問いは虚空へ消え ④

文字数 2,825文字

 「……」

 ぼんやりとした頭で階段を下る。

 「……失せた、黒冠」

 何時か、何処かで聞いた言葉を繰り返す。遠い昔、擦り切れた記憶の何処か、摩耗された過去が示す言葉はアインを塔の下層へ誘い、死霊の如く生者を導く。

 石段を硬い鋼が叩き、薄暗い通路に木霊する。もうどれくらい歩いたのか、何処から何処へ向かおうとしているのか分からない。だが、一つだけ確かな事と云えば塔の地下へ向かわなければならないという朧げな意思だけ。

 よろめき、壁に手を付きながら足を動かし、聞こえる筈の無い声が己を導く先には何がある。甲冑に犇めく死霊が笑い、涙し、喚き立てる中、

がアインの目の前に現れる。

 「……」

 扉に手を掛け、渾身の力を込め押し開く。すると、其処には暗く細長い通路があった。命の気配も、声も、音も、何もかもが閉ざされた通路へ足を踏み入れたアインは奥に在る黒鉄の扉を開き、大きく開けた空間に出る。

 「……此処、は?」

 揺れる視界と激痛を訴える頭。思わずフルフェイスのバイザーを手で覆ったアインは態勢を崩し、何時の間にか存在していた椅子に腰を下ろした。

 「……」

 此処が何処か分からない。分からないが、知っている。己は昔、此処に来たことがある。痛む頭を押さえ、地面を見つめていたアインはふと人の気配を感じ取り、視線を上げると其処には一人の男と、顔も知らない女が立っていた。

 「王は何処へ、ラルゥリイ」

 「あの人は聖女と共に、一時の休息を得ています。我々が関与することではありません。そうでしょう? カラレリゥス」

 「如何にも。彼の王の休息を邪魔だてすることなど赦されん。だが、王は王に非ず、彼の者の王冠は未だ愚者の頭上にあり、正当なる王は生まれ出流事無し。ラルゥリイよ、王となる英雄に必要な物は何であるか、君は知っているか?」

 「なに? カラロンドゥの真似事? ……そうね、絶対的な力とカリスマ性。そして弱者にも手を差し伸べようとする善性かしら?」

 「……否、王に必要なものは人であり、象徴である」

 カラレリゥス……過去の記憶で見た男は白衣を翻し、精巧無比な魔導人形の肉体を操り台座に鎮座する冠を手に取り、ラールゥと呼ばれた白髪の美女に言を語る。

 「力、権力、カリスマ、善悪……。それらを一纏めに象徴と呼べるのだラルゥリイよ。王は神でも無ければ、無限の命を持つ永遠なる者でも無し。人として存在し、その上で象徴を形にした冠を戴かなければならぬのだ。亡国の姫君、一縷の恋を己が胸に仕舞い込んだ白の乙女よ……人が暴君として君臨し、欲望の焔を以て民を支配するのは簡単だ。
 だが、その者の頂にある冠が崩れ果て、象徴としての意味を失えば王は人の身で在りながら愚者へ堕ち、民も堕落の一途を辿る。故に、我等が王には永遠なる玉座と冠が必要なのだ」

 決して朽ちぬ王冠を彼の者へ。無表情で黒き冠を掲げ、王と呼び称える者へ王としての象徴を捧げんとするカラレリゥスの忠誠は信仰に近いものがあった。

 「……それで、そんな話をする為に私を呼んだワケではないでしょう? 私はサレン様の教育で忙しいの。彼女が聖女としてアイン様を支え続ける必要がある。だから私は」

 「己が心に嘘を吐き、恋敵の能力を高める必要があると? 度し難いものだな、女という生き物は」

 魔法の槍が炸裂し、カラレリゥスの首に刃が迫るが、紙一重のところで魔導防壁が作動し矛の刃を寸でのところで押し止める。

 「無駄な術の行使は止せラルゥリイよ。この工房で私を殺したとて次の私が起動し、無意味な戦いが起こるだけ。全ての魔導人形を破壊する時間は多く見積もって五年、いや、十年掛かるだろう。君一人では私は殺せんよ」

 「……厭な男ね、貴男は」

 「それは重々承知の上だ。生まれ持った性格と言うのは中々治らんものでな、数多の人格を統合し、一つに纏めたとしても主人格が私である以上無意味であるのだ。無駄話はここで終いにしよう。ラルゥリイよ、其方に一つ頼みごとをしたいのだ」

 「頼みごと?」

 「うむ。この冠が完成し次第、コレを然るべき日まで隠して欲しい」
 
 「どうして? 完成したら真っ先に彼に渡すべきよ」

 「駄目だ」

 「理由を言いなさい。まさか……我等が王を裏切るつもり? 何か企んでいるのなら十年間殺し続けてあげる」

 「感情だけの行動は何時か身を滅ぼすぞラルゥリイ。物事にはタイミングがあるのだ。民が絶望に身をやつし、破滅の足音をその耳で聞き、新たな王を求めた時に象徴は権威と共に意味を成す。それが何を意味するか分からん女では無いだろう? ラールゥよ」

 槍が砕け、魔力の塵へと化した時、ラルゥリイはカラレリゥスの言葉の意図を理解する。

 「強大な力を宿しながらも、人を理解しようとする男。人という存在を解さず、男を通して世界を知った少女。一人ならば個を優先し、全を染めるに敵わないだろうが、二人ならば個に非ず。人を統べ、世を動かす者は王だけでは無いのだ。民が、命が、生存を欲する故に天へ願い祈り、統べる者を決める。
 ラールゥ……亡国の姫君にして、今や戦奴に堕ちた高貴なる血筋の者よ。其方が我等が王に冠を授け、王位に就かせる時に冠は……象徴は意味を成す。その役目を其方が務めるのだ、白の姫君よ」

 「……何故私なの? ラグリゥスやカラロンドゥじゃ駄目なの? いや、私じゃなくてサレン様でいいじゃない。彼女は帝国の姫君で、聖女と呼ばれる存在よ? 私なんかじゃなくて、もっと」

 「いいや、君でなくては駄目だ。君だから意味がある。部隊の誰もが君の素性を知らず、一人の戦奴として……仲間として見ている故にその意識は最高の隠れ蓑となるのだ。私とカラロンドゥは技術者と研究者という職分であり、彼の王の腹心であるラグリゥスは亡国の騎士という身分。サレンは白痴と称され、長らく世界を知らずにいた無辜なる無垢。酸いも甘いも知る君だから……亡国の姫君という身分であった君だから戴冠という行為に意味を与えられるのだ。頼まれてくれるか? ラルゥリイ」

 「……その時って、何時かしら?」

 「それは」

 カラレゥスの口が開いた瞬間、アインの心臓が大きく脈動し、視界がぐるりと回ると同時に遠くで己の名を呼ぶ声を聞く。

 アイン、アイン……。サレナの声を聞いたアインは少女の手を掴むかのように手を伸ばし、真紅に染まった視界を探るようにして藻掻くとある一つの違和感に気が付いた。

 ジッと、ラルゥリイと呼ばれた女の視線が己に向けられていたのだ。カラレゥスを見つめているかと思われていた女の視線は常にアインへ向けられており、視線を交差させたアインは背筋に冷たい汗が這うような感覚に襲われる。

 ずっと、ずっと、お慕い申しております。我が王……我が英雄。そう、何時までも、世界が変わり果てた未来でも、愛しております。

 その言葉を聞いた瞬間、アインの意識は切れた糸のように途切れてしまった
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