君の為、誰の為 ①

文字数 2,882文字

 歌が、聞こえた。

 崩れた天井から差し込む月明かりと夜空を埋め尽くす幾万の星々を視界に映したアインは、自分が地面に仰向けになっている事に気が付いた。

 此処は、何処だ。

 仰向けになったまま視線を動かすと同時に、己がセラフィの花畑に倒れていることを理解した。

 「強く気高い剣の人、儚く脆い夢の人、私はあなたを愛しましょう―――」

 歌を歌っている少女の声。歌はアインの直ぐ傍から聞こえており、彼は視線だけを声がする方向へ向けた。

 「……サレナ」

 「アイン、起きたのですね? こんばんわ」

 「……俺は、眠っていたのか?」

 「多分そうでしょう。突然倒れたので多少焦りましたが、心臓は動いていたようなので眠らせたままにしておきました。体調は大丈夫でしょうか?」

 「……問題無い。問題無いが、長い夢を見ていたようだ。そう……過去の記憶の中を意識を保ったまま、夢として見ていたような、そんな気分だ」

 「記憶が戻ったのですか?」

 「完全に戻ってはいない。だが、俺がどういった人間でどういう風に戦ってきたのかは分かった。あぁ……俺は、昔から戦ってきたんだ。自分の為に戦って、途中から守るべき者の為に戦って、ずっと、ずぅっと戦ってきたんだ」

 故郷なんて無かった。両親など居ないも同然だった。ただ温かさが欲しかった。血肉の温かさは時間と共に冷え固まり、本当の温もりとは程遠い。それを心の奥底では分かっていた筈なのに、途切れない殺意と激情は尚も戦いによる血肉と傷を求め、誰かが与えてくれる温もりを必要無いと吼え狂っていた。

 上半身を起こし、サレナの瞳を見たアインは知らぬ間に握られていた彼女の手をそっと撫で、深い溜息を吐く。

 「俺は、温もりが欲しかった。俺という存在を認めてくれて、俺を必要としてくれる誰かが欲しかったのかもしれない。記憶の彼方に在る戦友と、サレンは俺を必要としてくれたのだろうか? 死ぬ瞬間まで俺を覚えていてくれたのだろうか? 分からない……分からないが、彼等はもうこの世には居ない。長い時間の中で、既にこの世を去ってしまった」

 無くしたものは戻らない。どんなに足掻いても、どれだけ手を伸ばそうとも戻らない。自分自身が無くしたものの大切さを、人は本当に失ってしまってから気付くのだ。既に居なくなってしまった戦友と、大切な少女の顔をありありと思い出したアインの声は、僅かに震えているようにも感じた。

 泣きたくとも涙は流れない。心が痛い程に締め付けられているのに、己の瞳からは一粒も涙は零れない。嗚咽も、鼻の痛みも、喉の震えも、悲哀と悲嘆に関する感情は戦闘甲冑ノスラトゥが力へ変換し、アインの心の痛みを燃料として唸りをあげる。

  「涙が流れない者は、人としての心さえも無くした悪鬼修羅なのだろうか? この耐え難い痛みを力に変える者は、人としての掛け替えのない感情を露呈する事さえ叶わないのだろうか? 俺は……最低最悪の屑だ。
 屑であるのならば、塵であるのならば、恥知らずであれば良かった。恥知らずであれば、こんな思いをすることも無かった。こんな思いと痛みを抱える事など無かったのに……」

 震えた声で過去の己を恥じ、真に彼等がアインを慕っていたことに今更ながら気づく。黒鉄の籠手に包まれた両手でフルフェイスを覆い、セラフィの花畑に頭から突っ込んだ剣士は息を荒げ、何度も地面を殴り付ける。

 失って、思い出して、また失って……。友と呼べる存在と愛した者を本当に失ってしまった事実に直面した剣士は、声高々に慟哭し、真紅の瞳に絶望の輝きを宿す。

 「……アイン、あなたは本当に失ってしまったのでしょうか?」

 「……失っただろう? 俺の部隊は、俺の求めた少女は、俺の居場所は、もうこの世に存在しない。それは稚児にも分かる事実だ」

 「いいえ失っていません。アイン、あなたはまだ完全に失っていないのです」

 「サレナ、気休めは止せ。いいんだ、俺のような屑に声を掛けるなんて、お前の言葉と時間が勿体ないだろう? いいんだ、俺は」

 アインのフルフェイスが叩かれ、剣士の視界が揺らいだ。彼自身に痛みは無いが、フルフェイスを叩いたサレナの手は赤く染まっていた。

 「……アイン、こっちを見て」

 「……」

 言葉を失ったアインの顔を掴み、ジッと視線を交わしたサレナは黄金の瞳に強い意思を見せ、彼の殺意と激情を抑え込む。
 
 「失った、無くした、もう何処にも無い。それは人で在れば誰でも経験する苦難です。誰かを失い、大切な人を無くした者はあなただけではありません。私だって母を亡くし、たった一人で生きてきました。たった一人で生きて、時が来たら母のように子を孕み、その子を育てながら死ぬ。それが運命だと思っていました」

 小丘の小屋で生を終える運命だった。誰の子かも分からぬ子を孕み、その子が一人で生きていけるようになったら、自分も母と同じように供物となって死ぬ。それが運命だと思っていた。だが、それと同時に世界を見てみたいという願望もあった。

 「運命は残酷で不条理な鎖のような存在です。その鎖を破壊するには自分一人の力じゃ絶対に壊せない。壊せないから人は運命に流され、翻弄される。認めたくない、許容できない、逆らいたい……。
 けど、運命に歯向かう力が無い者はそれを使命とし、定めという言葉で自分を慰めてしまう。アイン……あなたは運命を壊す力がある。あなたは、人を救える者なのです」

 封魔の森の中、アインと出会いサレナの運命は変わった。供物としての生から、新たな生を踏み出す切っ掛けを与えられた。

 「あなたがどれだけ自分を否定しようと、あなたがどれだけ自分を否定しようと構いません。迷って、立ち止まって、挫けて、また立ち上がって……。あなたの歩みはあなたが満足する形になるまで止まりません。
 無論、私の歩みもあなたと共に在る限り止まりません。あなたが迷えば私が助けます。あなたが挫けかければ私が支えます。それが、共に歩む者としての責務であり、愛する者への支えなのですから」

 アインの籠手を握り、優しく擦ったサレナは柔らかい微笑みを剣士へ向け、真紅の瞳を見つめる。

 「アイン、あなたは失ったと言いましたね? あなたは全てを失っていません。あなたが言う戦友を記憶し続ける限り、彼等はあなたと共に在り、生き続ける。長い時間の中でみんな死んでしまったとしても、アインが覚えている限り彼等は死なない」

 戦闘甲冑の中には混ざり合った無数の戦奴の亡霊と

が混在している。その存在を感じ取れるのは甲冑の装着者であるアインだけであり、サレナには甲冑に蠢く何かの存在は感じ取れない。

 長い月日が経ったというのに、黒甲冑の中の存在はアインと共に在る。彼の激情を燃料として魔力と力を供給し続け、これまでの戦いを支えてきたのだ。彼の剣である黒の剣も、剣士の戦場を共に歩んできた。

 「アイン、大丈夫。あなたが何時か記憶を完全に取り戻して、本来のアインになっても私は忘れない。きっと、あなたを覚えているから」
 
 そう言ったサレナは笑顔を浮かべた。
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