黒甲冑の剣士

文字数 2,463文字

 鋼と鋼が噛み合った金属音が鼓膜を叩く。

 脳を直接金槌で叩かれたような、頭を大剣の腹で殴られたような、耐え難い痛みと共に瞼を上げたアインは己が真っ白い地平の上に立っている事に気が付いた。

 「……」

 天を見上げれば、常闇のベールを纏った夜空に星屑が煌めいていた。幾つもの流星が絶え間なく空を駆け、一本の線を描いては尾を引いて黒の中へ疾走し消え往く幻想。夢のような、それでいて妙な現実感を帯びる夜空を見上げていたアインは白の大地を歩み始める。

 音も、生命も、感覚も、全てが消え失せているように感じた。

 己が本当に歩いているのかも、生きているのかも、視界に映る光景さえも何もかもが定かでは無かった。足が踏み締める草は空気のように霞と消え、大地を象る土は綿のように柔らかい。



 後悔は無い。

 

 何処からか声が聞こえた。



 選び取った意思に嘘は無い。



 声は酷く疲れた男の声で、アインの声と酷似していた。



 幸福があるから、不幸がある。不幸があるから、幸福がある。それは自然の摂理であり、人の進む道に転がる小石程の障害だ。



 白の大地に剣士が立っていた。剣士はアインに背を向けた姿であり、彼が纏う黒甲冑は鋭利で攻撃的な異形の造形だった。

 知っている。剣士が纏う黒甲冑を知っている。アレは、己が纏う黒甲冑と同じもの。同じ甲冑故に、アインは剣士の正体が誰だか感づく事が出来た。

 

 幸せは、死と向かい合わせに存在する虚構。虚構故に気が付かず、失ってから己の手に在った幸福に気が付くのだ。俺は、馬鹿な阿呆だった。既に溢れていた幸福から目を逸らし、死を齎す者として……戦士としての視点ばかりを追っていた。

 

 世界が点滅し、暗転すると同時に大地が焼ける。真紅の炎が白草を焼き払い、罅割れた黒が地平を覆い尽くすと目の前に一本の剣が地面に突き刺さっていた。

 漆黒の刀身に星光を纏う剣。その剣は己と共に敵を斬り殺してきた黒の剣。剣の内側で胎動する生命が赤子の鳴き声を発し、喰らってきた生命と感情を糧に新たな意思を宿そうとしているように感じた。



 抜くか抜かぬかは、貴様の意思だ。貴様が選択し、貴様の意思で剣を取れ。何時の日か、重大な選択を迫られた時、刃を振るうのは貴様自身であろう。俺も、奴も、皆も、全員が己の意思で刃を振るった。間違いを正す為、罪を重ねさせぬ為、己という在り方を犠牲にして剣を抜いた。



 黒の剣。その剣は夢の中で見た魔剣とそっくりな形をしていたが、その内に存在する世界と意思はまるで別物のよう。殺意を滾らせ、無限の荒野を内包する剣はもう一つの意思と世界を抱き、母の胎の中で眠る胎児のように蠢いている。



 貴様は俺であり、俺ではない。俺ではないから、別の生き方と意思を抱け。この世界で、形が定まらない世界で愛する者と生きたいと願うならば希望と未来を祈れ。そうだ……人は、愛と勇気を以て進まねばならん。人が生きる道は、誰かに定められた道ではない。自分だけの道であるのだ。



 戦いだけが己の存在価値であり、戦いを通してでしか己を表現出来ないと感じていた。

 白銀の少女、黄金の瞳を持つ少女サレナと出会い彼女の為に戦おうと決意した。

 過去を失い、迷い、サレナと似ている少女を自らの手で殺した事に慟哭した。

 何時の日か、己は同じ過ちを犯すのではないのかと恐怖した。恐怖は迷いを生み、剣で居られたらどんなに良かっただろうと苦悩した。

 迷い、苦悩、決意……。何度も転んでは起き上がり、起き上がってはまた転ぶ。それはただ転げ回っているだけなのかもしれない。赤子のように、幼子のように、人は生きている限り転んでは起き上がる生物だ。それでも進む意思を持つ生物が……人なのだ。

 「……俺は、最期まで迷って悩み続けるのだろう」

 一歩足を進め、剣の柄を握る。

 「サレナも迷って悩みながら進む者だ。それは実に人間らしく、尊い姿だと言える。彼女は俺を支えてくれて、俺に頼ってくれと言った。その想いは……一言に愛と呼ぶのだろう」

 夢で見た光景は失った記憶の一部であり、全てとは言い難い。夢の光景は現実の世界とは乖離した様相で、同族殺しの制約が敷かれる前の世界だと理解出来る。

 ならば己は何者なのだ。何故千年を超える時間の中を生きている。何故制約の鎖に縛られずに生きている。何故記憶を失った。何故……全てを失いながらも生きている。

 分からない。理由は分からないが、生きている以上今を見据えて生きなければならない。例え赦されざる罪に濡れても、悪と罵られようとも、過去を踏み越え現在を歩む。サレナと共に、己を信じてくれる少女と共に、生きるのだ。

 

 ……戦いを選ぶというのか、貴様も



 「ただ戦うだけじゃない」



 ならどう戦う。



 「守る為に戦うんだ。大切な人を、己の命よりも大切な人を守る為に戦おう。その為の剣は在る。その為に俺の力はあるのかもしれない。迷って、悩んで、挫けて、転んで……。無様に見えようと、馬鹿な阿呆と見えようと、俺は人として生きたい。サレナと共に歩む、剣を持つ人として生きたい」
 
 あの優しい笑顔と気高き精神を守りたい。希望と未来を望む小さな手を握りたい。少女の道を支え、その身を守り通したい。守るという行為に、戦いが付き纏うのなら己が剣を手に取り苦難を払おう。少女が変化と希望を祈り、未来を願うのならその意思に続こう。それが、己に出来る事だとアインは誓う。

 「過去は到に過ぎ去った幻影だ。幻影を追い求め、残影を見る為に生きるのではない。明日を見据え、昨日を振り返り、歩み続けよう。それが……今の俺だろう」

 地面に突き刺さっている剣を引き抜く。刀身から溢れた黒炎と黄金の焔は、アインを優しく抱きしめるように温かな炎を以て焼く。

 


 行け、剣を携えし者よ。貴様が此れより先に進むには未だ時期尚早。貴様は……自分の居場所に戻れ。




 「言われなくともそうする。……また、此処に来るのだろうか」

 


 時が来たら。




 「……そうか」

 剣士が真紅の瞳を向けた時、アインの意識もまた薄れてゆくのだった。
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