吹雪 ④
文字数 2,354文字
「クソ……クソ、クソがァア!!」
髪を振り乱し、デスクに積み上げられた書類の束を叩き落としたエルストレスは額から大量の汗を流す。
「……どうする? 奴には……イエレザには
爪を噛み、親指から血を流すエルストレスの瞳に正気の光は宿らない。イエレザが一目で彼の偽装工作を見抜き、アインの行動によって青年が町に敷いた支配の鎖は明るみに出た。時間が無い。もし一手でも行動を間違えたら、失言してしまったら、彼の成した悪が明るみ出てしまう。それだけは避けなければならない。
だからお前には早いと言ったんだ。
「黙れ……!!」
お前は事を急きすぎる。もっと民のことを考え、彼等に寄り添わなければ。
「黙れぇエ!!」
水瓶を投げ、硝子が割れる音と共に青年へ語り掛ける男の声が止まる。
「アンタみたいに……親父みたいに鈍くさい無能じゃないんだよ僕はァ!! アンタに何が出来た!? ただ民の生活を良くしたところで僕等に何の得があった!? クソ……頭が痛い……!」
デスクの引き出しを開き、注射器とアンプルを取り出したエルストレスはシリンジを翡翠色の薬液で満たし、自らの首に突き刺すと頭痛を取り除く。
彼の魔族へ助言を求めるべきか? それとも驚異の一つを排除するべきか? いや、答えは決まっている。涎を垂れ流しながら通信用魔導具に手を翳したエルストレスは上級魔族ニュクスへ通信を繋ぎ、震える手を血が滴るまで強く握り締めた。
「エルストレス、如何した? まだ納期には時間がある筈だが」
「……イエレザに、バレかけている」
「イエレザだと? はて……あの狂人が事を嗅ぎ取るのはもう少し先だと踏んでいたが……。まぁいい。何用か?」
「イエレザにバレかけているって言ってんだろ!? どうするんだ!? もし、もしコレがバレたら僕はお終いだ!! 力を……知恵を貸せニュクス!!」
「君は可笑しな事を言うなエルストレス。もしバレたとしても私には何の問題も無いし、やましい事も無い。私は君との取引に応じた道具と工房を貸し渡し、素材を受け取っているだけだ。私の道具をどういう風に使おうと、工房で何かを作りだそうとしても君が私を訴える事が出来ない。契約書にもそう書いている筈だがね」
まぁ、君の父上ならもっと上手くやれたな。魔導具からニュクスの嘲笑う声が響き、青年の嫌な言葉を並べ立てる。
「浅はかなのだよ君は。誰よりも事を上手く運べると勘違いし、何をやるにも物的証拠を残す愚か者。いいか? 悪を成すのならば他者に気付かれてはならぬのだ。罪を罪と思わせず、さもそれが当然と思わせ錯覚させる。実に愚かで阿呆……哀れみを覚えるよエルストレス」
「―――ッ!!」
息が詰まり、瞳に憎悪を宿した青年は肖像画に描かれている男……彼の父親へ視線を向けた。
「執行者を恐れるか、全てを投げ出して情けなく逃げ出すか、邪魔者を始末して心の安寧を取るか……君の判断に任せよう。だがこれだけは忘れるなよ……素材を送る納期は守れ。それさえ出来れば私は何も言わん」
「だ、だが、これ以上は工場の維持が!!」
「それは君の都合だろう? あぁ……そう云えば涙の数が足りていないな。あの小娘からもっと涙を採取しろ。私の足を引っ張るなよ?」
「な、涙の件は僕も努力している!! も、もう少し待ってくれ、軍への納品が済んだら必ず!!」
「遅いなぁエルストレス。涙の数も、素材の数も少しずつ削っているな? これは重大な契約違反だ。執行者を手配してやろうか?」
「そ、そ、それだけは許してくれ……! わ、分かった、軍への涙を其方へ流す! だから執行者だけは!!」
「理解が早くて助かるよエルストレス。では通信を切るよ」
「さ、最後に一つだけ確認してもいいか!?」
「何だ? 私も忙しいんだがね」
「あ、アインという小僧を知ってるか? イエレザが連れている剣士の餓鬼だ!」
「……アイン」
痛い程の沈黙が場を支配し、ニュクスが発する溜息がエルストレスの細い神経を更に削り上げる。
「……その剣士は確かにアインと言ったのか?」
「い、イエレザがそう呼んでいた」
「他の特徴を話せ」
「え? あ、あぁ、黒い……鎧を着ていた。それと、灰色の剣が印象的だった」
「後は?」
「……制約を、世界の制約を無視できるとか言っていた。だが、一番印象に残っているのは」
あの殺意と激情だ。身を震わせ、剣士から受けた死の気配を想起したエルストレスは冷汗を流す。
「今思い出しても恐ろしい……! や、奴は普通じゃない! イエレザも、アインも、何処かのネジが外れている!!」
「……エルストレス、貴様が助かるたった一つの道を提示してやろう」
「は、え?」
「黒き剣士アインを殺せ。それが出来さえすれば、契約違反と納期の問題を無かった事にしてやる」
「む、無理だ!! 僕には奴を殺せない!! ち、力の差があり過ぎる!! それに、人魔闘争の制約があるだろう!?」
「何も君の手で殺せと言っているワケじゃない。手段があるだろう? そう……死滅凍土を使って奴を殺せばいい。簡単じゃないか」
「あ、あぁ!! そうか、その手があったか!! ならばそれでいこう!! 奴を……アインを殺せば待ってくれるんだな!?」
「約束しよう。私は君のように契約違反をしない」
一方的に通信を切られ、首の皮一枚で生存の道を見出したエルストレスは笑う。狂ったように、ゲタゲタと笑い狂う青年は瞳に欲望を宿す。
死滅凍土は生者を許さない。否、証を持たぬ者と標を持たぬ者を容赦せず殺す。ある計画を思いついたエルストレスは
髪を振り乱し、デスクに積み上げられた書類の束を叩き落としたエルストレスは額から大量の汗を流す。
「……どうする? 奴には……イエレザには
バレては
いけない……!! この町の秘密を……僕の罪を……!!」爪を噛み、親指から血を流すエルストレスの瞳に正気の光は宿らない。イエレザが一目で彼の偽装工作を見抜き、アインの行動によって青年が町に敷いた支配の鎖は明るみに出た。時間が無い。もし一手でも行動を間違えたら、失言してしまったら、彼の成した悪が明るみ出てしまう。それだけは避けなければならない。
だからお前には早いと言ったんだ。
「黙れ……!!」
お前は事を急きすぎる。もっと民のことを考え、彼等に寄り添わなければ。
「黙れぇエ!!」
水瓶を投げ、硝子が割れる音と共に青年へ語り掛ける男の声が止まる。
「アンタみたいに……親父みたいに鈍くさい無能じゃないんだよ僕はァ!! アンタに何が出来た!? ただ民の生活を良くしたところで僕等に何の得があった!? クソ……頭が痛い……!」
デスクの引き出しを開き、注射器とアンプルを取り出したエルストレスはシリンジを翡翠色の薬液で満たし、自らの首に突き刺すと頭痛を取り除く。
彼の魔族へ助言を求めるべきか? それとも驚異の一つを排除するべきか? いや、答えは決まっている。涎を垂れ流しながら通信用魔導具に手を翳したエルストレスは上級魔族ニュクスへ通信を繋ぎ、震える手を血が滴るまで強く握り締めた。
「エルストレス、如何した? まだ納期には時間がある筈だが」
「……イエレザに、バレかけている」
「イエレザだと? はて……あの狂人が事を嗅ぎ取るのはもう少し先だと踏んでいたが……。まぁいい。何用か?」
「イエレザにバレかけているって言ってんだろ!? どうするんだ!? もし、もしコレがバレたら僕はお終いだ!! 力を……知恵を貸せニュクス!!」
「君は可笑しな事を言うなエルストレス。もしバレたとしても私には何の問題も無いし、やましい事も無い。私は君との取引に応じた道具と工房を貸し渡し、素材を受け取っているだけだ。私の道具をどういう風に使おうと、工房で何かを作りだそうとしても君が私を訴える事が出来ない。契約書にもそう書いている筈だがね」
まぁ、君の父上ならもっと上手くやれたな。魔導具からニュクスの嘲笑う声が響き、青年の嫌な言葉を並べ立てる。
「浅はかなのだよ君は。誰よりも事を上手く運べると勘違いし、何をやるにも物的証拠を残す愚か者。いいか? 悪を成すのならば他者に気付かれてはならぬのだ。罪を罪と思わせず、さもそれが当然と思わせ錯覚させる。実に愚かで阿呆……哀れみを覚えるよエルストレス」
「―――ッ!!」
息が詰まり、瞳に憎悪を宿した青年は肖像画に描かれている男……彼の父親へ視線を向けた。
「執行者を恐れるか、全てを投げ出して情けなく逃げ出すか、邪魔者を始末して心の安寧を取るか……君の判断に任せよう。だがこれだけは忘れるなよ……素材を送る納期は守れ。それさえ出来れば私は何も言わん」
「だ、だが、これ以上は工場の維持が!!」
「それは君の都合だろう? あぁ……そう云えば涙の数が足りていないな。あの小娘からもっと涙を採取しろ。私の足を引っ張るなよ?」
「な、涙の件は僕も努力している!! も、もう少し待ってくれ、軍への納品が済んだら必ず!!」
「遅いなぁエルストレス。涙の数も、素材の数も少しずつ削っているな? これは重大な契約違反だ。執行者を手配してやろうか?」
「そ、そ、それだけは許してくれ……! わ、分かった、軍への涙を其方へ流す! だから執行者だけは!!」
「理解が早くて助かるよエルストレス。では通信を切るよ」
「さ、最後に一つだけ確認してもいいか!?」
「何だ? 私も忙しいんだがね」
「あ、アインという小僧を知ってるか? イエレザが連れている剣士の餓鬼だ!」
「……アイン」
痛い程の沈黙が場を支配し、ニュクスが発する溜息がエルストレスの細い神経を更に削り上げる。
「……その剣士は確かにアインと言ったのか?」
「い、イエレザがそう呼んでいた」
「他の特徴を話せ」
「え? あ、あぁ、黒い……鎧を着ていた。それと、灰色の剣が印象的だった」
「後は?」
「……制約を、世界の制約を無視できるとか言っていた。だが、一番印象に残っているのは」
あの殺意と激情だ。身を震わせ、剣士から受けた死の気配を想起したエルストレスは冷汗を流す。
「今思い出しても恐ろしい……! や、奴は普通じゃない! イエレザも、アインも、何処かのネジが外れている!!」
「……エルストレス、貴様が助かるたった一つの道を提示してやろう」
「は、え?」
「黒き剣士アインを殺せ。それが出来さえすれば、契約違反と納期の問題を無かった事にしてやる」
「む、無理だ!! 僕には奴を殺せない!! ち、力の差があり過ぎる!! それに、人魔闘争の制約があるだろう!?」
「何も君の手で殺せと言っているワケじゃない。手段があるだろう? そう……死滅凍土を使って奴を殺せばいい。簡単じゃないか」
「あ、あぁ!! そうか、その手があったか!! ならばそれでいこう!! 奴を……アインを殺せば待ってくれるんだな!?」
「約束しよう。私は君のように契約違反をしない」
一方的に通信を切られ、首の皮一枚で生存の道を見出したエルストレスは笑う。狂ったように、ゲタゲタと笑い狂う青年は瞳に欲望を宿す。
死滅凍土は生者を許さない。否、証を持たぬ者と標を持たぬ者を容赦せず殺す。ある計画を思いついたエルストレスは
何も記されていない
標を手に取ると、イエレザ一行が泊まる宿へ向かった。