堅牢な黒鉄の鎧を容易く斬り裂いた。
「サレ……な?」
「大丈夫ですか!? 今治療を!!」
まだだ、まだ敵は死んじゃいない。目玉を破壊しなければ、核を砕かねば敵を完全に殺した事にはならない……!! サレナが癒しの術を唱えている間にも敵の鎧が修復され、黒鉄の剣の刃が根を張る植物のように柄の先より伸び生える。
「サレナ……!! 後ろ……!!」
凶刃が少女の背を斬り裂こうとした瞬間、彼女が首から下げるアミュレットが光り輝き魔力で構築された剣を霧散する。
「……え?」
「大丈夫。私の友を……仲間を誰も死なせない」
膨大な魔力を身に纏い、流転体を見つめたサレナの瞳に宿るは悲哀、そして慈愛。
「戦いたくなくてもその魂は闘争を求め、邪法で穢された精神と肉体は絶えぬ闘争心を駆り立てる。私は貴方達を救えない。救える方法を知り得ず、化外と成り果てた身体を人へ戻すことは出来ない」
その命が醜悪なる怪物へ変貌し、意思や誓約、心さえも殺意に染まったならば死が救済になるのだろう。サレナの剣……愛する騎士がこの場に居らず、力を振るわねばならない役割が己にあるのならば、戦わねばならない。殺し合いの場が少女の戦場でなくとも、力を振るう。
「……ごめんなさい」
杖先から放たれた一筋の流星が流転体の目玉を破壊し、核を破壊する。どろどろに溶けた敵の残骸に残った核の一つを光で包み込んだ少女はアトラーシャに向き直り、彼女の傷を塞ぐと肩を貸す。
「サレナ……」
「……大丈夫です」
「……」
「例えどんな絶望が待ち受けていようと、破壊と死が命を飲み込もうとしても、人は抗える力を有しています。希望を、未来を、捨てない限り、もう一度立ち上がれます」
炎と灰、煤と血に塗れた二人の少女は共に足を踏み出し、破壊された通りへ歩み出すのだった。