第5話 エマの気持ち クリスの予知能力

文字数 2,757文字

 ジョンから忠告されて、数日が経っていた。
 クリスは自分の立場が理解できているのに、エマからなかなか距離をとれないでいる。
 クリスが素っ気なくすると、エマは悲しそうな顔をするから。
 エマにそんな顔をされると、ついついクリスはかまってしまいたくなるのだ。
 ただ、もう、上の学校の話はしなくなっていたけど。

 今日は、何ヶ月かに1度の国王による定例の報告がある。
 夕方になってからで、国王と直接会うわけでも無いが、不在ではまずいことになるだろう。

 エマには、理由を言わずに大衆食堂に行けないことを話した。
「珍しいね。用事?」
 そう言わせてしまうほど、毎日通い詰めてたのだと、クリスは思わず苦笑いをする。
「ああ。どうしても、外せない用事があって……。その、ごめんね」
 クリスの言葉使いも、少しずつ下町の……、エマに合わせたものになってきていた。
 エマは、少し寂しそうにしている。
 そういえば、いつかの……。以前買った髪飾りを思い出し、クリスはこの機会に渡そうと思った。
「ちょっと良い?」
 と言って、クリスはエマの後ろで無造作に結んでいたリボンを外し、手ぐしだけど、少し髪をアップして、パチンと髪飾りを止めた。
 高い贈り物はイヤがるので、安物に見える魔法と、護身の魔法をかけている。
 知識がある人間が見たらバレるので、お守り程度の魔法だけど。
「え……? クリス?」
「前に露天で買ったんだ。エマに似合うと思って。うん、やっぱり似合ってる。良かったら貰って」
(軽く言えただろうか?)
 エマは、すごく嬉しいって顔で
「ありがとう」ってお礼を言ってくれた。
 クリスも笑顔で
「どういたしまして」と言う。
 エマが笑うとクリスまで嬉しい気持ちになる。
 どうしてか、なんて考えていない。
「また、明日には来るから」
 そう言って、別れた。クリスは、エマの気持ちにも、自分の気持ちにさえ気付こうとはせずに。
 いや、自分の気持ちには、無意識のうちに、封印を施そうとしていた。


 そうやって、日々を過ごす。
 エマの気持ちはともかく、クリスの方は妹に対するような感情になっていってる。
 そんなクリスの感情の変化を感じ取ったように、エマの態度も微妙なものになっていった。
 いつものように笑顔は見せてくれるものの、何か言いたげな……。
 少し寂しそうに見えるときもあった。
 クリスの、無くしたはずの感情はそれでも、そんなエマを見ると思い起こされそうになるのだけれども。

 今日もクリスはいつものように夕飯を食べに行く。
 お店の常連さんは、露天の組合の会合とか何とかで、今日はいない。
 少し、お店の中も閑散とした感じがしてた。
 エマは、それでも相変わらず、楽しそうに働いて……。
 なんだか、やたらガタイの良い変な男がエマにちょっかいを掛けているのが見える。
 それに、必要以上に身体を触られているような。
 何より、エマがイヤがっているように見える。

「おい。やめないか」
 気が付いたらクリスは席を立って、エマを触ってた手を掴んでいた。
「あんだとぉ」
 男がすごんでくるけど、所詮下町のごろつきだ。
 一流の騎士の覇気(はき)には、遠く及ばない。
「女性にみだりに触るんじゃない。ここは食事をするところだ」
 クリスは、男を睨み付ける。
 他の客からも「そうだ、そうだ」と歓声が上がった。
 この男のガタイの良さから、助けに入れなかったらしい。

 エマは、クリスでは勝てないと思ったのか、
「ちょっと、クリス。あたしは平気だから」
 と言って、その場をおさめようとする。
「平気なはずは無いだろう。べたべた触られて」
 クリスはムッとしたままエマに言った。
 これでも何度も戦場に立っている。こんなごろつきの相手など動作も無い。
 クリスの意識がエマにむかっている内に、男は、クリスの手から腕をはずそうとしている。
(バカが、逃がすはずないじゃないか)

「ここでは店の迷惑になる。外で話すか」
「お……、おう」
 クリスは、顔だけエマに向けて穏やかにいう。
「悪い、エマ。食事代、後で払うから」
「クリス」
 心配そうに声をかけてくるエマを無視して、男の腕を掴んだまま店の外に出る。  
 このまま、放っておいて、逆恨みでもされたら危険なのはエマの店だ。
 エマの店から、少し行った路地。ここなら、夜は誰も来ないだろう。
 クリスは無言で男の腕に、魔力を流す。
 あっけなく男は気を失った。殺しはしない。
 記憶は奪うけどね。
 男を適当なところに放置して、お店に戻った頃にはもう閉店間際になっていた。

「クリスさん。本当にありがとうございました」
 とエマのお母さんから、お礼を言われた。
「いえ。話を付けてきたので、もう現れないと思いますが……。しばらくは、エマがいる時間は居ますね」
 記憶を奪ったから来ないとは思うけど、用心のためだ。
「ありがとうございます」
 恐縮して、何度もお礼を言われた。辞退された食事代は、無理に受け取って貰った。
(ところで、エマはどこに行ったんだ?)

 クリスが店内を見回すと、お店の隅っこの方に縮こまっていた。
 髪飾りに、変な男を寄せ付けない護りを付け加えないと……。そう思いながら、クリスはエマに近付く。
「大丈夫だったかい?」
 エマは下を向いたまま、心なしか震えている。
(やっぱり、怖かったのか)
「本当に、もう来ないと思うから。大丈夫だよ」
 エマは、下を向いたまま、ふるふると首を横に振る。
「エマ?」
「だって、クリスが危ないと思って……。怖くて」
「ああ。大丈夫だよ。暴力沙汰になんてなってないし」
 そう言いながら、クリスは、さりげなく髪飾りに手をかざす。魔法を付与するために。

「本当?」
 今まで下を向いていたエマがクリスを見る。
「怪我してるように見える?」
 安心させるように、クリスは少しおどけたように笑って、両手を広げて見せた。エマはじっと見てる。
「よかったぁ」
 エマが安心したようにクリスに抱きついた。クリスは、内心焦る。
 千年以上生きてきても、こんな風に抱きつかれたことは無い。
 抱き返しても良いものか……と思ったが。安心させるためだと思いなおし、そっと抱き返す。

 え?

 ザーッと頭の中に流れた映像に、クリスは固まってしまった。
 場所は……、いろいろ古びて見えるけど、確かにここだ。中年のふくよかな女性がケンカを止めようとして刺された。
 血だまりの中で倒れて……。
 誰かが「エマ!」と叫んでた。

 なん……だ? 今のは……。

 クリスは、自分の血の気が引くのがわかった。
 どうやって王宮まで転移してきたのか覚えてない。
 心配するエマになんて返事をしたのかも……。
 ただ、店内は薄暗かったから、クリスの顔色はエマには、わからなかったはずだ。
 もっとも、そんなこと気にする余裕すら、クリスには無かったのだが。
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